第十六章 快進撃
ファルケンの尋問は、その朝、王宮の地下牢で行われた。
私は城下町で待っていた。シグルドの手の者が、結果を馬で運んできてくれる予定だった。
昼前、馬の蹄の音が、金鹿亭の前で止まった。
マレナが出迎えた。
馬から降りた騎士は、私の名前を確認してから、書状を私に手渡した。
書状の封蝋は、王家のもの。
差出人は、シグルド・アルデイン。
書状の中身は、簡潔だった。
『ファルケン、自白した。王書庫の事件、ならびに刺客派遣、いずれもドルグ・アルデインの指示によるものと判明。ドルグの執務室から〈八重の閉環〉の禁術書を押収した。
陛下はドルグの代理職権を停止し、正式な裁定までの軟禁を命じた。
証拠の補強のため、王書庫地下三層への現地調査を許可する。立会人は私、王立魔術学院ベルナール教官、王立裁判所術士部の引退鑑識官ハロルド殿。
カレン・グレイファン殿の絵師としての参加を、陛下より認められた。明朝、第三鐘、王書庫の入り口にて合流されたい。
シグルド』
私は書状を、二度読み返した。
二度読んでも、書かれている事実は変わらなかった。
* * *
攻めの段階に入った。
私は心の中で頷いた。
王書庫の地下三層に入る。事件の現場に立つ。爆発の痕跡を、絵描きの目でぜんぶ見る。
絵描きの仕事は、見ることから始まる。
そして、最後の一筆を置くのは、絵描きの手だ。
マレナが、私の隣に立っていた。
「お嬢様、明朝、王宮、行くんだね」
「行く」
「あんた、追放されたまま、王宮に戻るのかい」
「追放、解けたわけじゃない。けれど、王命で、現地調査の絵師として入る。一日だけの特別許可」
「そうかい」
マレナは頷いた。
「じゃあ、いい服、貸してやるよ」
「マレナの服?」
「あたしは若い頃、傭兵だったろ。傭兵を辞めたあと、いっとき、貴族の屋敷で警備の仕事をしてた。そのときの紺色のドレスが、まだ衣装箱にある。サイズが合うかは、わからないけど、王宮で恥をかかない服、ってことなら、あれがいちばん近い」
「……ありがとう、マレナ」
「いやさ、お嬢様。あんた、もとは貴族令嬢なんだろ」
マレナは笑った。
「貴族令嬢が、貴族の家に戻るんじゃないよ。城下町の絵描きが、貴族街に攻め込むんだ。城下町の代表として、ちゃんと顔、立てて行きな」
城下町の代表。
私はその言葉を、心の中で転がした。
城下町の代表として、私は明朝、王書庫に攻め込む。
私の中で、何かがすこし、強く固まった。
* * *
部屋に戻って、私は机の引き出しを開けた。
いちばん奥に、桐の箱があった。
箱の中に、布に包まれた、母の魔石。
布を解いて、淡い青の魔石を、手のひらに乗せた。
魔石は、すべすべして、ほんのり温かかった。
空の高いところの、薄い水色。
お母さん。
私は心の中で呼んだ。
明朝、私、王書庫に入ります。
ドルグの罪を、絵で証明します。
証明できないと、たぶん、ドルグは逃げる。逃げたら、もう一度、刺客を送ってくる。
絶対に、逃がしたくない。
魔石は答えなかった。
けれど、手のひらの中で、いつもより、ほんのわずかに強く、温かい気がした。
――お母さん。
私はもう一度呼んだ。
――お母さんの魔石、消費しても、いい?
