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愛してる、だから、さようなら~竜の愛し子の私は、最愛の王太子を救うため悪役令嬢を演じ続けた~  作者: 硝子細工の森


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揺れる天秤

セレスティーナの兄side

 セレスティーヌの兄であり、王太子アルフレートの側近を務めるルシアンは、深夜の執務室で拳を固く握りしめていた。


 机の上には、王太子アルフレートが苦悩の末に最終判断を下そうとしている、セレスティーヌの罪状に関する報告書が山のように積まれている。


 リリアーヌへの嫌がらせの記録

 学園関係者の証言

 他国の商人貴族との不審な接触記録


 いずれも第三者による裏取りが取れたものばかり。

 それらを一つひとつ精査し、形にまとめ、最終的にアルフレートへ提出したのは、ほかならぬルシアン自身だった。

 これらは疑いようのない事実と証拠だった。

 しかし、彼の胸の奥にはずっと拭えない違和感が残り続けていた。


「……ルシアン。君には、本当に申し訳ないと思っている」


 アルフレートが、ひどく掠れた声で頭を下げる。


 王太子という立場でありながら、その姿は疲れを隠しきれていなかった。


 最愛の婚約者の変わってしまった姿。

 その現実が彼を内側から苛んでいるようだった。


「頭をお上げください、殿下」


 ルシアンは深く礼を取る。

 その所作に一切の揺らぎはない。


「私は公爵家の人間である前に、殿下に忠誠を誓った臣下でございます。妹の不祥事の数々申し訳ございません。そのようなお言葉、過分なご配慮にございます」


 ルシアンは整然と答える。


 アルフレートは身内を裁くという行為が、どれほどの痛みを伴うのかを理解している。

 ルシアンはセレスティーナをとても大事にしていた事も知っている。


「……すまない」


 その一言は、王太子としてではなく、一人の人間としての謝罪だった。



 ルシアンが自分の部屋に戻り、その扉を閉じた瞬間、その空気がわずかに緩む。

 あるいは張り詰めていたものが一気にほどけた。

 ルシアンは数秒間、その場に立ち尽くしたまま動けなかった。


 やがて糸が切れたように椅子へ崩れ落ちた。

 深い吐息の音が、広い部屋に落ちる。


 彼の周囲では、淡い月の聖霊たちが揺らめいていた。

 悲しみとも警告ともつかない微かなざわめき。


「……セレスティーヌ」


 兄として呼んだその名は、祈りにも似ていた。


「お前は一体、何をしているんだ」


 ルシアンは、年の離れた妹セレスティーヌを誰よりも大切に思っていた。

 だが城勤めを始めたルシアンは、家にはいないことが多かった。

 城内に自分の部屋も持っている。

 そのため家の出来事をすべては把握出来なかった。

 父親がいるので、まだ公爵家の仕事は補佐までであった。


 だから彼は知らなかった。

 妹の身におきた真実を。

 そして父が、妹の悲壮な決意を受け入れていたことを。


 城に届くのは、セレスティーヌによるリリアーヌへの嫌がらせ。

 他国の商人貴族との密会といった不名誉な噂。

 そして、それを裏付ける証拠ばかりだった。

 そのたびにルシアンは、それらを精査し、積み上げていった。

 だが、積み上がるほどに、ある感覚が強くなっていく。


 どの証拠も正しいはずなのに、小さな違和感がある。


 正しい。確かに正しい。そして事実だ。

 それなのに、どこか噛み合わない。


「父上! なぜセレスティーヌの不品行をただ黙って見ておられるのです!」


 ある夜、実家へ戻ったルシアンは、公爵である父の執務室の扉を激しく叩いた。


「城でのアルフレート殿下の苦悩をご存知ないわけではありますまい! 殿下は今も妹を信じようとしておられる。それなのに、彼女の行いはあまりにも目に余る。公爵家の令嬢としての矜持はどこへ行ったのです!」


 怒声の奥には焦りがあった。

 このままでは王太子の心が折れる。そう思い込んでいた。


 机の向こうの父は、深く刻まれた眉間の皺をさらに強くするだけだった。

 その瞳の奥には、怒りではなく、語ることのできない重い沈黙が沈んでいる。


「ルシアン……これ以上、あの娘のことに口を出すな」


「父上!!」


 その一言は、ルシアンにとっては拒絶にしか聞こえなかった。


「身内を庇うおつもりですか! それが殿下に仕える臣下の取るべき態度か! 私は……私はこれ以上、殿下が傷つく姿も、かつて清らかだったセレスティーヌが悪女へ堕ちていく姿も見ていられない!」


 声が響く。

 だが父は、静かに立ち上がった。


 その動きは重く、まるで見えない何かに押さえられているようだった。


「何も知らぬお前に、これ以上語ることはない。城へ戻れ、ルシアン。お前はただ、王太子殿下の側近としての務めを果たせ。それが我が家のためでもある」


 その言葉は冷たかった。

 だが同時に、ひどく疲弊していた。


 ルシアンはその言葉が隠蔽の意志に思えた。

 妹を守るために、真実を隠すのだと。

 そして自分は蚊帳の外に置いている。


(なぜ何も言わない……なぜ誰も止めない)


 城へ戻る馬車の中で、ルシアンは唇をかんだ。


(セレスティーヌ、私は殿下の側近だ。このような愚かなことを繰り返すなら……私は、お前を止めなければならない)


 彼は気づかない。

 彼がより正確に調べるほどに。

 より丁寧に整理するほどに。

 終わりへの舞台は、静かに完成へと近づいていく。


 それが誰の意図かも知らぬまま。

 少しの違和感と共に。



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