第四章 段ボール
奏太は、引っ越しという言葉がきらいだった。
箱に入るものと、入らないものがあるからだ。
ゲーム機は入る。
夏休みの宿題も入る。
机の上の鉛筆立ても、学校でもらったプリントも、図工で作った紙粘土のペンギンも、入れようと思えば入る。
去年の花火大会でもらったうちわも入る。
端が折れていて、絵柄の金魚の目が少しはげているけれど、段ボールの隙間に差し込めば入る。
でも、公園のブランコは入らない。
放課後に集まる駄菓子屋の前の石段も入らない。
友だちの笑い声も、夏休みの朝に鳴く蝉の声も、体育館の裏にある秘密の抜け道も、箱には入らない。
それなのに大人は、引っ越しの前になると、なんでも箱に入れようとする。
「奏太、自分の机の中、今日中に終わらせてね」
母が台所から言った。
リビングには段ボールが積まれていた。
太い黒マジックで、『台所』『衣類』『洗面所』『奏太』と書かれている。
奏太の名前が書かれた箱は、三つあった。
三つで足りるのだろうか、と奏太は思った。
足りるのだろう。
入らないものは、初めから荷物ではないから。
「聞いてる?」
「聞いてる」
「今日中にね。明日は朝からバタバタするから」
「分かってる」
母は、少しだけ黙った。
その黙り方が、奏太には嫌だった。
怒っているわけではない。
悲しんでいるわけでもない。
でも、何かを飲み込んでいるような黙り方だった。
母は最近、よくそういう黙り方をする。
父と別れてから、母は奏太の前で泣かなくなった。
泣かなくなった代わりに、黙ることが増えた。
新しい町に行くことは、母が決めた。
けれど、母だけが悪いわけではないことを、奏太はなんとなく分かっている。
母の仕事。
家賃。
学校。
父と母が同じ家に住めなくなったこと。
大人の理由は、いつもいくつか重なっている。
一つだけなら文句を言えるのに、いくつも重なると、どれに怒ればいいのか分からなくなる。
だから奏太は、怒らないことにした。
怒らない代わりに、友だちに引っ越すことを言わなかった。
言えば、本当に終わってしまう気がしたからだ。
机の引き出しを開けると、いろいろなものが出てきた。
短くなった鉛筆。
消しゴムのかけら。
くしゃくしゃのテスト。
去年の席替えで隣になった悠真が描いた変な顔の落書き。
公園で拾った石。
使い終わったガチャガチャのカプセル。
いらないものばかりだった。
でも、いらないものばかりなのに、捨てようとすると手が止まる。
奏太は、ガチャガチャのカプセルを振った。
中には何も入っていない。
空っぽなのに、音だけがした。
下から母の声がした。
「奏太、ちょっと買い物行ける?」
「何を」
「ガムテープ、もう一本足りない。あと、ビニール紐。コンビニにあると思う」
「えー」
「お願い。帰りにアイス買ってきていいから」
アイス。
その言葉で、奏太は少しだけ動く気になった。
財布から小銭をもらい、玄関でサンダルを履く。
外へ出ると、八月の空気が顔にくっついた。
花火大会は、明日の夜だった。
町は、もういつもと違っていた。
電柱には交通規制の案内が貼られている。
商店街の入口には提灯が吊るされ、コンビニの前には、浴衣の女の人が立ち読みをしていた。屋台の車が、河川敷の方へゆっくり走っていく。
明日、悠真たちは花火を見に行く。
昨日、グループのメッセージでそう決まっていた。
『西橋の下、五時半な』
『場所取るから早く来いよ』
『奏太も来る?』
その画面を、奏太は何度も見た。
返信はしていない。
行けるかどうか分からなかった。
本当は、行けないと分かっていた。
明日の昼には荷物を出して、夜には新しい町のアパートへ向かう。花火大会の日に引っ越すなんて変だと思ったが、引っ越し屋の空きがそこしかなかったと母が言っていた。
奏太は、その説明を聞いていないふりをした。