返事はなかった。
なかった、けれど、私の中の母が、いつもの怒っていない笑い方で、すこし笑った気がした。
うん、と頷いてくれた気がした。
私は魔石を両手で包んだ。
包んで、しばらく、目を閉じた。
術士たちのあいだでは、魔石は自身の力を活性化させる消費物として使える。
書記官が契約のときに言っていた。「魔石は、知性体の力の結晶だ」と。母の魔石も、その類のものだった。
けれど、私は母の魔石を、いままで消費しなかった。
消費したら、母がなくなる気がしていた。
お母さん、私、いま、お母さんを消費します。
でも、お母さんはなくなりません。
お母さんの色は、私の中にぜんぶ染み込みました。
色は、出しちゃうと消せない、と私、お母さんに言いました。
お母さんの色も、消せない。
だから、いま、消費します。
私は目を開けた。
魔石を机の上に置いた。
そして、絵筆を握った。
* * *
翌朝、第三鐘。
私はマレナのドレスを着ていた。
紺色の、シンプルなドレス。背筋をまっすぐに保つ仕立て。城下町の絵描きの肩書きには、すこし上品すぎる、けれど、王宮の中で恥をかかない、ぎりぎりの線。
画材の鞄を、手に提げていた。
鞄の中に、紙、木炭、絵筆、絵の具、それから、布に包んだ母の魔石をしまっていた。
王書庫の入り口は、王宮の南端にあった。
私が糾問の朝に、馬車で通った道。
けれど、今朝は衛兵が、私の来訪を待っていた。
衛兵が頭を下げた。
「魔女・カレン・グレイファン様、ご到着」
魔女、と呼ばれるのが、ひと月ぶりだった。
私は頷いた。
王書庫の入り口に、シグルドが立っていた。
騎士団の、深い青の制服。胸に銀の徽章。腰に長剣。
シグルドの隣に、二人の老人が立っていた。
一人は、私がよく知っていた。
王立魔術学院、ベルナール先生。私が初めての試験で、外壁にひびを入れた、あの日、私を学院長室に送った人。
もう一人は、初めて見る老人。痩せた、長身の、白い髭の男。腰に術士の杖を立てかけている。
「魔女・カレン・グレイファン」
シグルドが口を開いた。声は公の温度。
「貴殿の絵師としての現地調査参加を認める。立会人は、ベルナール教官と、王立裁判所術士部、引退鑑識官、ハロルド殿」
「お久しぶりです、ベルナール先生」
私は頭を下げた。
ベルナールは私を見て、すこし目を細めた。
「カレン・グレイファン、生きていてくれて、何よりだ」
彼の声は、いつもの教官の温度ではなかった。
もっと、深い温度だった。
私はもう一度頭を下げた。
「ベルナール先生、ご無沙汰しております」
「うむ」
ベルナールは頷いた。
それから、ハロルドが私に、軽く頭を下げた。
ハロルドの目は、商売人とも、傭兵とも違う、別の種類の鋭さがあった。鑑識の目だった。
この人、私の絵を、見抜く目を持ってる。
私はそう思った。
* * *
四人で、王書庫の地下に降りた。
螺旋階段を下りた。下りるごとに、空気が冷えていった。地下三層に着いたとき、私はぴたりと立ち止まった。
そこに、爆発の痕跡があった。
書架は半分が焼け落ちていた。残った書架も、表面が黒く焦げていた。床の石材は、ところどころ隆起していた。隆起した石の上に、白い結晶が薄く積もっていた。塩のような結晶。
そして、空気の中に、何かが漂っていた。
肉眼では、見えない、何か。
けれど、絵描きの目には、薄く色がついて見えた。
術理の痕跡。
私は心の中でつぶやいた。
アニムスの残滓。術士の体から、術理の発動時に、空間に滲み出て残ったもの。
私はそれを見たのは、初めてだった。
けれど、絵描きの目はぱっとそれを捉えた。
「カレン殿」
ハロルドが、私の隣で口を開いた。
「貴殿の絵描きの目に、痕跡は見えるかね」
「見えます」
「具体的には」
「四つの色が、空間に薄く漂っています」
私は答えた。
「赤、青、薄緑、褐色。火、水、風、大地。四種の術理の痕跡」
ハロルドの目が、すこし見開かれた。
「肉眼で、四種、識別できるのか」
「はい」
