第四章 断罪
召喚状を受け取ったのは、夜だった。
ベッドから起き上がった私が玄関の広間に下りていくと、給仕が一通の書状を、銀の盆に載せて差し出した。封蝋の紋章は王立裁判所のもの。私が昨日、契約書に署名した、あの裁判所のもの。
え。早くない?
私は心の中でつぶやいた。契約を結んだのが昨日。今夜には早くも召喚状が来た。何があったのか、私には心当たりがなかった。
給仕が頭を下げて、銀の盆を私の手の届く高さにぐっと持ち上げた。
書状を取った。封をその場で切った。
『召喚状。
明朝、第三鐘までに、王宮大広間に出頭せよ。
案件、口頭にて伝達。
王立裁判所長代理、ドルグ・アルデイン。』
ドルグ・アルデイン。
その名前を、私はゆうべ覚えたばかりだった。
白い式服。細い目。覚えておいたほうがいい気がする、と思って絵にした、あの男。
なんで、いきなり、この人の名前で召喚状なんだ?
書状の文字をもう一度読み直した。明朝。第三鐘。王宮大広間。案件は、口頭にて。
書状には罪状も要件も書かれていない。
書かれていないことが、いちばん嫌な気配だった。
階段の上から、父の声が聞こえた。
「カレン」
私は見上げた。父は寝着の上に上着だけを羽織っていた。手にもう一通の書状を持っていた。
父にも、来たのか。
「明朝、王宮へ出向くように」
父はそれだけ言って、書状を給仕に渡した。
「お父様。何があったのですか」
「私にも、わからん」
父はそれだけ答えて、階段を上っていった。
私は玄関の広間に立ち尽くしたまま、書状をもう一度握り直した。
お母さん。
心の中で私は呼んだ。
わからないことは怖い。
でも、わからないなりに行くしかない。
明日の朝、私は王宮に行く。
* * *
王宮大広間は、私が想像していたよりもずっと広かった。
天井は高く、上の方は影になっていて、ここからは見えない。床は磨き上げられた大理石で、左右に長い柱が並んでいる。柱の間には大きな窓があって、朝の光が斜めに差し込んでいた。光の柱が何本も、床の大理石に立っていた。
光の柱の絵を、私は心の中で額縁に入れた。
絵を入れるのが私の癖だ。緊張するときほど絵を入れる。緊張を絵の構図に置き換える。そうすると心臓の音がすこし静かになる。
大広間の奥、一段高い場所に王座があった。
王座には現国王陛下マグナスと聞いていたが、今朝座っているのは別の人物だった。代理席。王立裁判所長代理の席。
ドルグ・アルデインがそこに座っていた。
白い式服。細い目。覚えておいた、あの男。
……なるほど。
私は心の中でもう一度絵を整えた。
大広間の左右には、貴族たちが居並んでいた。武門貴族、文官貴族、神官、王立魔術学院の教師たち。私の父も左の列の中央あたりに立っていた。父は私の方を見なかった。視線はずっとドルグの方に向けられていた。
私は大広間の中央、被告人が立つべき位置に立たされた。
立たされた、というのは、両脇に衛兵が二人ついていたからだ。私は罪人として連行された格好だった。
なるほど、なるほど。
私は二度、心の中で絵を整えた。
ドルグが口を開いた。
「カレン・グレイファン」
大広間の天井に、彼の声がよく響いた。
「昨夜未明、王書庫の地下三層において、爆発が発生した。地下三層は、現在も、火が燻り続けている。書架の半数が焼失。死傷者は、書庫管理者一名が軽傷」
書庫の爆発。
私は聞きながら、頭の中で王書庫の見取り図を描こうとしてみた。が、私は王書庫の地下に入ったことがない。地下三層、と言われても絵にできない。私の頭の中は白いキャンバスのままだった。
白いキャンバスのままで、聞こう。
私はドルグの声に神経を集中した。
「現場の魔術痕跡を、王立裁判所術士部が調査した。痕跡から、四種の術理が検出された。火、水、風、大地」
ドルグの声が続く。
「四種の術理を同時に強く行使できる術士は、王都にごくわずかしかいない。さらに、その術士たちの術理痕跡と、現場の痕跡を、比較した」
ドルグはここで一拍、間を置いた。
間の置き方が芝居がかっていた。練習してきた、と私は思った。
「結果、合致した痕跡が一つあった」
ドルグは私の方に視線を向けた。
「魔女・カレン・グレイファン。お前の術理痕跡だ」
……は?
