揺れる天秤
セレスティーナの兄side
セレスティーヌの兄であり、王太子アルフレートの側近を務めるルシアンは、深夜の執務室で拳を固く握りしめていた。
机の上には、王太子アルフレートが苦悩の末に最終判断を下そうとしている、セレスティーヌの罪状に関する報告書が山のように積まれている。
リリアーヌへの嫌がらせの記録
学園関係者の証言
他国の商人貴族との不審な接触記録
いずれも第三者による裏取りが取れたものばかり。
それらを一つひとつ精査し、形にまとめ、最終的にアルフレートへ提出したのは、ほかならぬルシアン自身だった。
これらは疑いようのない事実と証拠だった。
しかし、彼の胸の奥にはずっと拭えない違和感が残り続けていた。
「……ルシアン。君には、本当に申し訳ないと思っている」
アルフレートが、ひどく掠れた声で頭を下げる。
王太子という立場でありながら、その姿は疲れを隠しきれていなかった。
最愛の婚約者の変わってしまった姿。
その現実が彼を内側から苛んでいるようだった。
「頭をお上げください、殿下」
ルシアンは深く礼を取る。
その所作に一切の揺らぎはない。
「私は公爵家の人間である前に、殿下に忠誠を誓った臣下でございます。妹の不祥事の数々申し訳ございません。そのようなお言葉、過分なご配慮にございます」
ルシアンは整然と答える。
アルフレートは身内を裁くという行為が、どれほどの痛みを伴うのかを理解している。
ルシアンはセレスティーナをとても大事にしていた事も知っている。
「……すまない」
その一言は、王太子としてではなく、一人の人間としての謝罪だった。
◇
ルシアンが自分の部屋に戻り、その扉を閉じた瞬間、その空気がわずかに緩む。
あるいは張り詰めていたものが一気にほどけた。
ルシアンは数秒間、その場に立ち尽くしたまま動けなかった。
やがて糸が切れたように椅子へ崩れ落ちた。
深い吐息の音が、広い部屋に落ちる。
彼の周囲では、淡い月の聖霊たちが揺らめいていた。
悲しみとも警告ともつかない微かなざわめき。
「……セレスティーヌ」
兄として呼んだその名は、祈りにも似ていた。
「お前は一体、何をしているんだ」
ルシアンは、年の離れた妹セレスティーヌを誰よりも大切に思っていた。
だが城勤めを始めたルシアンは、家にはいないことが多かった。
城内に自分の部屋も持っている。
そのため家の出来事をすべては把握出来なかった。
父親がいるので、まだ公爵家の仕事は補佐までであった。
だから彼は知らなかった。
妹の身におきた真実を。
そして父が、妹の悲壮な決意を受け入れていたことを。
城に届くのは、セレスティーヌによるリリアーヌへの嫌がらせ。
他国の商人貴族との密会といった不名誉な噂。
そして、それを裏付ける証拠ばかりだった。
そのたびにルシアンは、それらを精査し、積み上げていった。
だが、積み上がるほどに、ある感覚が強くなっていく。
どの証拠も正しいはずなのに、小さな違和感がある。
正しい。確かに正しい。そして事実だ。
それなのに、どこか噛み合わない。
「父上! なぜセレスティーヌの不品行をただ黙って見ておられるのです!」
ある夜、実家へ戻ったルシアンは、公爵である父の執務室の扉を激しく叩いた。
「城でのアルフレート殿下の苦悩をご存知ないわけではありますまい! 殿下は今も妹を信じようとしておられる。それなのに、彼女の行いはあまりにも目に余る。公爵家の令嬢としての矜持はどこへ行ったのです!」
怒声の奥には焦りがあった。
このままでは王太子の心が折れる。そう思い込んでいた。
机の向こうの父は、深く刻まれた眉間の皺をさらに強くするだけだった。
その瞳の奥には、怒りではなく、語ることのできない重い沈黙が沈んでいる。
「ルシアン……これ以上、あの娘のことに口を出すな」
「父上!!」
その一言は、ルシアンにとっては拒絶にしか聞こえなかった。
「身内を庇うおつもりですか! それが殿下に仕える臣下の取るべき態度か! 私は……私はこれ以上、殿下が傷つく姿も、かつて清らかだったセレスティーヌが悪女へ堕ちていく姿も見ていられない!」
声が響く。
だが父は、静かに立ち上がった。
その動きは重く、まるで見えない何かに押さえられているようだった。
「何も知らぬお前に、これ以上語ることはない。城へ戻れ、ルシアン。お前はただ、王太子殿下の側近としての務めを果たせ。それが我が家のためでもある」
その言葉は冷たかった。
だが同時に、ひどく疲弊していた。
ルシアンはその言葉が隠蔽の意志に思えた。
妹を守るために、真実を隠すのだと。
そして自分は蚊帳の外に置いている。
(なぜ何も言わない……なぜ誰も止めない)
城へ戻る馬車の中で、ルシアンは唇をかんだ。
(セレスティーヌ、私は殿下の側近だ。このような愚かなことを繰り返すなら……私は、お前を止めなければならない)
彼は気づかない。
彼がより正確に調べるほどに。
より丁寧に整理するほどに。
終わりへの舞台は、静かに完成へと近づいていく。
それが誰の意図かも知らぬまま。
少しの違和感と共に。




