第7話 うれしいの在り処
朝、わたくしの部屋に、王家の紋の入った箱が5つ運び込まれた。
運んできた侍従は全員が青い顔をしていて、置いたあとすぐに壁際まで下がり、そこから動かない。持ち場に戻ってよいとも言われていないらしく、手を前で組んだまま床を見ている。
眠っていない目には、箱の金具が光りすぎた。夜のあいだに書いた9枚の頁は机の隅に伏せてある。
「今日はうれしいを取りに行く」
殿下は箱の一つを開けた。
天鵞絨の上に、指輪と首飾りが並んでいる。朝の光が当たって、石の内側で色が割れた。
「好きなの選んで。全部でもいい」
わたくしは近くの一つを手に取った。台座の金具が指の腹に当たる。窓のほうへ持っていって、光に透かした。
「これは水晶ではございませんね」
「え?」
「蛍石です。傷がつきやすいので、指輪には向きません。首飾りにするなら台座を深くしたほうがよろしいかと」
「鑑定!?」
「割れると惜しゅうございますので」
壁際の侍従が声を殺して咳き込んだ。
「箱を開けた人間の第一声じゃないんだよなあ」
殿下は残りの箱を次々に開けていった。2つ目には菓子が入っていた。王都の南の店のものだと言う。焼き菓子と砂糖菓子が10種類、行儀よく並んでいる。
蓋を取った瞬間に、焦がした砂糖と柑橘の皮のにおいが立った。ティルダが扉のあたりで小さく息を吸ったのが分かる。
わたくしは順に少しずつ口に入れて、それから並べ替えた。
「なにしてるの」
「砂糖の量が多い順にいたしました。左から3つ目までは、蜂蜜も使われております」
「食べた感想!」
「甘うございます」
「そこは合ってる」
残った菓子は厨房へ下げさせた。ティルダが盆を受け取るときに、皿の縁を持つ指に力が入っていた。あとで書いておこうと思う。
3つ目の箱には絹の反物が入っていた。手触りで産地を言い当てたら、殿下は反物を頭からかぶって黙ってしまった。
4つ目の箱には穴が空いていた。
蓋を開けると、中から茶色い塊が転がり出てくる。庭師の飼い犬の仔だ。生まれて2か月ほどで、まだ足が体についていっていない。
「動物はさすがに効くでしょ」
仔犬はわたくしの膝によじ登ろうとして、3度失敗してから登ってきた。腹のあたりが温かい。爪が絹に引っかかる。
わたくしは犬を抱え直した。
「殿下」
「うん、来た?」
「この仔は乳離れが済んでおりません。母犬から離す時期が早すぎます。今日じゅうにお戻しください」
「そっち!?」
「それと、庭師に断りましたか」
「……借りた」
「庭師は、貸したと申しますか」
殿下が目を逸らした。
そのあいだに仔犬は机に飛び移り、いちばん上の帳面をくわえて振り回しはじめた。紙の裂ける音がする。
「あーっ! 帳面!」
殿下が飛びついた。仔犬が逃げる。追いかける。椅子が倒れる。
わたくしは倒れた椅子を起こした。
呼びかけても届かない。殿下は寝台の下に頭から突っ込んで、足だけを外に出している。
「破れた頁は挟み直せば済みます。それより、その仔が紙を飲むと危険です」
「怒らないの!?」
「怒る理由が見当たりません」
殿下は仔犬を捕まえて、その場に膝をついたまま、しばらく動かなかった。
胸のあたりで仔犬が身をよじっている。その重さと体温を、わたくしはよく覚えておくことにした。犬小屋の藁を替える指示を出すときの参考になる。
5つ目の箱に何が入っていたのかは、結局分からずじまいだった。殿下が開ける前に、庭師が仔犬を取り返しに来たからだ。
夜は花火だった。
王城から花火師が二人呼ばれて、庭に筒が並べられた。父にも母にも断りを入れたと殿下は言ったが、たぶん断りではなく通告だったのだろうと思う。
母は窓を開けなかった。父の書斎の灯りは、いつもどおりの時刻に消えた。
最初の1発が上がったとき、屋敷じゅうの窓が明るくなった。
赤、それから緑。火の粉が落ちてくる前に消えて、遅れて音が腹に届く。火薬のにおいが庭に流れ込んでくる。
