表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/19

第十二章 ドルグの焦り

 王立裁判所の代理執務室は、王宮の西翼、三階の最奥にあった。

 窓は二つ。北向きの窓からは、王宮の中庭が見下ろせる。中庭には、剣の意匠を彫った噴水があって、晩夏の日差しの中で、絶え間なく水を吐き続けていた。水音は、執務室の中まで薄く届いていた。

 ドルグ・アルデインは、その窓辺に立っていた。

 手には報告書を一通。

 報告書は彼の私的な手の者、ファルケンが、城下町に放っている密偵から上がってきたものだった。


 報告書の内容を、ドルグはすでに三度読み返していた。

 三度読んでも、書かれている事実は変わらなかった。


 『カレン・グレイファンに関する報告書。

 城下町第七区、宿『金鹿亭』に在住。

 昼間は街路で絵を描き、近隣住民との交流が活発化。子供たち、商人、近隣店主との関係良好。

 夜間は『金鹿亭』にて給仕の仕事に従事。客との応対、酒類の運搬、勘定の補佐。労働実績、勤勉。

 絵画作品を商品として販売。一枚銅貨一~数枚、似顔絵は銀貨単位での取引も成立。生活資金は王家の手当に加え、絵画売上で安定。

 術理の行使は、見聞の範囲では、ない。

 居住地、勤務先、ともに巡回確認済み、逃亡の兆候なし。』


 ドルグは報告書を、机の上に軽く放った。

 紙が机の木目の上で、すこし滑った。

 「……順応しすぎだ」

 彼は低く呟いた。


 * * *


 追放から、ひと月が経っていた。

 ドルグの計算では、これくらいの時期に、カレン・グレイファンは心が折れているはずだった。

 貴族街育ちの十六歳の娘が、いきなり城下町に放り出される。家族は誰も助けに来ない。生活保障は最低限。術理の行使は禁じられ、唯一の武器を奪われている。普通であれば、心を病み、酒と男に溺れ、転落していく。あるいは、王家に泣きつき、再審請願を繰り返す。

 どちらの未来も、ドルグの計算に入っていた。

 どちらの未来であっても、彼にとって不都合はなかった。

 転落するなら、放っておけばいずれ消える。再審請願をするなら、王立裁判所代理職の権限で握りつぶせる。

 どちらにせよ、彼女は彼の手のひらの上だった。


 しかし、報告書の中の彼女は、転落もしていなければ、再審請願もしていなかった。

 彼女は城下町に馴染んでいた。

 絵を描き、子供に教え、酒を運び、近隣の店主と交流していた。

 それは、想定外だ。

 ドルグは椅子に腰を下ろした。

 椅子の背に深くもたれた。

 天井の漆喰の模様を見上げた。

 彼女が城下町に馴染むということ自体が、想定外だった。けれど、想定外、というだけなら、まだ扱える。

 問題は、もうひとつの報告だった。


 * * *


 ドルグは机の引き出しから、もう一通の報告書を取り出した。

 別の密偵からの、別の報告。

 そちらの報告書は、内容がより具体的だった。


 『追加報告。

 カレン・グレイファン、毎日午後、街路において絵画制作。

 同じ時刻、同一の人物が、彼女の傍に出現する。

 人物は男性。年齢二十代後半。身長、肩幅、髪型、特徴的。

 服装は平民の簡素な衣類だが、所作は貴族のそれ。腰の剣、訓練された結び方。

 顔貌の特徴より、推定候補は王弟シグルド殿下。』


 ドルグはその一行で、引き出しを勢いよく閉めた。

 閉めた音が執務室の壁に跳ね返った。


 シグルド。

 彼の中で、その名前が嫌な響きで転がった。

 シグルド・アルデイン。現国王マグナス陛下の弟。騎士団長。本流アルデイン家の、男子のうちの一人。

 そして、ドルグにとっては、傍系から本流を見上げる際の、最も象徴的な存在だった。

 マグナス陛下は王座にいる。距離が遠い。直接的な比較対象にはなりにくい。

 けれど、シグルド殿下は、騎士団長として王宮で日常的に動き回っている。傍系のドルグ・アルデインの目の前に、ほぼ毎日現れる。同じ「アルデイン」の苗字を持ちながら、生まれの順序ひとつで、扱いがこれほど違う。