コンビニで、ガムテープとビニール紐を買った。
余った小銭で、箱の氷菓子を一つ買う。
レモン味とソーダ味で迷って、ソーダ味にした。
レモンは、すっぱいから。
帰り道、奏太はいつもの道を外れた。
旧市街の方へ行くと、少し遠回りになる。
でも、倉本煙火店の前を通ることができる。
倉本煙火店は、古い花火の工房だった。
学校の社会科見学で、一度だけ行ったことがある。
そのとき、倉本というおじいさんが、花火玉の模型を見せてくれた。
「花火は、丸く作らないと丸く開かないんだ」
と言っていた。
奏太はそのとき、花火というものが夜空で急に生まれるのではなく、誰かの手で先に作られていることを初めて知った。
それが少し不思議だった。
空に上がる前の花火は、ただの丸い玉に見えた。
きれいでもないし、明るくもない。
でも、その中に夜空が入っている。
奏太は、それを思い出すのが好きだった。
工房の前まで来ると、軽バンが停まっていた。
黒いキャップをかぶった男の人が、工房の貼り紙を見ている。
車のボンネットの上には、青い封筒が置かれていた。
風が吹いた。
封筒の角が、ふわりと浮いた。
奏太は思わず言った。
「兄ちゃん、それ、落ちそう」
男の人が振り返った。
少し眠そうな目をした人だった。
でも、怖い人ではなさそうだった。
「それ。ありがとう」
奏太はボンネットに手を伸ばし、青い封筒を押さえた。
封筒は古かった。
表面が少し柔らかく、端が丸い。
指先で触ると、自分のものではないことがすぐに分かった。
人のものには、人のものの感じがある。
「これ?」
「それ」
奏太は封筒を両手で持って、男の人へ渡した。
「大事なやつ?」
「たぶん」
「たぶん?」
「俺のじゃないけど、大事なもの」
人のでも。
奏太は少し考えた。
自分のものではないのに、大事。
そういうものがあるのだろうか。
公園は、自分のものではない。
学校も、自分のものではない。
友だちだって、自分のものではない。
でも、大事だった。
なら、あるのかもしれない。
そのとき、足元で小さな音がした。
カツン、と何かが落ちた。
黒い小さなケースだった。
奏太はそれを拾った。
表面に英語が書いてある。
THE LOW TIDE。
英語は得意ではない。
ローマ字とも少し違う。
奏太は、読めるところだけ読もうとした。
「ざ、ろう……?」
「読まなくていい」
男の人が、少し強い声で言った。
奏太はびくっとした。
「ごめんなさい」
「いや、こっちこそ。悪い」
男の人はケースを受け取った。
その顔が、さっきより少しだけ変わっていた。
怒っているのではなかった。
でも、痛いところを触られたような顔だった。
奏太はその顔を見て、ケースの中身がただのものではないのだと思った。
「ギターのやつですか」
聞いてから、また怒られるかもしれないと思った。
けれど男の人は怒らなかった。
「昔な」
昔。
その言葉は、奏太には少し変に聞こえた。
昔という言葉を大人はよく使う。
昔はこうだった。
昔はああだった。
昔はよかった。
昔は大変だった。
でも、昔になったものは、どうなるのだろう。
いらなくなるのだろうか。
箱に入れて、どこかへ置いていくのだろうか。
「昔って、もういらないってこと?」
男の人は、すぐに答えなかった。
奏太は、また余計なことを言ったのかもしれないと思った。
でも男の人は、少ししてから言った。
「いらないわけじゃない」
「じゃあ、いるの?」
男の人は笑いそうな顔をして、笑わなかった。
「そういうのが、一番困るんだよ」
「へんなの」
「大人は変なんだよ」
「知ってる」
奏太がそう言うと、男の人は今度は少し笑った。
「名前は?」
「奏太」
「そっか。奏太」
「そっちは?」
「遼」
「りょう」
名前を聞いても、たぶんもう会わない人だった。
