第3話 先輩にサブスクを切られる
月曜日の昼休み。
俺は社員食堂の隅の席で、人生の終わりみたいな顔をしていた。
目の前には、定食の唐揚げ。
隣には、ノートPCを開いた氷室怜奈さん。
そして俺のスマホには、先週金曜の夜に入れられた家計簿アプリがある。
「では、始めましょう」
氷室さんは、唐揚げ定食に箸をつけるより先にそう言った。
「いただきます、より先に監査が始まることあります?」
「食べながらでいいわ」
「食欲が消えます」
「家計の現実を見れば、余計な食欲は抑えられるかもしれない」
「ダイエットアプリじゃないんですよ」
俺は笑おうとしたが、氷室さんは笑わなかった。
金曜の夜、俺はこの人に告白した。
そして振られた。
その直後、限定キーボードとスニーカーを衝動買いしようとしているところを見つかり、なぜか家計簿アプリを入れられた。
そこまでは、まあいい。
いや、よくはないが、まだわかる。
問題は、振られた相手と月曜の昼休みに向かい合い、自分の支出を開示しているこの状況だ。
気まずい。
死ぬほど気まずい。
なのに氷室さんは、普段通りだった。
今日は耳上の髪だけをすくったハーフアップに、白いブラウスにグレーのカーディガン。
細いフレームの眼鏡をかけているせいで、いつもより少しだけ仕事モードが強い。
きれいだな、と思ってしまう。
振られたばかりなのに。
本当に俺の情緒はゆるい。
「高瀬くん」
「はい」
「今、何を考えていたの?」
「唐揚げが冷めるな、と」
「なら、食べながら答えて」
「はい……」
俺は唐揚げをひとつ口に入れた。
揚げたてでうまい。
うまいが、これから俺のサブスクが処刑されると思うと、味が遠い。
「まず、固定費から見ます」
「固定費」
「家賃、通信費、保険、サブスク。あなたの場合、特にサブスク」
「なんでそんなにサブスクを敵視するんですか」
「敵視しているわけではないわ。放置されている固定費は、静かに可処分所得を削るから嫌いなだけ」
「十分敵視してます」
氷室さんは俺の抗議を流し、ノートPCに表を出した。
「昨日の夜までに、契約中のサブスクを一覧にして送ってと言ったわよね」
「送りました」
「見ました」
「はい」
「多すぎる」
即断だった。
「そんなにですか?」
「動画配信が五つ」
「それぞれ強みがあります」
「音楽配信が二つ」
「片方はプレイリストが優秀で、もう片方は音質が」
「クラウドストレージが三つ」
「仕事用と創作用と、昔から使ってるやつで」
「素材サイト、写真素材サイト、アイコン素材サイト、フォントサービス、AIツール、有料メモアプリ、タスク管理アプリ、英会話アプリ、フィットネスアプリ」
「俺、意識高いですね」
「継続利用していればね」
氷室さんの指が、表の一行を指した。
「この英会話アプリ、最後に開いたのは?」
「えっと……」
「アプリの利用履歴を見て」
俺はスマホを操作した。
最終起動日。
三か月前。
「……人には、学びたい気持ちだけが先行する時期があります」
「月額千四百八十円」
「切ります」
「次。フィットネスアプリ」
「それは健康への投資で」
「最後に開いたのは?」
「四か月前です」
「月額九百八十円」
「切ります」
「次。有料メモアプリ」
「これは使ってます。小説のネタとか、UIのメモとか」
「使用頻度は高い?」
「高いです。毎日ではないけど、週三くらい」
「なら残す」
「えっ」
俺は思わず顔を上げた。
「残していいんですか?」
「必要なものまで切るとは言っていないわ」
「氷室さん、意外と優しい」
「意外とは余計」
「すみません」
氷室さんは淡々と表に印をつけていく。
切るもの。
残すもの。
一時停止するもの。
同系統のサービスを比較して一本化するもの。
その判断に、迷いがない。
けれど、乱暴ではなかった。
俺が「これは仕事にも使っている」と説明すると、氷室さんは必ず内容を聞いた。
実際に使っているか、代替できるか、月額に見合う価値があるか。
ただ金額だけを見て削っているわけではない。
俺が何を大事にしているかを、ちゃんと見ようとしている。