私はしばらく口がきけなかった。
大広間がざわついた。貴族たちのささやきが、左右の列から、波のように立ち上がった。
私はようやく声を出した。
「私は、昨日、王立裁判所で契約を交わしたばかりです」
声は思ったよりは震えていなかった。
「昨夜は、自宅の自室で寝ていました。王書庫には、生まれて一度も入ったことがありません」
「証拠は」
ドルグの声がすかさず返ってきた。
「自室にいたという、証拠は、何かあるか」
「……寝ていた、と言うしかありません」
「家人の証言は」
「両親も兄も、私の部屋には来ません。証言できる者は給仕の中にいるかもしれませんが、私は夜は誰も部屋に入れません」
「ふむ」
ドルグはわずかに首を傾げた。
「つまり、夜のあいだ、お前は誰にも見られていない、ということだな」
「はい」
「それは、不在証明にならない」
不在証明という言葉を、私は知っていた。教育の中で聞いたことがある。罪を問われたとき、その時刻に別の場所にいた、ということを示す証明。私には、それがない。
でも、不在証明がないことは、私が王書庫にいたことの証明にも、ならないはずだ。私は口を開きかけた。
その瞬間、ドルグが続けた。
「現場の魔術痕跡には、四種の術理が、複合的に組まれていた。これは、現代術理の常識では、組めない構成だ。組めるとすれば、それは、規格を超えた術士――魔女、または魔人。王都に登録された魔女は、現在、四名。そのうち、爆発の発生時刻に、王都に在住していた魔女は、二名。さらに、その二名のうち、爆発時刻に不在証明があるのは、一名」
ドルグは私を見た。
「ない、のは、お前だけだ。カレン・グレイファン」
大広間がもう一度ざわついた。
今度は波というより、地鳴りだった。
うわ、これ。
私は心の中で頭を抱えた。
うわ、これ、ちゃんと組まれてる。
ドルグは、私を犯人にするために相当用意をしてきている。私を「組める唯一の魔女」として絞り込む論法。私を「不在証明のない唯一の人間」として追い詰める論法。たぶん、もう一人の魔女は、誰かと一緒に夜を過ごしていた、というアリバイがあるんだろう。
私は、もう一人の魔女、というのが誰なのか、少しだけ気になった。が、いまは、それどころじゃなかった。
「さらに」
ドルグが続けた。
「現場の地下三層には、王立裁判所が閲覧禁止に指定している、ある書物が、所蔵されていた。爆発後の調査で、その書物は、書架から失われていた」
ドルグは私を見た。
「禁術書、だ」
禁術書。
その単語を、私は聞いた。聞いて、しばらく頭の中で転がした。
禁術書。地下三層。閲覧禁止。
……ふうん。
絵がひとつできた。
ドルグの絵だ。地下三層にこっそり降りていく、ドルグの絵。書物を抱えて上がってくる、ドルグの絵。書物を自分の執務室に隠す、ドルグの絵。
私はその絵を描いていない。
描いていないけれど、構図は見える。
絵描きは、見えないものでも見えてしまうことがある。
「閲覧禁止の書物が、消失した。同時に、禁術書の閲覧が疑われる術理痕跡が現場に残っている」
ドルグの声は揺らがなかった。
「カレン・グレイファン。お前を、王書庫地下三層における無許可の大規模術理行使、ならびに禁術書閲覧の疑いで糾問する」
糾問。
私はもう一度、頭の中で絵を整理した。
ここで、私は二つの選択肢を持っていた。
選択肢一、絵を見せる。
ドルグが嘘をついていると、私は構図で気づいた。
でも、それは私の絵描きの勘で、証拠ではない。証拠がないまま、私が「ドルグが犯人だ」と言っても、いま、この場では誰も信じない。むしろ、私が反論することそのものが悪印象になる。
選択肢二、絵をしまう。
まだ、絵をしまっておく。
ここで全部出すと、ドルグは私の絵を潰しに来る。あの男は、私が「絵を描く目」を持っていることを警戒している。だったら、いまは絵を持っていないふりをする。
お母さん。
私は心の中で呼んだ。
まわりを、よく見て。
すこしだけ、手を抜いて。
ね。
お母さんの言いつけ、いま、めちゃくちゃ効いてる。
「私は」
私は口を開いた。
声はまっすぐ出た。
「やっていません」
ドルグの目がほんのわずか細くなった。
「やっていない、と」
「はい」
「証拠は」
「ありません」
「では、お前の主張は、ただの否認だな」
「そうなります」
大広間がまたざわついた。今度は地鳴りより、ため息に近かった。
ため息のほうが、地鳴りよりずっと私には刺さった。
ああ、これ、私、分が悪いんだな。
私は絵をもう一枚、額縁にしまった。
ため息の絵をしまった。
* * *
父は、左の列の中央に立ち続けていた。
私の視線が父を捉えた。
お父様。
