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【完結】告白したら振られたのに、クールな先輩が俺の資産管理を始めた  作者: 木風


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9/20

第9話 風邪を引いたら先輩が来た

 金曜日の朝、目を開けた瞬間に終わったと思った。


 喉が痛い。

 頭が重い。

 関節が、誰かに勝手に分解されて雑に組み直されたみたいに軋んでいる。

 枕元のスマホを手探りで掴み、画面を見る。


 七時二十二分。

 いつもなら、あと八分で起きる時間だ。

 いや、今日は無理だ。

 明らかに無理だ。


「……詰んだ」


 声に出したつもりだったが、出てきたのは掠れた息だけだった。

 昨日は少し遅くまで作業していた。

 本業のUI改修案の差し戻し対応。副業の表紙ラフ修正。さらに、氷室怜奈さんに出された生活防衛資金の試算。

 家計簿アプリとスプレッドシートを行ったり来たりしているうちに、気づけば深夜二時を過ぎていた。

 暖房をつけたまま、ソファで寝落ちした。


 そして今に至る。

 完全に自業自得だった。

 俺は布団の中でスマホを操作し、会社の勤怠連絡を入れた。


『発熱と喉の痛みがあるため、本日お休みします。関係各所への共有は済ませます』


 送信。

 数分後、直属の上司から返信が来る。


『了解。お大事に。今日のレビューは来週に回します』


 ありがたい。

 次に、チームチャットへ最低限の引き継ぎを流す。

 そこでスマホを置くつもりだった。

 だが、通知が一件増えた。

 氷室さんからだった。


『体調不良と聞きました。熱は何度ですか』


 なぜ知っている。

 いや、チームチャットを見たのだろう。氷室さんも同じプロジェクトの関係者だ。


 俺は体温計を脇に挟んだ。

 待つ。

 ピピピ、と鳴る。

 三十八度二分。


 うん。

 完全に終わっている。


『38.2です。寝ます』


 すぐに既読がついた。


『病院は?』

『市販薬で様子見ようかと』

『喉が痛いなら診てもらった方がいいです。今日、近所の内科は開いていますか』


 開いているかどうかも知らない。

 俺は布団の中で検索しようとして、途中で面倒になり、目を閉じた。


 だめだ。

 頭が働かない。


 数分後、スマホが鳴った。

 通話だった。

 相手は氷室さん。

 俺は一瞬、飛び起きそうになったが、体がついてこなかった。


「……はい」

『声がひどいわね』

「朝イチでディスらないでください」

『ディスではなく観測よ。今、ひとり?』

「ひとりです」

『水分は?』

「たぶん、あります」

『たぶん?』

「冷蔵庫に、炭酸水が」

『発熱時に炭酸水だけで乗り切ろうとしているの?』

「シュワっとして気分が」

『今すぐ普通の水か経口補水系のものを飲んで』

「家にないです」


 電話の向こうで、氷室さんが小さく息を吐いた。


『わかりました。住所を送って』

「え?」

『差し入れを置いていきます。玄関前に置いたら連絡するから、無理に出なくていいわ』

「いや、そこまでしなくても」

『高瀬くん』

「はい」

『病人は判断力が落ちるの。今のあなたは特に』

「特にって」

『住所』


 逆らえなかった。

 俺はぼんやりした頭で住所を送った。

 送ってから、急に別の意味で熱が上がった。


 待て。

 氷室さんが、うちに来る。

 俺の部屋に。

 いや、玄関前に差し入れを置くだけだと言っていた。


 入るわけではない。

 入るわけではないが、玄関を開けた時、部屋の中が見える可能性がある。

 俺はゆっくり視線を巡らせた。

 部屋は、終わっていた。


 おしゃれな部屋にしようという意志だけはある。


 ウォールナットのローテーブル。

 間接照明。

 少し高かったソファ。

 観葉植物。

 壁には好きなゲームのアートポスター。


 だが、現実は厳しい。


 テーブルには領収書の束。