使用人たちが裏口から出てきて、壁に並んで空を見上げていた。ティルダも混じっている。誰かが手を叩いて、それから全員が叩きはじめた。
「どう!」
「3種類ございますね」
「え?」
「音の高さが違います。光の色も、途中で変わるものと変わらないものがございます。同じ筒からは、同じ音しか出ておりません」
殿下がその場に倒れた。芝生に大の字になって、上がり続ける花火を見上げたまま動かない。
「一個くらい効いてよ」
「申し訳ありません」
「謝らなくていい。ぼくが下手なだけ」
彼はしばらく黙って空を見ていた。
花火が3発続けて上がる。そのあいだだけ、庭が昼のように明るくなった。
「……あ」
殿下が体を起こした。
「分かった」
「何がですか」
「君、もらうのは効かないんだ」
わたくしは首を傾げた。
もらうのは効かない。効く効かないで言われると、まるで薬の話だ。
「怒りは、ティルダが侮辱されたときに出た。驚きは、ぼくが落ちたときに出た。恥ずかしいは、ティルダが君のことを話してたときに出た」
「はい」
「全部、君に向かって何かをあげたときじゃない。君が誰かのほうを向いたときに出てる」
わたくしは自分の帳面を思い返した。
あの一行を書いたのは中庭の噴水の縁だった。『ただし、わたくし自身のことでは出ない』。書いた時点では意味が分かっていなかったし、今も分かってはいない。
殿下が言っているのは、たぶん同じことだ。
火薬のにおいが薄れていく。花火師が片づけをはじめて、金具の触れ合う音が庭の端から聞こえた。
「じゃあ、うれしいはどうやって取るのですか」
「たぶん、ぼくがあげても取れない」
殿下は膝を抱えて、そこで言いにくそうな顔をした。
「あと、これ言うか迷ったんだけど。君、寝てないでしょ」
わたくしは答えなかった。
「ティルダに聞いた。3日、蝋燭が朝まで点いてるって」
「書くことが多いのです」
「茶会の手順?」
「はい」
殿下は空を見上げたまま、少し黙った。
最後の1発が上がって、庭がまた暗くなる。
「ぼくも行く」
「王族が他家の茶会に押しかけるのは、無作法にあたります」
「じゃあ庭の木に登ってる」
「もっと悪うございます」
「木の上は無作法じゃないよ。だって招かれてないもん」
理屈が通っている気がして、通っていない。反論の型を探したけれど、帳面には載っていなかった。
殿下は立ち上がって、草についた土を払った。それから、思い出したように付け足す。
「言っとくけど、心配してるんじゃないから。ぼくが見たいだけ。君がベルナールの家で何をするのか」
嘘だ、とティルダなら言うのだろう。わたくしには判別ができない。
その夜、水を取りに階下へ降りた。
台所の扉が細く開いていて、灯りが漏れている。ティルダと、下働きの子の声がした。
「あさってでございましょう、ティルダさん。お誕生日」
「言わないでちょうだい」
「なぜです」
「お嬢様のお耳に入ったら、気を遣わせてしまいます」
湯を沸かす音がする。ティルダの声はいつもより低い。
「あの方は、言われたら必ず何かなさろうとする方です。ご自分では気づいておられませんけど」
「……お優しいのですね」
「優しいのではありません。書いてあるとおりになさるだけです」
そのあと、ティルダは少しだけ笑ったようだった。
湯気の向こうで、匙が鍋の縁に当たる音がする。
「でも、書いてあるとおりになさるために、ずいぶん無理をしておられます」
湯の沸く音が高くなる。下働きの子が何か言って、二人の声が低くなった。
わたくしは水を取らずに階段を上がった。
段を上がりながら、頭の中で日付を数える。あさって。茶会の2日前だ。
部屋に戻って、机の蝋燭に火を移す。新しい頁を開いて、鉛筆を当てた。
頁の頭に書いたのは、感情の名前ではない。
『実験1。ティルダの誕生日を、祝う』
書いてから、鉛筆を持ち直した。
祝いの席の記録なら12冊に何十とある。座る位置も贈り物の渡し方も口角の上げ方も。
けれど、わたくしが誰かを祝った頁は一つもない。