「……」
ハロルドはベルナールと目を合わせた。
ベルナールも、すこし目を見開いていた。
「カレン・グレイファン」
ベルナールが口を開いた。
「貴殿の超心象は、思っていたよりも桁違いだな」
「……ありがとうございます、たぶん」
ベルナールはすこし笑った。
「ハロルド殿、貴殿の鑑識の見立ては」
「私の目には、四種の痕跡は薄く見える。けれど、識別までは肉眼では難しい。鑑識の道具で計測すれば識別できる」
「カレン殿の絵描きの目は、鑑識の道具に相当する、ということだな」
「あるいは、それ以上、かもしれぬ」
ハロルドは頷いた。
* * *
私は画材の鞄から、紙と絵筆と絵の具を出した。
床に画材を広げた。
紙は、いつもの厚手の紙。けれど、今日はいつもより、大きな紙を用意していた。
「カレン、何を描く」
シグルドが聞いた。
「現場の再現画。爆発の瞬間に、術士が何の術理を、どの順序で組み立てたか、痕跡から絵で復元する」
「復元、というのは」
「肉眼で見える残滓の、色、方向、強度、位置から、術士の心象の構造を絵に起こす。絵描きの目で見えたものを、ぜんぶ紙に出す」
シグルドは頷いた。
「俺は邪魔をしないように離れる」
「ありがとう」
シグルドがすこし離れた。
ベルナールとハロルドも、私から距離を取った。
私は紙の前に座った。
絵筆を握った。
握った瞬間、私は画材の鞄の奥のほうから、布に包んだものを取り出した。
母の魔石。
淡い青の、母の色。
――お母さん。
私は心の中で呼んだ。
――力を、貸して。
* * *
私は母の魔石を、手のひらに握った。
握ったまま、目を閉じた。
閉じた瞼の裏で、私は自分の超心象を、ふだんより深い場所まで開いた。
深い場所では、絵はもう、絵ではなかった。
絵は世界そのものだった。
そして、その世界に、母の魔石が流れ込んできた。
淡い青の光が、私の体の中でゆっくり解けていった。
解けた光は、私の血の中で、私の心象と混ざった。
混ざった瞬間、私の超心象の解像度が、いつもより二段、深くなった。
私の心象の中に、王書庫の地下三層が現れた。
あの夜、爆発が起きた瞬間の地下三層。
書架。ランプ。机。椅子。一冊の、黒い革表紙の禁術書。
そして、机の前に立っている、一人の男。
白い式服。細い目。芝居がかった「賢明だ」を言うときの、あの男の顔。
ドルグ・アルデイン。
彼は禁術書を開いていた。
彼の唇が動いていた。
私の心象の中で、彼の声まで聞こえてきた。
「我が手に宿るアニムスよ、火の術理に従え――」
赤い心象が、彼の周りに結ばれた。
「水の術理に従え――」
青が結ばれた。
「風の術理に従え――」
薄緑が結ばれた。
「大地の術理に従え――」
褐色が結ばれた。
四つの心象が、彼の頭の中でぐらりと揺れた。
彼が汗を流した。
けれど、彼は止めなかった。
彼はページをめくった。
禁術書の、第五式の冒頭。
光の祈り。
信仰の領域。
彼は術理として、光を組もうとした。
「光の術理に従え――」
光の点が、彼の頭の中にねじ込まれた。
そして、すべてが崩れた。
崩れた心象が、空間に爆発した。
赤、青、薄緑、褐色、白。
五つの色が、書架に、机に、椅子にぶつかって、書架を燃やし、本を焦がし、石材を隆起させ、空気を蒸発させた。
白い結晶が、空中でできた。
湯気が立ち上った。
ぜんぶ、見えた。
私は心の中で頷いた。
絵描きの目はぜんぶ見ていた。
ドルグの心象の構造、詠唱の順序、暴発の瞬間、ぜんぶ。
* * *
私は目を開けた。
絵筆を握った。
紙の上に、絵を描き始めた。
最初の一線で、書架の輪郭。
次の一線で、机。
次で、椅子。
次で、ランプ。
次で、禁術書。
そして、机の前に立っている、ドルグ・アルデイン。
白い式服。細い目。芝居がかった顔。
次に、彼の周りに、術理の心象を、色付きで配置した。
赤の球、青の球、薄緑の渦、褐色の塊。四つの心象。
そして、第五式の、白い、光の点。
