月の誓い
セレスティーヌの兄side
セレスティーヌが白銀の光の花弁となって夜空へ散り、この国から竜の呪いが完全に浄化されてから、数ヶ月の時が流れた。
王都には穏やかな陽光が戻り、人々は「悪女の支配から解放された」と平穏を謳歌していた。
だが王城の深奥には、いまだあの夜の冷気が澱のように沈んでいる。
ルシアンの姿は、主君アルフレートの執務室にはなかった。
彼は城内にある、薄暗い私室にいた。
固く閉ざされたカーテンの奥、ルシアンは机に両肘を突き、顔を覆ったまま微動だにしなかった。
「……私の、せいだ」
掠れた声が、誰もいない部屋に落ちる。
食事は喉を通らず、眠りは悪夢に裂かれていた。
そこにはいつも、光に溶けていく妹の姿がある。
ルシアンを最も苛んでいたのは、他ならぬ己の正義だった。
アルフレートのために。国のために。
その積み上げた証拠が、妹を追いつめる道になっていた。
その事実が彼を蝕んでいる。
月の加護を持つ彼の周りで、時折、聖霊たちの光が瞬く。
しかしそれは、今のルシアンには慰めではない。
むしろ罪を問われているかのように思えた。
小さなノックの後。
扉が開く音がした。
入ってきたのは、聖女リリアーヌだった。
湯気の立つハーブティーを持って来ていた。
「ルシアン様。……やはり、お休みにはなっていないのですね」
優しい声だった。
だがその優しさが、今の彼には辛かった。
「リリアーヌ様……」
ルシアンは顔を上げない。
「今の私は、あなたのような方に声をかけられる資格などない。私は……妹を殺した罪人です」
「いいえ」
リリアーヌは静かに膝を折り、彼と同じ高さに視線を合わせる。
「それは違います」
その瞳には、確かな強さがあった。
「ルシアン様。セレスティーヌ様は、けしてあなたを恨んでなどいません」
ルシアンの肩が、わずかに震える。
「むしろ……深く感謝しておられます」
「感謝……?」
乾いた声が出た。
「馬鹿な……私はあの子を、悪女として殺したのだ」
「だからこそです」
リリアーヌは彼の手にそっと触れる。
温かい魔力が、ルシアンにゆっくりと染み込んでいく。
「あなたの集めた証拠は、完璧でした。でなければ、途中で殿下は真実に気づいたでしょう」
「……」
「あなたが“正しく”あったからこそ、彼女の選んだ嘘は完成した。だからこそ、殿下の命は救われたのです」
言葉が、ゆっくりと沈んでいく。
「あなたは間違っていません。ただ、誰よりも誠実だっただけです」
その瞬間、ルシアンの中で張り詰めていたものが崩れた。
声が漏れ、嗚咽ともつかぬ音が、静かな部屋に落ちる。
「私は、最後にあの方との誓いを守れなかった。彼女の願いでなく自分の気持ちに負けてしまいました」
リリアーヌは小さく目を伏せた。
「私は裏切り者です。彼女の想いを誰よりも知っていたはずなのに」
そう言うと、彼の頭をそっと抱いた。
「ルシアン様は誠実でした。そして完璧でした。それだけです」
聖霊たちが、静かに瞬いて揺れていた。
◇
翌朝。
王太子アルフレートの執務室の扉が、静かに開いた。
机に向かっていたアルフレートは顔を上げる。
そこに立っていたのは、少しやつれて痩せて見えるルシアンだった。
だが、その瞳は違っていた。
強い決意と何かを乗り越えた目をしていた。
「……ルシアン」
アルフレートの声は掠れている。
「もう、身体は大丈夫なのか」
「はい」
ルシアンは深く腰を折り、ゆったりと主君に対する完璧な礼をした。
「殿下。長らく職務を離れた非礼、深くお詫び申し上げます。本日より再び、あなたのお側にお仕えいたします」
その声は静かだった。
だがその言葉には以前とは違う、強い覚悟が宿っていた。
そんなルシアンをアルフレートは痛ましい目をして見た。
「……すまない。……セレスティーナは私のために…」
言葉が途切れる。
ルシアンはゆっくりと首を振った。
「いいのです…」
そして、一拍置いて続ける。
「私はムーン公爵家の者。そして、あの子が命を懸けて守った、殿下の剣であり盾です」
その言葉に、アルフレートの肩がわずかに震えた。
ルシアンは続ける。
「殿下が王として正しき道を歩まれるよう、その道を支え続けます。……それが、妹が望んだ未来だからです」
アルフレートはそっと目蓋を落とした。
深く息を吸い込んだ後にゆったりとはき、再び目を開けた。
「ありがとう。よろしく頼む」
「月の加護を殿下に捧げます」
ルシアンは誓う。
セレスティーナの守りたかったものを、自分のすべてをかけて守っていこうと。




