正義の刃、悔恨の夜
セレスティーナの兄side
卒業パーティーの夜。
「君との婚約を、今この時をもって破棄する」
その瞬間、世界が止まった。
ルシアンはアルフレートの斜め後方に立ち、側近として微動だにしない。
だがその内側では、すべての感情が軋むように鳴っていた。
妹は微笑んでいた。
その微笑みは、以前の彼女とは明らかに違っていた。
(なぜだ……なぜ、そんな顔をする)
ルシアンは気づいた。
高慢で冷酷な表情をしているようなのに。
怒りも怒りもなく。
妹の瞳は、ただ何かを受け入れた覚悟していた。
ルシアンは動けなかった。動けば、その理由に触れてしまいそうで。
やがて、セレスティーヌは会場を去る。
その背中を見送るルシアンは強く拳を握っていた。
王太子アルフレートが正装のジャケットを脱ぎ捨て、腰の魔剣を握りしめて王城を飛び出したとき、ルシアンは、その背を激しく動揺する中で見送る。
「あの方は、あなたが死ぬくらいなら、自分が消えることを選んだのです!」
聖女リリアーヌの涙ながらの絶叫と、手渡された「竜の愛し子」の呪いを記した古の禁書の断片。
それらを目にした瞬間、ルシアンの脳裏は真っ白になっていた。
あり得ないほど巨大な銀色の満月が王都の空に浮かび、夜の街が青白い光に侵食されていく中、ルシアンはアルフレートを追い、急ぎムーン公爵邸へと向かった。
公爵邸の周囲には、すでに季節外れの銀雪が舞い始めている。
それは妹の限界、月の加護が最悪の形で暴走しつつある明確な予兆だった。
ルシアンは玄関の執事たちを突き飛ばすようにして、父の執務室の扉を乱暴に開け放つ。
「父上!!」
室内の父は、窓の外の異常な月を見つめたまま動かない。
「殿下が、セレスティーヌを追ってここへ来たはずです! リリアーヌ様の言葉は本当なのですか!? セレスティーヌの不品行は……嫌がらせは、すべて殿下を救うための嘘だったというのですか!?」
ルシアンの悲痛な叫びに、父はゆっくりと振り返る。
その瞳には、以前と同じく語ることのできない絶望と諦念が沈んでいる。
「……そうだ、ルシアン。セレスティーナは“竜の愛し子”だったのだ」
父の口から語られる、公爵家の真実。
愛し子が覚醒する際、最も愛する者の魂を喰らうという残酷な言い伝え。
「セレスティーヌは、自分が怪物となって殿下を殺してしまうくらいなら、最初から悪女として嫌われ、断罪され、独りで消えることを選んだのだ」
「……っ」
ルシアンの喉から、押し潰されたような声が漏れる。
視界が急速に色を失っていく。
脳裏に、自らの記憶が残酷な刃のように蘇える。
『父上! なぜ黙って見ておられるのです!』
『私はこれ以上、殿下が傷つく姿も、セレスティーヌが悪女へ堕ちる姿も見ていられない!』
(私が集めた証拠は、どれも理屈では正しいはずなのに、どこか合わない)
その違和感の正体にようやくつながる。
ルシアンが実の妹の行動を集めた「罪状報告書」
それこそが、セレスティーヌが望んだ“完璧な悪女の断罪劇”を成立させる最後のピースだった。
貫いた正義が、妹を追い詰めていた。
「私は……私は、自分の手でセレスティーヌを追い詰めていたのか……?」
膝が崩れ、ルシアンは床に手を突く。
吐き気に似た衝動が込み上げる。
「私の正義が……あの子を殺すのか……!」
その瞬間、公爵邸全体が激しく震える。
上空から魔力の奔流が押し寄せる。
屋上庭園の方から、扉が破られる轟音が響く。
「セレスティーヌ……!」
ルシアンはよろめくように窓へ近づく。
夜空では、無数の聖霊たちが乱舞し、空間そのものが軋んでいる。
その中心で、セレスティーヌの背から白銀の光が噴き出すように広がっている。
結晶化した月光の翼。
そして、聖霊たちの歌が大気そのものを震わせる。
『愛している』
『あなたを殺したくない』
『私を憎んで』
『どうか、生きて』
言葉にならない慟哭が、世界に直接響いていた。
ルシアンは動けなかった。
聖霊の結界は人の進入を拒絶している。
近づくことすらできない。
やがて歌は変質する。
祈りが、浄化へと変わる。
『大好きなセレスティーヌ 君のために歌うよ』
『浄化、浄化、浄化 竜の力よ世界に還れ』
光が満ちる。
竜の呪いが剥がれ落ち、銀の花弁となって空へ舞う。
あまりにも美しい、終焉の光景だった。
そして、最後の声が響く。
「愛してる、だから、さようなら」
――世界が、一瞬だけ昼のように明るくなった。
次の瞬間、銀の光と花弁が国中へと降り注ぐ。
ルシアンの頬に触れた光は、まるで涙のように温かかい。
その瞬間、静かに繋がりが切れたのがわかる。
彼の中にあったセレスティーナとの見えない繋がり。
月の加護の繋がりが。
セレスティーヌが、この世界から完全に消えたことを理解する。
「ああああああっ!!」
ルシアンは獣のような声を上げて叫ぶ。
窓の外には、美しい夜が広がっている。
しかしそれは、一生消えない罪の記憶になった。
もし、もっと信じていれば。
もし、兄として寄り添えていれば。
どんなに願っても、もうどこにも届かない。
降り注ぐ銀の光の中で、ルシアンは深く慟哭した。