光の点は、四つの心象の上に、無理やりねじ込まれていた。
次に、暴発の方向と強度を、矢印で書き加えた。
赤は書架の方に走った。
青はその赤にぶつかった。蒸発した。
薄緑は空気を加速させた。
褐色は床を隆起させた。
白は空中に拡散した。
絵を描く速度が、ふだんのたぶん、三倍くらい速かった。
母の魔石が、私の超心象を深くしてくれていた。
解像度も、いつもの二段、深かった。
絵ができあがるまで、たぶん二十分くらいだった。
紙の上に、王書庫地下三層、爆発の瞬間が、完璧に再現されていた。
いや、完璧ではない。
私は紙を見ながら思った。
完璧な再現には、もう一つ、必要なものがあった。
筆致。
術士個人の、特徴的な癖。
ハロルドが鑑識として判別できる、術士ごとの「揺らぎ」。
私は絵筆をもう一度握った。
絵の中の、四つの心象の周りに、薄い波線を描き加えた。
波線は、ドルグの揺らぎを表現していた。
ハロルドが鑑識の道具で計測すれば、確認できるはずの波長。
私の絵描きの目は、その波長を肉眼で捉えていた。
* * *
絵が完成した。
私は絵筆を置いた。
置いた瞬間、母の魔石が、手のひらの中で最後の光を放った。
淡い青の光が、私の血の中ですうっと消えた。
消えながら、私の中にぜんぶ溶けていった。
――お母さん。
――ありがとう。
――お母さんの色、ぜんぶ、いただきました。
――これからは、私の中で、生きてください。
返事はなかった。
けれど、私の中の母が、最後にもう一度、笑った気がした。
いつもの怒っていない笑い方で。
ぜんぶ見ていたよ、というあの笑い方で。
そして、その笑いが、私の中にぜんぶ、しみ込んだ。
私は絵を、シグルドの方に差し出した。
「これが、王書庫地下三層、爆発の瞬間の再現画です」
シグルドが絵を受け取った。
彼の隣で、ベルナールとハロルドが絵を覗き込んだ。
しばらく、誰も口をきかなかった。
最初に口を開いたのは、ハロルドだった。
「カレン殿」
「はい」
「この絵の中の波線は、何を表しているのかね」
「術士の揺らぎです。鑑識で計測する、波長」
「肉眼で捉えたのか」
「はい」
「……」
ハロルドは長いあいだ、絵を見ていた。
見て、それから、ベルナールに頷いた。
「ベルナール教官、この絵に描かれた波長は、ドルグ・アルデインの術理痕跡と一致する。我々の鑑識ですでに計測してある波長と、ぴったり合う」
「確実か」
「確実だ。私の、四十年の鑑識経験を賭ける」
ベルナールは頷いた。
シグルドが私を見た。
「カレン」
「ん」
「これは、決定的だ」
「うん」
シグルドの目に、橙色がいつもよりずっと強く灯っていた。
私も頷いた。
お母さん、ありがとう。
ぜんぶ、見えました。
これで、ドルグを追放できます。
* * *
王書庫の地上に戻ったとき、シグルドの手の者が走り込んできた。
「シグルド殿下、急報」
「何だ」
「ドルグ・アルデイン、軟禁地点から脱走を図りました」
私は息を止めた。
「逃げ遂せたのか」
シグルドの声は低かった。
「いえ、現在、追跡中。けれど、もうひとつ、急報が」
「言え」
「ドルグの手の者と思われる刺客が、二度目の襲撃を計画している模様。現在、城下町の方角に向かっています」
マレナの店。
マレナ。
私は心の中でつぶやいた。
マレナが危ない。
「シグ」
私はシグルドを見た。
「行こう」
「ああ」
シグルドは頷いた。
私たちは絵を、ベルナールに預けた。
ベルナールが頷いた。
「カレン・グレイファン、絵は私が王宮に届ける。マグナス陛下の御前に出す」
「お願いします、先生」
「うむ」
私とシグルドは馬車に乗り込んだ。
馬車は王宮を出て、城下町に向かって走り出した。
* * *
馬車の中で、私はシグルドに聞いた。
「シグ、二度目の刺客、何人」
「報告では、四人」
「マレナと、店の前の見張り、五人と、店の中の護衛一人で対応できる?」
「対応できると思う。けれど、念のため俺も行く」
「私も行く」
「カレン、危ないから――」