でも、名前を知らないよりは少しだけ近くなった気がした。
遠くで雷が鳴った。
奏太は空を見た。
黒い雲が、海の方から近づいている。
氷菓子の箱が入ったコンビニ袋を握り直すと、箱の角が少し柔らかくなっていた。
「それ、溶けるぞ」
遼が言った。
「うん」
「帰れよ」
「帰るけど」
奏太は、なぜかすぐに歩き出せなかった。
青い封筒が気になった。
「それ、どうするの」
「どれ」
「人のだけど大事なやつ」
遼は工房の貼り紙を見た。
『花火大会準備のため不在にしております。
御用の方は、河川敷打ち上げ本部までお願いいたします』
奏太もその文字を見た。
漢字が多くて全部は読めない。
でも、本部という言葉だけ分かった。花火大会の準備をしている場所だ。
「本部まで届けたいけど、仕事が詰まってる」
「届けないの?」
「届けるよ」
遼はそう言った。
少し前まで迷っていたように見えたのに、そのときは迷っていない声だった。
奏太は、なんとなく安心した。
届くのだと思った。
自分のものではないけれど、大事なもの。
それが、どこかへちゃんと届く。
そういうことがあるのだと思った。
路地の向こうから、タクシーが来た。
遼が手を上げる。
タクシーが停まる。
「これ、倉本煙火店あてです。工房が閉まってて、本部へって貼ってあったんで」
遼が青い封筒を運転手に渡す。
運転手は少しだけ封筒を見て、それから受け取った。
「分かった。預かる」
それだけだった。
簡単だった。
こんなに簡単に、ものは誰かの手へ渡っていく。
でも、簡単に見えるだけで、ちゃんと誰かが渡さないと届かない。
奏太は、タクシーが曲がり角を消えるまで見ていた。
「届く?」
聞くと、遼は言った。
「届く」
たぶん、ではなかった。
届く。
その言葉が、奏太の胸の中に小さく残った。
遼は自販機でレモン味の棒アイスを買ってくれた。
「これ、さっきの礼」
「いらない」
「じゃあ俺が食う」
「食べれば」
「俺が食うには、もう似合わない」
「アイスに似合うとかあるの?」
「あるんだよ、大人には」
「やっぱり変」
そう言いながら、奏太はアイスを受け取った。
袋を破って、少しだけかじる。
すっぱかった。
レモンにすればよかったかもしれないと思った。
いや、やっぱりソーダの方がよかった。
でも、レモンも悪くなかった。
雨の最初の粒が落ちた。
大きな粒だった。
「帰れ」
遼が言った。
奏太は走り出した。
途中で一度だけ振り返る。
遼は、ポケットの上からあの黒いケースを押さえていた。
「ピック、落とすなよ」
そう言うと、遼は返事をしなかった。
でも、聞こえていたと思う。
雨はすぐに強くなった。
奏太はコンビニ袋を抱え、レモンアイスを半分かじったまま走った。
手はべたべたになった。
箱の氷菓子は、たぶん少し溶けた。
家に着くと、母が玄関で驚いた顔をした。
「奏太、びしょびしょじゃない」
「雨が降った」
「分かってる。早くタオル」
母は、怒る前にタオルを取ってきた。
その順番が、奏太には少し嬉しかった。
嬉しいと思ったことを知られたくなくて、顔を拭くふりをした。
「アイス、溶けてない?」
「ちょっとだけ」
「冷凍庫入れて。あと、服着替えて」
「うん」
母は、奏太の濡れた髪を見て、少しだけ手を止めた。
「友だちには、ちゃんと言った?」
奏太は、冷凍庫の扉を開けながら言った。
「何を」
「引っ越すこと」
冷凍庫の冷たい空気が、腕に当たった。
「言った」
嘘だった。
母は、少しだけ黙った。
「そう」
その「そう」は、信じた「そう」ではなかった。
でも、追いかけてこない「そう」だった。
奏太は氷菓子の箱を冷凍庫に入れた。
レモンアイスの味が、まだ舌に残っていた。
夜、自分の部屋で荷造りを続けた。
雨は止んでいた。
窓を開けると、濡れたアスファルトの匂いが入ってくる。
