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愛してる、だから、さようなら~竜の愛し子の私は、最愛の王太子を救うため悪役令嬢を演じ続けた~  作者: 硝子細工の森


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嘘つきたちの夜

 それは、卒業パーティーを数日後に控えた、深く静かな夜のことだった。


 月光だけが差し込む公爵邸の図書室で、セレスティーヌは一人、古い羊皮紙の束を広げていた。

 窓辺に佇む彼女の背後では、月の聖霊たちが淡い銀色の光を放ちながら、悲しげに揺れている。

 彼女の感情の揺らぎを映すように、室内の空気はわずかに張り詰め、冷たい風がカーテンを揺らしていた。


 セレスティーヌはそっと、自らの細い首筋に手を当てた。

 チョーカーのすぐ下、衣服に隠された皮膚の境界に、かすかな違和感がある。

 鏡を見ずとも分かっていた。

 人ならざる硬質な竜の鱗が、じわじわと、しかし確実にその領域を広げているのだ。


 血が巡るたび、胸の奥で竜の因子が暴れ、燃えるような熱と凍てつくような冷気が交互に彼女の命を削っていく。


「……もう、猶予は残されていないわね」


 ぽつりとこぼれた声は、いつもの完璧な淑女のそれだったが、どこか儚く掠れていた。


 そこへ、足音もなく小さな影が近づく。

 平民出身の聖女であり、学園で「セレスティーヌにいじめられている」と噂されるリリアーヌだった。

 彼女は公爵邸の隠し通路を通り、夜な夜なこうしてセレスティーヌのもとを訪れていた。


「セレスティーヌ様……」


 リリアーヌは可憐な肩を震わせ、悲痛な面持ちで彼女を見つめる。

 その瞳には、深い葛藤と涙が浮かんでいた。


「リリアーヌ。夜更けにわざわざすまないわね。体調はどう? 学園での私のいじめのせいで、疲れているのではないかしら」


 セレスティーヌは穏やかに微笑み、まるでお茶会に友人を迎えるかのように彼女を椅子へと促した。

 その気品ある仕草からは、自身の身体が竜の呪いに侵されていることなど微塵も感じさせない。


「私は大丈夫です。……ですがセレスティーヌ様、そのお身体は……。今の私の治癒魔法を重ねても、呪いの進行を止めることはできません。ただ、痛みを数刻和らげることしか……」


「それで十分よ。あなたが毎日こうして祈りを捧げてくれるおかげで、私はまだアルフレートの前で“公爵令嬢”として立てているのだから」


 セレスティーヌはそっとリリアーヌの手を握った。

 その手は驚くほど冷たかった。

 だが、握り返す力には強い意志が宿っていた。


「学園の夜会で、私が他国の商人貴族にわざとらしく寄り添った時……アルフレートは、本当に悲しそうな目をしていたわ。あなたから見ても、そうだったでしょう?」


「はい……。殿下は、必死にあなたの本心を探ろうとしておられました。信じたいのに、目の前の振る舞いや積み重なる証拠を否定できない。胸が締め付けられるようでした」


 リリアーヌは俯き、膝の上で拳を握りしめた。


 二人が交わした共犯の誓い。

 それは、アルフレートにセレスティーヌを完全に諦めさせ、彼女の死(あるいは竜化による消失)の傷を最小限にするための、偽装劇だった。


「これでいいのよ」


 セレスティーヌの瞳に月光が宿る。


「私が哀れな被害者として彼の前から消えれば、彼は一生自分を責め続ける。けれど、救いようのない悪女として断罪されるなら、その痛みはやがて乗り越えられるものになる。私は、彼の心に私を残したくないの。」


「どうして……そこまで。ご自身が嫌われる未来を、どうして平然と受け入れられるのですか」


「平然、ではないわ」


 セレスティーヌは窓の外、王城のある方角を見つめた。


「怖いわよ。大好きな人に冷たい目を向けられるのは、胸が裂けそうになる。幼い頃、私を守ってくれたあの優しい手を、自ら振り払うたびに……私の心も血を流している。でもね、愛しているからこそ、別れを選ばなければならないの」


 その言葉に、リリアーヌはただ涙を流すことしかできなかった。


 月の聖霊たちが静かに舞い、セレスティーヌを包み込む。その光は、彼女の高潔さと哀しみを証明するようだった。


「リリアーヌ、泣かないで。最後まで、私という悪女の被害者を演じきってもらうわ。それが私の願いよ」


「……はい。私はあなたの共犯者ですから」


 リリアーヌは涙を拭い、彼女の手に祈りの魔法を重ねた。


 そして数日後。

 きらびやかなシャンデリアが輝く卒業パーティー会場。


「セレスティーヌ・ド・ラ・ムーン公爵令嬢。君との婚約を、今この時をもって破棄する」


 王太子アルフレートの震える声が響いた。


 彼の傍らで、リリアーヌは約束通り可憐に肩を震わせている。


 セレスティーヌはゆっくりと扇を閉じ、胸の奥で荒れ狂う竜の衝動と痛みを、完璧な仮面の下に押し隠した。


「……左様でございますか。婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ」


 冷ややかな微笑を浮かべたその瞬間、アルフレートの瞳に深い絶望が宿るのを、彼女は確かに見届けた。


 セレスティーヌの胸を切り裂くような痛みが走る。それでも、その微笑みが崩れることはなかった。


(これでいいのよ、アルフレート様……どうか私を嫌って。)


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