さよならは言わない。また会いましょう。
セレスティーヌが光となって散ったあの日から、十年の歳月が流れた。
王都の復興を遂げ、名君として国を導くアルフレートに、現在、妃はいない。
周囲がいくら妃を勧めても、彼はただ穏やかに、けれど決して譲らぬ意志で拒み続けている。
「私の魂は、あの日、空に置いてきたのだ」
夜の執務室、窓から差し込む月光を愛おしそうに撫でる彼の姿を、今は王妃ではなく「親友」として支えるリリアーヌは、切ない眼差しで見守っていた。
アルフレートの手には、今もあの日の手の中に残った、白銀の雫――セレスティーヌの魂の欠片が握られている。
時折、風が吹くたびに。
あるいは、聖霊たちが庭園の花々を揺らすたびに。
アルフレートは、そこに彼女の気配を感じては、振り返る。だが、そこにあるのは冷たい月光だけであった。
◇
奇跡が起きたのは、彼女が消えてからちょうど十回目の青い満月の夜だった。
王都中の聖霊たちが、かつてのあの日と同じように、群青の空を目指して一斉に昇り始めたのだ。
「……セレスティーヌ?」
アルフレートは、本能に突き動かされるようにして、公爵邸の屋上庭園へと馬を走らせた。
そこには、十年前と変わらぬまま保存された庭園があり、白銀の雪のような光の粒子が、天から静かに降り注いでいた。
「お呼びでしょうか、私の愛しい王様」
その声が響いた瞬間、世界の時間が止まった。
噴水のほとり、淡い光を纏って立っていたのは、かつての姿よりも少しだけ幼く、けれどその瞳に深い慈愛を湛えた、透き通るような少女。
「……夢、ではないのか」
「ええ。あなたが私を忘れずに、十年間も想い続けてくださったから。……月の加護が、今夜だけ私に姿を与えてくれたのですわ」
セレスティーヌは、かつての悪役令嬢としての傲慢なカーテシーではなく、一人の恋する乙女として、恥ずかしそうにドレスの裾を摘み、膝を折った。
アルフレートは堪らず駆け寄り、その細い肩を抱き寄せた。指先から伝わるのは、生きている人間のような熱ではない。ひんやりとした、けれど不思議と懐かしい、月光の冷たさ。
彼女の体は、抱きしめれば砕けてしまいそうなほど、透明な翼と同じ質感でできていた。
「……済まない。あの日、君を独りで行かせて」
「いいえ。……私、空からずっと見ておりましたのよ。あなたが立派な王となり、民を愛する姿を。……それを見るたび、私の胸は誇らしさでいっぱいでしたわ」
セレスティーヌは、アルフレートの頬に流れる涙を、透き通った指先でそっと拭った。
二人の周囲では、聖霊たちが歓喜の調べを奏でている。それはかつての鎮魂歌ではなく、愛の再会を祝すセレナーデだった。
◇
夜明けが近づくにつれ、彼女の姿は次第に群青の闇へと溶け込み始めた。
「……行かないでくれ。また、俺を独りにするのか」
「いいえ。……私は消えません。月があなたを照らす時、風があなたの髪を撫でる時、光があなたの道を照らす時、私はいつもそこにいます」
彼女はアルフレートの耳元で、あの日言えなかった最後の嘘の続きを囁いた。
「さようならは、もう言いません。
……愛してる、だから、また会いましょう」
朝日が地平線から顔を出した瞬間、銀色の少女は輝く淡い光の粒子へと還り、彼の腕をすり抜けていった。
だが、アルフレートの表情に絶望はなかった。
彼の手には、白銀の石がかつてないほどに熱く煌めきを放っていたからだ。
それは、彼女が再会の証として遺した、永遠の加護。
アルフレートは、朝日を背にして歩き出した。
いつか再び、月の雫が降る夜に、彼女を見つけるその日まで。