机の上に、スマートフォンがあった。
母のお古を見守り用に持たされているものだ。
ゲームは少ししか入っていない。メッセージも、母と父と、友だち数人だけ。
画面を開くと、悠真からのメッセージが来ていた。
『明日、五時半でいいよな?』
健太も送っていた。
『西橋の下、先に行ってる』
その下に、悠真。
『奏太、見てる?』
見ている。
でも、返事はしなかった。
返事をすれば、言わなければならない。
言わなければ、まだ明日が来ないような気がした。
奏太は、画面を閉じた。
段ボールに、最後のノートを入れる。
箱の中で、ノートの角が少し折れた。
奏太はそれを直そうとして、やめた。
どうせ運ばれる。
どうせ少し傷つく。
でも、箱に入れたものは、少なくとも持っていける。
スマートフォンは、机の上に置いたままだった。
入らないものが、部屋の中に多すぎた。
**********
花火大会の日、朝から家はうるさかった。
引っ越し屋の人が来て、段ボールを次々に運び出した。
冷蔵庫の裏のほこりを見て、母が小さくため息をついた。
洗面所の棚から、誰のものか分からない歯ブラシが出てきた。
奏太は、自分の名前が書かれた段ボールがトラックに積まれていくのを見ていた。
『奏太』
黒い字が、段ボールの横で揺れる。
あの箱の中に、自分が入っているみたいだった。
昼すぎには、部屋が空っぽになった。
家具の跡だけが床に残っている。
机があった場所は、日焼けしていなかったせいで周りより少しだけ色が薄い。
奏太はそこに座った。
座っても、何もなかった。
母がドアのところに立った。
「少し休む?」
「平気」
「花火、ちゃんと見られなくてごめんね」
「別に」
別に、ではなかった。
でも、母に謝られると、奏太は何も言えなくなる。
母が悪いわけではない。
でも、悪い人がいないのに悲しいことは、どうすればいいのか分からない。
夕方、母の軽自動車に最後の荷物を積んだ。
後部座席には、奏太のリュック、母の鞄、鉢植えが一つ、掃除道具、冷凍庫に入っていた溶けかけの氷菓子の箱が保冷バッグに入って置かれていた。
母は運転席に座り、しばらくハンドルを握っていた。
「行こうか」
「うん」
車が動き出した。
家の前の道を曲がる。
通学路を抜ける。
いつもの公園の前を通る。
ブランコは空いていた。
誰も乗っていないのに、片方だけ少し揺れていた。
風のせいだと思った。
スマートフォンが震えた。
悠真からだった。
『どこ?』
健太からも来ていた。
『始まる前に来いよ』
奏太は画面を見つめた。
指を動かす。
『行けない』
そこまで打って、消した。
行けないだけなら、風邪みたいだった。
用事みたいだった。
明日も学校で会えるみたいだった。
本当は違う。
車は、花火大会の交通規制を避けるために、川沿いの外れの道へ入った。
それでも道は混んでいた。
浴衣姿の人たちが歩道を歩いている。子どもが光る腕輪を振っている。屋台の明かりが、遠くににじんで見えた。
空が暗くなった。
車の窓を少し開けると、夏の夜の匂いが入ってきた。
汗。
川の水。
屋台の油。
遠くで焼けるとうもろこしの匂い。
凪浜の花火大会の匂いだった。
最初の花火が上がった。
車の中からだと、全部は見えない。
橋の欄干や、建物の屋根や、電線の隙間から、光だけが切れ切れに見えた。
母が少しスピードを落とした。
「見えるね」
「うん」
「少し、ゆっくり行こうか」
「渋滞してるだけじゃん」
「そうとも言う」
母は前を見たまま、少し笑った。
奏太は窓の外を見た。
赤い花火が開く。
音が遅れて届く。
金色の光が、川の上で少しだけ揺れる。
去年は、西橋の下で見た。
悠真が屋台で買ったたこ焼きを落として、健太が笑いすぎてむせた。奏太はソーダ味のかき氷を食べた。舌が青くなって、三人で見せ合った。