 気に食わない。

 彼はもう何度目かわからない、その言葉を心の中で転がした。


 * * *


 ドルグは立ち上がった。

 執務室をひと回り歩いた。

 歩きながら、頭の中で計算を組み直した。


 シグルド殿下が、カレン・グレイファンに毎日会っている。

 可能性はいくつか考えられる。


 可能性一、偶然。

 シグルド殿下は、お忍びで城下町に降りる癖がある。城下町でたまたま、絵を描いている彼女を見かけ、興味を持った。継続的に通っているのは、絵に対する純粋な趣味。

 可能性二、意図。

 殿下は、王書庫の事件について、何らかの疑念を抱いている。彼女に接触し、情報を集めている。

 可能性三、私情。

 殿下は彼女に、個人的な関心を持っている。


 ドルグは椅子に戻った。

 もう一度、報告書を机の上に広げた。


 可能性一なら、放置でいい。趣味はいずれ冷める。

 可能性二は最も危険。シグルド殿下は、騎士団長として独自の調査権を持っている。本格的に動き始めたら、王立裁判所の管轄を超える。

 可能性三は、可能性二に転化する場合、危険。男が女に肩入れしたとき、男はその女のために調査を始める。


 ドルグの指が机の上で、こつこつと音を立てた。

 どの可能性でも、あの女がシグルド殿下とこれ以上近づくことを、許してはならない。

 彼は結論を下した。

 下しながら、もう一段、深い計算を始めた。


 彼女を消す。

 いま消す。


 王書庫の事件の余波が、まだ宮廷内で完全に消えていない時期に、彼女が「事故で死んだ」となれば、二つの効果が見込める。

 一つ目。彼女の口を永久に封じる。彼女がシグルド殿下に、何かを話す前に。

 二つ目。彼女の死を「魔女としての禁術行使の反動による事故」と、後付けで宣伝する。これは、王書庫の事件の犯人説を補強する効果を持つ。事件の真犯人探しを、世論の中で終わらせる。