「このフォントサービスは?」
「残したいです」
「理由は?」
「副業の表紙デザインで使うので。商用利用できるフォントが揃ってるし、買い切りより今は月額の方が助かる時があります」
「使用履歴は?」
「先月も二件使いました」
「収入につながっている?」
「はい」
「なら残す」
氷室さんがそう言った瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。
この人は、俺の好きなものを全部否定したいわけじゃない。
ただ、見ている。
俺以上に、俺の支出を。
「じゃあ、この動画配信サービスは?」
「それは……」
「使用頻度は?」
「月に一回くらい」
「何を見るの?」
「推しが出た時だけ」
「毎月契約している必要は?」
「ありません」
「切りましょう」
「はい……」
俺はスマホを操作して、解約ページを開いた。
だが、そこからが長かった。
本当に解約しますか。
今なら三か月割引です。
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解約理由を教えてください。
「必死に引き止めてきます」
「そういうものよ」
「俺がいなくなるの寂しいんですかね」
「月額料金がいなくなるのが寂しいのよ」
「現実的」
ようやく解約を押した瞬間、妙な罪悪感があった。
長年付き合った相手と別れるような。
いや、月に一回しか会っていない相手なのだが。
「高瀬くん」
「はい」
「今、何を感じている?」
「喪失感です」
「その喪失感に、月額千二百円の価値はある?」
「……ありません」
「なら大丈夫」
大丈夫とは。
俺は小さく息を吐き、唐揚げをもうひとつ口に入れた。
さっきより味がした。
「でも、こうやって見ると、俺けっこう無駄に払ってますね」
「月額は少額に見えるから、危機感が薄くなるの」
「一個一個はコンビニの昼飯くらいですもんね」
「でも、合計すると?」
氷室さんが表の合計欄を指した。
解約候補だけで、月一万六千七百四十円。
年間で、二十万八百八十円。
「うわ」
思わず声が出た。
「年間二十万」
「そう」
「二十万あったら、かなりいい椅子買えますね」
「そこ?」
「すみません。生活防衛資金にします」
「よろしい」
氷室さんが、ほんの少しだけ満足そうに頷いた。
その顔がかわいく見えてしまって、俺は慌てて味噌汁を飲んだ。
危ない。
この人は俺を振った人だ。
俺のサブスクを切っている人だ。
それなのに、たまに見せる小さな表情の変化で、簡単にこっちの心を持っていく。
不公平すぎる。
「次、ゲーム関連」
「そこは聖域では?」
「聖域ほど監査が必要よ」
「神社に税務調査入れるみたいなこと言いますね」
「宗教法人にも会計はあるわ」
「勝てない」
俺は観念して、ゲーム関連の月額パスを開いた。
毎日ログインボーナスがあるもの。
限定報酬がもらえるもの。
推しキャラの衣装が月替わりで手に入るもの。
気づけば三つ契約していた。
「全部使っているの?」
「使っている、というか、ログインはしてます」
「楽しんでいる?」
「……義務になってるかもしれません」
「なら、一つに絞りましょう」
「でも限定衣装が」
「その限定衣装を見る時間は?」
「月に二回くらい」
「月額は?」
「千五百円」
「一回七百五十円の鑑賞料ね」
「急に高く感じる」
「数字にすると見えることがあるの」
氷室さんはそう言って、自分の定食の焼き魚をきれいにほぐした。
俺はその手元を見ながら、なんとなく聞いた。
「氷室さんは、サブスクとか入ってないんですか?」
「入っているわ」
「え、意外」
「動画配信をひとつ、音楽をひとつ、クラウドをひとつ。あと、家計簿アプリの有料版」
「模範解答みたいな構成」
「必要だから払っているだけ」
「じゃあ、趣味にはお金使わないんですか?」
氷室さんの箸が、少しだけ止まった。
ほんのわずかだったが、俺にはわかった。
踏み込みすぎたかもしれない。
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