来年も、そうなると思っていた。
来年という言葉は、勝手に来るものだと思っていた。
スマートフォンがまた震えた。
『奏太、ほんとに来ないの?』
悠真だった。
奏太は、画面を閉じようとした。
そのとき、昨日の遼の声を思い出した。
『届く』
青い封筒。
人のだけど、大事なもの。
ちゃんと渡さないと届かないもの。
言葉も、そうなのかもしれない。
思っているだけでは届かない。
言わないまま箱に入れても、誰にも届かない。
奏太はスマートフォンを握り直した。
車は川沿いでほとんど止まっていた。
前の車のテールランプが赤く光っている。
母は何も言わなかった。
奏太は、メッセージを打った。
『ほんとは、今日引っ越す』
一度、指が止まった。
その文字を見ると、胸の奥が痛くなった。
でも、消さなかった。
続けて打つ。
『言えなくてごめん』
また止まる。
花火の音がした。
画面が少しにじんで見えた。
泣いていることに気づかれたくなくて、奏太は窓の方を向いた。
最後に、もう一行打った。
『でも、来年の花火、また見に来たい』
送信ボタンを押す。
それだけで、指先が少し冷たくなった。
すぐに既読がついた。
早すぎると思った。
最初に健太から返ってきた。
『は?』
次に悠真。
『なんで今言うんだよ』
健太。
『ばか』
奏太は、画面を見たまま動けなかった。
怒っている。
当然だと思った。
でも、怒ってくれたことが、少しだけ嬉しかった。
どうでもいいと思っていたら、怒らない。
たぶん。
またメッセージが来た。
悠真だった。
『じゃあ来年、西橋な』
続いて、健太。
『場所取っとく』
そのあと、少し間があった。
悠真から、もう一つ。
『絶対来いよ』
奏太は、今度ははっきり泣いた。
声は出さなかった。
でも、涙は勝手に出た。
母が横目で見た。
「奏太?」
「別に」
「うん」
母は、それ以上聞かなかった。
聞かれたら困ることを、聞かないでいてくれることがある。
奏太はそれを、初めて少しだけありがたいと思った。
夜空が、少し長く暗くなった。
それまで続いていた光の間に、深い間ができた。
町のざわめきも、車のエンジン音も、どこか遠くへ行ったように感じた。
奏太は、顔を上げた。
青い光が開いた。
窓の向こう、川の上の空に、ゆっくりと。
それは、さっきまでの花火より大きいかどうか、奏太には分からなかった。
でも、目を離せなかった。
青い光の周りに、白い輪が広がる。
その外側から、金色の細い光が降っていく。
雨みたいだった。
昨日の夕立ちとは違う。
濡らすためではなく、何かを空から返してくれるような雨だった。
奏太は、青い封筒を思い出した。
あれは届いただろうか。
たぶん届いた。
いや、遼が言ったから、届いたのだと思いたかった。
自分の言葉も、届いただろうか。
画面を見る。
悠真と健太のメッセージが、そこにあった。
『場所取っとく』
奏太は、返事を打った。
『うん』
短すぎる気がして、もう一つ打つ。
『レモンアイス買ってく』
健太からすぐに返事が来た。
『ソーダがいい』
悠真も送ってきた。
『両方』
奏太は、泣きながら少し笑った。
花火はもう消えていた。
窓の外では、凪浜の町が少しずつ後ろへ流れていく。
公園も、学校も、商店街も、倉本煙火店のある旧市街も、見えない場所へ遠ざかっていく。
でも、全部なくなったわけではない。
箱に入らなかったものが、どこかへ消えるわけではない。
西橋の下。
来年。
場所取っとく。
その言葉だけが、段ボールに入れなくても持っていけるものみたいに、奏太の胸の中に残った。
母が言った。
「窓、閉める? 冷えるよ」
奏太は首を振った。
「もう少し」
夜の風が、涙の跡を少し乾かした。
舌の奥には、昨日のレモンアイスのすっぱさが、まだほんの少しだけ残っている気がした。




