父としてその時
セレスティーナ父side
王宮の灯りの少ない廊下でムーン公爵は足を止める。
すぐ近くで聞こえる夜会の音は、どこか現実味が薄い。
彼は知っている。この夜が娘の運命を大きく分けるだろうと。
(……セレスティーヌ)
胸の奥で、その名を静かに呼ぶ。
かわいい、愛しい娘。
幼い頃は泣き虫で、些細なことで袖を掴んできた。転べば涙をこぼし、褒められれば顔を真っ赤にして俯いたあの子が。
……今は、人の視線すら計算しながら悪女を演じている。
「よく、ここまで耐えた」
誰にも届かない呟きが漏れる。
娘は本当は誰よりも優しいと知っている。だからこそ怖い。
竜の愛し子としての覚醒が始まった今、その優しさを救いではなく刃に変えた。
ムーン家の始祖は、王家の姫を番とした神竜だった。
その血は希薄になりながらも、時折、直系に“竜の愛し子”が生まれる。いわゆる先祖返りである。
一族に残る、竜の愛し子の記録は曖昧だった。
記録はある。だが、数百年にひとり、その都度状況も違う。神話の類いの伝承との違いが曖昧だった。
愛し子が覚醒する時、もっとも身近でもっとも愛するものを喰らう。
愛を得た竜は神となり、愛を失った竜は――境界を越える、と残されている。
人として境界を越えたもの…力の暴走で魔竜か、あるいは魔王などと呼ばれるものへ変わるのか。それとも、この世の境界を越える、死、という意味なのか。
(アルフレート殿下を得られなければ、娘はどうなるのか)
膨大な竜の力を人の身ひとりでは扱いきれない。
扱いきれなければその身を滅ぼす。場合によれば世界をも巻き込む。
人の身で竜の力を安定させるには、番を得なければならないという。
だが、人の身で正しく覚醒するためには番とひとつにならなければいけない、と残されている。
番を喰らわなければ、生きていられない状態になる。
(アルフレート殿下を喰らうか)
(それとも、自ら命を絶つか)
どちらにしても愛する娘はいなくなるだろう。
(あの子は……殿下を、守るために死ぬ気でいる)
ムーン公爵は拳を握る。
だがそれは絶対ではないかもしれない。
だから彼は、何も決断できない。
娘の意思を尊重して見守る事しか出来ない。
すぐ後方で扉が開く音がした。夜会の光が彼のいる薄暗い廊下を明るく照らして、視線を向ける。
開け放たれた扉は固定され開かれたままにされた。
その瞬間、眩い夜会の会場の中の状態が、彼の瞳にうつる。
張り詰めた空気の中で、娘が王太子と対峙している姿が………
(……もう、戻れないか)
彼は目を閉じる。
それでも、願ってしまう。
(どうか。あの子が人間としての終わり方を選べますように)と。
あるいは、
(殿下があの子の手を取ってその身を奉げてくれたなら)と。
父親としても、ムーン家当主としても、どちらの願いも正しいのか分からないまま。
ただひとつだけ確かなのは、この夜が娘の人生の分岐点であるということだった。




