毒という名の福音
学園の放課後。静かなテラスには、夕陽が柔らかく差し込んでいた。
セレスティーヌは、平民出身の聖女リリアーヌを呼び出していた。
彼女の手元には、月の加護を受けた聖霊が淹れたという、不気味なほど青白く光る紅茶がある。
「お聞きなさい、リリアーヌ。これを飲み干せば、あなたの浅ましい魔力も少しはましになりますわ」
周囲の生徒たちは息を呑んだ。セレスティーヌは冷ややかな微笑を浮かべたまま、リリアーヌの前へとカップを差し出す。
「それは……月の雫を煮詰めた猛毒だと……」
誰かが小さく囁いた。
リリアーヌは震える手でそれを受け取ると、意を決したように一息に飲み干した。
その瞬間、彼女の頬が急に紅潮し、そのまま力を失ったようにその場へと崩れ落ちる。
「セレスティーヌ! 何てことを!」
駆け寄ってきたアルフレートがリリアーヌを抱き起こし、セレスティーヌを鋭く睨みつけた。
その視線に、セレスティーヌの胸はひび割れるような痛みを覚える。
(……それでいいの、アル様。それは毒ではありません。彼女の体内に眠る聖なる魔力を一時的に活性化させ、竜の瘴気に対する抗体を形成するためのもの。私がいなくなった後も、彼女があなたを支えられるように……)
「まあ、毒に耐えることもできませんの? 聖女と名乗るには、少々頼りないのではなくて?」
セレスティーヌは扇で口元を隠し、軽やかに笑ってみせると、そのまま背を向けた。
しかし扇を握る指先は、隠しきれぬほど細かく震えていた——その事実に、誰一人として気づく者はいなかった。
テラスには沈黙が落ちていた。
倒れたリリアーヌを抱えたまま、アルフレートの怒気はまだ消えていない。
「……医務室へ運ぶ。セレスティーヌ嬢、あなたには後で説明してもらう」
セレスティーヌは一瞬だけ目を伏せる。
(ええ、それでいいの。……私の役目は、嫌われること)
踵を返そうとした、そのときだった。
「……っ、熱い……」
か細い声が、彼女の背中を止めた。
アルフレートの腕の中で、リリアーヌが目を覚ましていた。だがその瞳はいつもの澄んだ青ではなく、どこか月光を帯びたように揺らいでいる。
そして次の瞬間——
ぱちり、と空気が弾けた。
リリアーヌの周囲に、淡い光の輪がいくつも浮かび上がる。それは聖女の加護というより、制御を失った魔力の奔流だった。
「これは……暴走しているのか?」
誰かが呟くより早く、テラスの床に魔法陣のような紋様が広がっていく。
セレスティーヌの表情が初めて崩れた。
(そんな……まだ安定する段階では——)
「離れてください、殿下!」
気づいたときには、彼女はすでに動いていた。
扇を投げ捨て、リリアーヌの前に踏み込む。細い指先が空中に符を描き、抑制の術式を展開する。
だが、間に合わない。
光が弾ける直前、アルフレートがセレスティーヌの腕を掴んだ。
「あなたがやったんだろう!」
「違いますわ!」
その声は、思った以上に鋭く響いた。
一瞬の静寂。
そして——リリアーヌの体から溢れた光が、ふっと形を変えた。
まるで月の影が集まるように、青白い翼の輪郭が背に浮かび上がる。
誰もが息を呑んだ。
それは毒でも暴走でもなく、“覚醒”の兆しだった。
リリアーヌは苦しげに目を細めながらも、どこか安堵したように微笑む。
「……セレスティーヌ様、これは……あなたが……?」
その言葉に、セレスティーヌの喉が詰まる。
言えない。
これは救いだと。あなたを生かすための準備だと。
言ってしまえば——すべてが壊れる。
アルフレートの手が、さらに強く彼女の腕を締めた。
「説明しろ。今度こそ」
セレスティーヌは、静かに視線を逸らす。
夕陽はすでに沈みかけ、テラスには長い影だけが伸びていた。
そして彼女は、小さく息を吐く。
「……殿下。真実を知れば、あなたは、私をもっと嫌いになりますわ」