私は声に出さずに呼んだ。
お父様、何か言いませんか。
私の家門の、私の血筋の、娘です。何か言いませんか。
私が術理の極限に挑むような娘ではないこと。私が禁術書を読みに地下に降りるような子ではないこと。私が母の言いつけを、八年、守ってきたこと。
何か、何か、何でもいいから、言いませんか。
父は私の視線に気づいた。
気づいて、目を逸らした。
目を逸らしたまま、ドルグの方に向き直って、それきり私の方を見なかった。
あ、そう。
私は心の中で頷いた。
あ、そう。
予想はしていた。していたけれど、実際にやられると思ったよりちゃんと痛かった。
父の絵を、私はすでに何枚も持っている。私を見ない父、私の話を聞かない父、私を息子の話のついでにしか口にしない父。今日、そこにもう一枚追加された。私の視線を逸らす父。
額縁が増えた。
怒り、ではなかった。
悲しみ、でもなかった。
ただ絵が一枚増えた。それだけだった。
それだけのはずだった。
なのに、なぜか私の指先が、ほんの少し冷たくなっていた。
* * *
「裁定を、申し渡す」
ドルグの声が大広間に響いた。
「魔女・カレン・グレイファン。本日付をもって、王都・貴族街への居住を禁ずる。城下町への追放、ならびに、術理行使の全面禁止。これに違反した場合、契約に基づく処断が下される」
追放。
追放、という言葉を、私は頭の中で転がした。
わりと、するっと入ってきた。
というか、ここまで来たら、もう、そうなるよなと。私の中の冷静な部分が頷いていた。
「なお、本件における、家門の処分は、行わない。これは、本人の単独行動と判断したことによる」
ドルグが付け加えた。
付け加え方がわざとらしかった。
家門は罰しないんだ。
私は心の中で、絵をもう一枚整理した。
なるほど。家門を罰すると、グレイファン家の派閥が動く。だから、私だけを切り捨てる。私だけを、家門の外に放り出す。これはドルグが、政治を計算している、ということだ。
政治を組む。
悪いね、ドルグさん。
私、絵描きだから、構図はわかるんですよ。
「以上、王立裁判所代理職、ドルグ・アルデインの名において、裁定する」
ドルグの声が終わった。
大広間の貴族たちがわずかに頭を下げた。形式的な礼。
誰も、私を見なかった。父も。兄も。学院長も。誰も。
なるほど、なるほど。
私は絵を、もうしまうのをやめた。
しまいきれないくらい、たくさんの絵が、いま、私の中にあった。
ぜんぶ覚えておくことにした。
いつか描く。
いつか、ぜんぶ絵にする。
絵にして、ぜんぶ返してやる。
衛兵が私の両脇を、軽く押した。
退出の合図だった。
私は歩き出した。
大広間の床の大理石が靴の裏に冷たかった。
光の柱を、ひとつずつ横切って歩いた。
柱を一本越えるごとに、光が私の制服のスカートの紺色を横切った。
歩きながら、私は心の中で独り言を言った。
お母さん。色、出すよ。いつか。ぜんぶ、出すよ。
返事はなかった。
返事はなかったけれど、私の中では、母がすこしだけ笑った気がした。
怒っていない笑い方だった。
ぜんぶ、見ていたよ、というあの笑い方だった。
* * *
大広間を出た。
王宮の長い廊下を、私は衛兵に挟まれて歩いた。
廊下の窓から朝の光が差し込んでいた。光の四角が廊下の床に、いくつも並んでいた。
私は、一昨日の夕方、学院長室を出たあとに、夕日の四角をひとつずつ踏んで歩いたことを思い出した。
あの夕日の四角は、私が魔女になった日の絵だった。
いまの、朝の光の四角は、私が追放された日の絵になる。
絵が対になった。
私はふっと笑った。
絵描きとして、構図は悪くない。
お母さん、構図、できたよ。
心の中で呼んだ。
返事はなかった。
王宮の正門を出ると、衛兵が私の前に馬車を停めた。
「魔女・カレン・グレイファン。城下町、第七区、宿『金鹿亭』の上階の、貸し部屋まで、お送りします」
衛兵の声は事務的だった。
金鹿亭。
私はその名前を聞いた。
どこかで聞いたような、聞いていないような、不思議な響きの名前だった。
私は馬車に乗り込んだ。
馬車の窓の外を、王宮の白い壁が流れていく。
白い壁の絵を、私は額縁にしまった。
しまって、それから深く息を吐いた。
城下町。
昨日まで、私が橋の上から見下ろすだけだった、あの煙の濃い土地。
今日から、私はそこに住む。
馬車の蹄の音が石畳を打ち続けた。
私は目を閉じた。
――お母さん。色、出すよ。いつかね。
――いま、じゃないけど、いつかね。
返事はなかった。
返事のない朝の絵を、私はまた額縁に入れた。
いつか描く。
いつか、ぜんぶ描く。
そう決めた。
決めて、私はようやく、息をひとつ深く吸った。