 床には脱いだパーカー。

 デスクにはコーヒーカップ。

 ソファの上にはブランケットと読みかけの資料集。

 キッチンのシンクにはマグカップとグラス。


 雑。

 とても雑。


「……死ぬ」


 俺は布団から這い出ようとした。

 しかし、立ち上がった瞬間に世界が傾いた。


 無理だった。

 俺はそのまま布団に戻った。

 部屋の惨状より、命が大事。

 たぶん。


 それから一時間ほど、俺は眠ったり起きたりを繰り返した。

 インターホンが鳴ったのは、午前十時過ぎだった。

 スマホにも通知が来る。


『玄関前に置きました。出られますか』


 俺はよろよろと起き上がり、玄関まで歩いた。

 ドアを開ける。

 そこには、紙袋が二つ置かれていた。


 経口補水液。

 スポーツドリンク。

 ゼリー飲料。

 冷却シート。

 のど飴。

 レトルトのお粥。

 小分けのうどん。

 ティッシュ。

 マスク。

 解熱鎮痛薬。


 完璧だった。

 完璧すぎて怖い。


「……氷室さん、災害対策本部?」


 小さく呟いた時、廊下の角から本人が戻ってきた。

 帰ったと思っていたのに。

 黒いコートの襟元で、髪はベージュのシュシュでゆるくひとつにまとめられていた。

 手には追加の小さな袋を持っている。


「起きられたのね」

「あ、はい。ありがとうございます。すみません、こんなに」

「薬局で必要そうなものを買っただけよ」

「必要そうなものの精度が高すぎます」

「一人暮らしの発熱で必要なものは、だいたい決まっているわ」

「経験者ですか」

「まあね」


 氷室さんは俺の顔を見て、少し眉を寄せた。


「顔色が悪いわ」

「もともと色白イケメンなので」

「冗談が出るなら、意識はあるわね」

「ひどい判定」

「病院、行けそう?」

「今からですか」

「午前診に間に合うところが近くにあるわ。調べた」

「調べた?」

「この辺りの内科を三件。口コミと診療時間も見た」

「仕事が早い」


 俺はドア枠にもたれた。

 正直、外に出るのはしんどい。

 しかし氷室さんの目は、完全に行かせる気だった。


「わかりました。行きます」

「歩ける?」

「たぶん」

「たぶんは禁止」

「歩けます」


 氷室さんは一瞬だけ迷うように視線を落とした。


「タクシーを呼びます」

「そこまでしなくても、歩いて十分くらいなら」

「発熱時に無理をしない」

「はい」

「あと、保険証と診察券。お薬手帳があればそれも」

「あります。たぶん」

「たぶん」

「探します」


 俺は玄関から部屋へ戻ろうとして、ふと気づいた。

 ドアを開けっぱなしにしている。

 そして、氷室さんの位置から、部屋の中がけっこう見えている。


 領収書の束。

 床のパーカー。

 ソファの上のブランケット。

 デスクのコーヒーカップ。


 終わった。

 俺の生活感が、すべて開示された。


「……見ました?」

「少し」

「忘れてください」

「無理ね」

「でしょうね」


 氷室さんは静かに言った。


「でも、思っていたよりは片付いているわ」

「それ、褒めてます?」

「想定が低かっただけ」

「俺の信用が底値」

「今から上げればいいわ」


 その言い方が優しくて、俺は風邪で弱った情緒に直撃を受けた。

 やめてほしい。

 発熱時の好意は、通常時より三倍くらい効く。


 病院では、喉の炎症と風邪症状だろうということで薬を処方された。

 インフルエンザなどの検査も必要に応じて確認し、ひとまず自宅で休むことになった。

 会計を済ませ、処方箋を持って薬局へ向かう。

 氷室さんは付き添いながら、必要以上に近づきすぎず、でも俺がふらつくとすぐ支えられる距離にいた。


 その距離感が、やばい。

 甘すぎない。

 でも、冷たくもない。

ブックマーク、★★★★★、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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