「私がいた方が、安全」
私はシグルドの言葉を遮った。
「私の術理は、もう、契約違反済み。ドルグが刺客を送る指示を出した、その瞬間に、私はもう、契約の檻を出てる。今度は堂々と、術理を使える」
シグルドはしばらく私を見ていた。
見て、それから頷いた。
「わかった。ただし、俺の隣にいてくれ」
「うん」
私は頷いた。
馬車の中で、私はシグルドの手を握った。
シグルドの手は、剣を握る手の固さだった。けれど、私の手を握り返す、その握り方は、不器用なほど優しかった。
昨日と同じ優しさだった。
* * *
城下町、金鹿亭の前に、馬車が着いたとき、すでに戦闘は始まっていた。
刺客四人が、店の前の見張り、五人と剣を合わせていた。マレナは店の入り口から、剣を抜いて戦闘に加わっていた。
私たちが馬車から降りた。
刺客のうちの一人が、私に気づいた。
彼の剣が、私の方に向いた。
私は心象を結んだ。
昨夜よりも、さらに深い心象。
母の魔石を消費した、いまの私の超心象。
絵を組み立てる速度が、ふだんの何倍も速かった。
「火の術理、第七式」
私の声が立ち上がった。
「刺客四人の、剣の柄を燃やす。手だけ焦がす。動きを止める」
「点せ」
次の瞬間、刺客四人の剣の柄が、いっせいに燃えた。
彼らの手が火傷で、剣を手放した。剣が地面に落ちた。
見張りの五人が、刺客の体を麻縄で縛り上げた。
マレナが剣を降ろした。
マレナは私を見た。
「お嬢様、見せつけてくれたねぇ」
「マレナ、無事?」
「無事。ただし、肩をすこし切られた。たいしたことはない」
私はマレナの肩の切り傷を見た。
浅い切り傷。けれど、出血はしている。
「シグ」
「ん」
「マレナの治療を、急いでお願い」
「ああ」
シグルドが、王宮の医師を呼ぶ指示を出した。
* * *
刺客の制圧が終わったあと、私はマレナに肩を貸して、店の中に入った。
シグルドがすこし離れた場所で、刺客を尋問していた。
マレナは椅子に座って、深い息を吐いた。
「お嬢様」
「マレナ」
「あんた、強くなったね」
「強くなった、というか、ぜんぶ、出すことに決めただけ」
「そうかい」
マレナは笑った。
「あたしの店、二回も攻め込まれたよ」
「ごめん」
「謝るな。あたしの城は、お嬢様も、シグルド様も守ってくれた」
マレナは自分の肩を、軽く押さえながら、店の中を見回した。
「あたしは、この店が好きだ。今度攻め込まれないように、お嬢様、ドルグ・アルデインを、ちゃんと追放しな」
「うん。絶対」
私は頷いた。
* * *
シグルドが、私の隣に戻ってきた。
「カレン」
「ん」
「ドルグ、まだ追跡中。けれど、王都の出口は、すべて封鎖した。逃げ場はない」
「うん」
「明日の朝、王宮で最終裁定。マグナス陛下の御前で、ドルグへの断罪が行われる」
「私も行く」
「ああ」
シグルドは頷いた。
「ベルナール教官が、絵をすでに陛下に届けた。陛下は絵を見て、すぐにドルグの軟禁を、本格的な拘束に切り替える指示を出した。けれど、ドルグは、その直前に脱走を図った。間に合わなかった」
「シグ、ドルグ、捕まえる?」
「捕まえる」
シグルドの声ははっきりしていた。
「明日の朝までに、必ず」
シグルドが店を出ていった。
馬で、追跡の指揮に戻る、と言って。
私は店の中に残った。
マレナの肩には、王宮の医師が応急処置を施した。傷は浅い。三日ほどで塞がる、らしい。
私は椅子に座って、自分の手を見た。
手のひらは、母の魔石を握っていた感触の温かさが、まだ残っていた。
――お母さん。
私は心の中で呼んだ。
――明日の朝、王宮に行きます。
――ドルグを追放します。
――お母さんの色、ぜんぶ、私の中に入りました。
――明日、絶対、勝ちます。
返事はなかった。
けれど、私の中の母は、笑っていた。
いつもの怒っていない笑い方で。
ぜんぶ見ていたよ、というあの笑い方で。
そして、その笑いはもう、私の中の、ぜんぶの場所に染み込んでいた。




