第13話 税理士の息子が現れた
ふるさと納税の返礼品は、思っていたより早く届いた。
十二月下旬。
仕事納めまであと少しという時期に、俺の部屋には米とコーヒー豆と冷凍惣菜が順番に到着した。
米。
重い。
ものすごく現実的に重い。
だが、段ボールを開けた瞬間、妙な達成感があった。
今までの俺なら、同じ金額で肉かカニか限定ガジェット系の返礼品を選んでいたと思う。
でも今回は違う。
俺はちゃんと冷凍庫の空きを確認した。
控除上限額の目安も見た。
氷室さんに言われた通り、寄附金受領証明書を確定申告用フォルダに入れた。
えらい。
俺は、かなりえらい。
自分で自分を褒めながら、届いたコーヒー豆の袋を開ける。
ふわっと香ばしい匂いが広がった。
ブラックで飲みやすい、少し酸味のある豆。
氷室さんが「ブラックなら」と言っていたのを思い出して選んだ。
たったそれだけなのに、豆を挽く手が少し緊張する。
翌日。
俺は会社に、小さな密閉容器に入れたコーヒー豆を持っていった。
会社の給湯スペースには簡易のコーヒーメーカーがある。誰でも使えるが、豆を持ち込む人はあまりいない。
昼休みの少し前、俺は氷室さんにチャットを送った。
『返礼品のコーヒー豆、持ってきました。よかったら昼休みに淹れます』
数分後、既読がついた。
『ありがとう。お願いします』
『お願いします』
たった六文字なのに、俺は朝からかなり機嫌がよくなった。
単純だ。
単純すぎる。
だが、単純な人間にも良いところはある。
褒められれば伸びる。
好きな人に『お願いします』と言われれば、午後のレビュー資料だって三割増しで丁寧に作れる。
昼休み、給湯スペースでコーヒーを淹れていると、氷室さんがやって来た。
髪をゆるいハーフアップにしていて、耳元で小さなゴールドのピアスが光っていた。
今日は少しだけ柔らかい雰囲気で、仕事納め前の社内の空気に馴染んでいた。
「いい香りね」
「ですよね」
俺は思わず笑った。
「これ、先輩がブラックで飲めるやつを選びました」
「私基準?」
「あ、いや、せっかくなら一緒に飲める方がいいかなと」
「そう」
氷室さんは、マグカップを差し出した。
俺はそこにコーヒーを注ぐ。
湯気が立ち上がる。
氷室さんは一口飲んで、少しだけ目を細めた。
「おいしい」
その瞬間、俺は内心でガッツポーズした。
ふるさと納税、最高。
米もいい。
コーヒー豆もいい。
生活を選ぶって、悪くない。
「高瀬くん」
「はい」
「顔に出ているわ」
「何がですか」
「褒められて嬉しい、という顔」
「出ますよ。嬉しいので」
「そう」
氷室さんは小さく笑った。
それだけで、俺の生活防衛資金に利息がついた気がした。
その時だった。
給湯スペースの入口から、事業管理部の女性社員が顔を出した。
「あ、氷室さん。お母さまからまたお電話ありましたよ」
氷室さんの表情が、一瞬で凍った。
いや、普段から涼しげではある。
でも今のは、明らかに違った。
笑っていた空気が、すっと消えた。
「……ありがとうございます。あとで折り返します」
「例の、税理士さんの息子さんの件ですか? 年末だから予定だけでもって言ってましたけど」
俺の手が止まった。
税理士さんの息子。
予定。
何だそれ。
事業管理部の女性は、俺がいることに気づくと「あ」と少し気まずそうな顔をした。
「すみません、お邪魔しました」
「いえ」
氷室さんは短く答えた。
女性社員が去ったあと、給湯スペースには微妙な沈黙が残った。
コーヒーの香りだけが、やけにのんきに漂っている。
「子離れができてないっていうのか、母は私が携帯に出ないと、すぐ会社にまで電話してくるのよね」
「そう、なんですか。あの……」
俺は、言うべきか迷った。
でも、聞かずにいられなかった。
「税理士さんの息子さんって」
「母の知り合いの息子さん」
氷室さんは、何でもないように言った。
「食事に行かないかと言われているだけよ」
「食事」
「そう」
「それって、見合い的なやつですか」
「大げさなものではないわ」
「でも、税理士さんの息子さん」
「そこを二回言わなくていいわ」
「すみません」
俺はマグカップを握りしめた。
熱い。
コーヒーが熱いのか、手のひらが熱いのか、よくわからない。
「行くんですか」
聞いた瞬間、自分でも声が少し硬いと思った。
氷室さんが俺を見る。
「まだ決めていないわ」
「そうですか」
「条件としては悪くないらしいから、母は乗り気だけど」
条件。
その言葉が、胸に刺さった。
条件なら、たぶん俺はかなり弱い。
相手は税理士さんの息子。
たぶん、お金に強い。
確定申告もできる。
ふるさと納税も、NISAも、iDeCoも、医療費控除も、領収書整理も、全部当然のようにできるのだろう。
失恋直後に十二万五千八百円の買い物をしようとしたりしない。
サブスクを七つ切られたりしない。
推しのアクスタを経費にしようとして論外と言われたりしない。
「俺、税理士には勝てなくないですか」
ぽろっと出た。
氷室さんが瞬きをした。
「勝ち負けの話ではないわ」
「いや、だって相手、最初から確定申告できる男ですよね」
「その基準なら、あなたはかなり不利ね」
「ぐうの音も出ない」
俺はうなだれた。
氷室さんが少しだけ笑う。
でも、その笑いはすぐ消えた。
「高瀬くん」
「はい」
「あなたと、その人を比べる話ではないわ」
「……はい」
「それに、私はまだ行くとも言っていない」
「でも、断ってもいないですよね」
言ってから、しまったと思った。
口調が少し責めるみたいになった。
俺にそんな権利はない。
俺は、振られた後輩だ。
恋人でも何でもない。
氷室さんが誰と食事に行こうと、俺が口を出せる立場ではない。
「すみません」
俺はすぐに頭を下げた。
「今の、俺が言うことじゃなかったです」
氷室さんは黙っていた。
俺は顔を上げられなかった。
「高瀬くん」
「はい」
「あなたは、どうしてそんなに焦っているの?」
静かな声だった。
責めてはいない。
ただ、確認しているだけ。
だからこそ、逃げられなかった。
「先輩が、誰かのものになるかもしれないって思ったら、普通に嫌でした」
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