 一石、二鳥だ。

 ドルグはそう結論した。


 * * *


 彼は執務室の呼び鈴を、二度、鳴らした。

 しばらくして、扉の外に人影が立った。

 ファルケンだった。

 ドルグは扉を内側から開け、ファルケンを招き入れた。扉を閉め、鍵をかけた。

 ファルケンが無言で頭を下げた。


 「ファルケン」

 「はい」

 「カレン・グレイファンを、消す」

 ファルケンはしばらく無言だった。

 それから、答えた。

 「……承知しました」

 ファルケンの「承知しました」は、王書庫の朝のときと同じ温度だった。

 驚きも、咎めも、何もない。仕事を引き受ける、という意思だけ。

 「方法は、事故に見せかけたい。具体的には、夜間の襲撃。彼女が宿に戻る経路上、人通りの少ない場所で、複数人による襲撃。死後、現場の術理痕跡を偽造する」

 「痕跡偽造は、王書庫のときと同じ手法ですか」

 「同じだ。痕跡偽造の術士は、前回と同じ二人を使え。口は固い」

 「金額は」

 「相場の倍を出せ。秘密保持代込みだ」

 「承知しました」

 ファルケンが頷いた。

 「実行人数は、何人を見込みますか」

 ドルグはすこし考えた。

 「相手は、無許可の術理行使を禁じられている、追放魔女だ。武装しているとは考えにくい。三人で十分だろう。傭兵崩れから選定しろ」

 「シグルド殿下の動向は」

 シグルド。

 その名前がまた、彼の中で嫌な響きで転がった。

 「殿下が、彼女と接触する時間帯は、午後だ。襲撃は、夜の宿への帰路で実施する。殿下が彼女の宿まで送るような夜があれば、その日は決行を見送れ」

 「もしも、殿下が襲撃の現場に居合わせた場合は」

 「居合わせた場合は」

 ドルグはしばらく黙った。

 それから、答えた。

 「殿下を傷つけるな。傷つけたら、すべてが終わる。彼女だけを殺せ」

 「承知しました」


 * * *


 ファルケンが退出した。

 扉が閉まった。

 ドルグはようやく、椅子の背に深くもたれた。


 彼は目を閉じた。

 閉じた瞼の裏に、ひとつの絵が浮かんだ。

 ひと月ほど前、王立裁判所の、あの石の部屋で、彼が初めて出会った娘の顔。

 十六歳。栗色の髪。すっきりした顔立ち。目が、こちらを観察するように見ていた。

 絵を描く目で。


 気に食わない。

 彼はもう何度目になるか分からない、その言葉を転がした。


 彼女の絵を描く目を、彼は警戒し続けてきた。

 警戒していた目を、彼の傍系王族としての立場で潰すことに、彼は決めた。

 王書庫の事件で、彼女を罪人にした。

 城下町に追放した。

 彼の手のひらの上、だったはずだった。

 けれど、彼女は手のひらの上で馴染んだ。あろうことか、シグルド殿下と、毎日、会うようになった。


 あの目を、潰す。

 ドルグは目を開けた。

 窓の外で、噴水の水音が相変わらず続いていた。

 彼は立ち上がって、窓辺に戻った。

 下を見下ろした。

 中庭の噴水の周りで、王宮の使用人たちが洗濯物を干していた。布が晩夏の風に揺れていた。

 日常の絵だった。

 ドルグはその日常の絵の中に、自分の姿がぴったりはまっていない、と感じていた。

 彼は王宮に生まれた。傍系として。生まれた瞬間から、本流の影に入っていた。マグナス陛下の影。シグルド殿下の影。アルデイン家本流の影。

 彼の人生は、影の中で、機会を待つ人生だった。


 * * *


 彼は机に戻り、引き出しの最奥を開けた。

 そこには、王書庫から持ち帰った、あの黒い革表紙の書物がしまわれていた。

 書物の表紙の銀の印が、ランプの光を薄く跳ね返した。

 彼は書物を開いた。

 開いた先は、〈八重の閉環〉の章。

 彼が暴発した、第五式の冒頭。

 ページに汗の染みが、まだ残っていた。


 彼はページをめくった。

 第六式。再生の祈り。傷を癒し、損なわれた身体を戻す祈り。

 次のページ。

 第七式。有機の祈り。対象の身体を強化する祈り。神の力を肉体に宿す祈り。

 次のページ。

 第八式。

 彼はページの中央の言葉を、声に出さずに読み上げた。

 囁きの祈り。

 他者の心の中に、直接、声を届ける祈り。


 八式は、信仰の最終形にして、禁忌中の禁忌だった。

 教会では、口伝でさえ語られない。古い禁術書の、数行の断片として残っているだけ。

 相手の精神に、こちらの言葉を直接書き込む。書き込まれた相手は、自分の意思で考えたと思い込む。

 あの人に、王座を譲ってほしいと思わせる。

 あの人に、剣を捨てさせる。

 あの人に、私を認めさせる。

 書物のページの上で、ドルグは自分の指先を軽く撫でた。

 八式が扱える術士になれば、傍系の枠は消える。

 彼の言葉は、相手の心に直接届く。

 マグナス陛下の心にも。

 シグルド殿下の心にも。

 いままで、自分を「傍系」として軽く扱ってきた、すべての人間の心にも。

 届いた瞬間に、彼らは私を軽く扱えなくなる。

 ドルグは書物を閉じた。

 閉じる動作が、ほんのわずか震えていた。


 彼は今日、第五式で暴発した。

 光の祈りで止まった。

 けれど、いつか必ず、第八式まで組み上げる。

 いまは、その前段階。

 シグルド殿下の動きを止める。

 カレン・グレイファンを消す。

 王書庫の事件を、世論から消す。

 そのうえで、もう一度、ここに戻る。

 次は暴発させない。

 次は、ちゃんと、第八式まで辿り着く。


 ドルグは書物を、引き出しの最奥に戻した。

 引き出しを閉めた。


 * * *


 夜になった。

 王宮の窓に、灯りがひとつずつ点っていった。

 ドルグの執務室の窓にも、灯りが点いた。

 彼はランプの光の下で、もう一通、書状を書いた。

 書状は、王立魔術学院の、学院長宛て。

 「最近の、術理の研究動向について、御助言を賜りたい」と、表向きの文面で。

 学院長は彼にとって、有用な情報源の一人だった。学院長は、近年の魔女・魔人候補の出現傾向をぜんぶ把握している。万一、シグルド殿下が、何らかの調査で学院長に近づいた場合、その情報はドルグに流れてくる仕組みだった。

 書状を封蝋で閉じ、明朝、使者で送る、という指示を机の上に置いた。

 彼はもう一度、椅子にもたれた。


 彼の心の中で、複数の絵が同時に動いていた。

 夜の城下町の路地。

 刺客が、彼女に近づく。

 彼女は画材を抱えて、宿に向かって歩いている。

 刺客が、彼女を囲む。

 彼女は術理を行使する権利を、奪われている。

 抵抗の手段がない。

 彼女はそこで終わる。


 彼はその絵を、繰り返し心の中で再生した。

 再生するたびに、心の片隅で、ほんのかすかな、何かがもぞもぞと動いた。

 罪悪感、と呼ぶには薄い。

 けれど、無、と呼ぶにはある。

 彼はその「もぞもぞ」を無視した。

 傍系王族として、生まれた以上、彼の人生に、もぞもぞは許されない。

 彼の生まれは、もぞもぞを拒絶することで機会をつかむ生まれだった。


 あの女は、絵を描く女だ。

 彼は自分に言い聞かせた。

 絵を描く女に消えてもらう。

 絵を描く目に消えてもらう。

 彼の中身を観察できる目に消えてもらう。


 いずれ、私が八式を扱える日が来る。

 その日に、私の言葉は誰の心にも届く。

 その日が来るまで、誰にも、私の中身を覗かせない。


 ――シグルド殿下、あなたが彼女を守るには間に合わない。

 ――明日の夜、もしくは、その次の夜。

 ――いずれ必ず、彼女は消える。


 灯りの下で、ドルグ・アルデインは、自分の手のひらをもう一度見た。

 手のひらは、まだ、すこし汗ばんでいた。

 彼はその汗を布で軽く拭った。

 拭ったあと、自分の指先で、自分の唇を軽くなぞった。

 唇は、八式の祈りを、まだ紡いだことがない唇だった。

 いつか必ず、紡ぐ。

 彼は自分の唇に約束した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