決別の夜会
卒業パーティーを目前に控えた、ある夜。王宮の広間では中規模の夜会が開かれていた。
シャンデリアの光が降り注ぐ中、貴族たちの笑い声と音楽が交錯している。
その喧騒の中で、アルフレートはひとり、息苦しさを抱えていた。
視線の先にいるのは――セレスティーヌ。
彼女は今、王太子である自分が最も嫌う相手と談笑していた。汚職と野心で名高い、他国の商人貴族。
その腕に、あろうことか自らの腕を絡めている。
扇の陰で笑う姿は、いつも通り完璧で、そして冷たい。
(また、だ)
胸の奥が重たく沈む。
彼女は最近ずっとこうだ。典型的な高位貴族令嬢の所作、冷たい微笑み、誰よりも高慢で気位の高い態度。
そして、リリアーヌに対する信じられない行い。学園では悪役令嬢とまで言われている。
やがて耐えきれず、アルフレートは彼女に近づいてその腕を掴んだ。
「セレスティーヌ……君は、どこまで堕ちるつもりだ」
声は思ったより強く出てしまった。
彼女は一瞬だけ目を細めると、まるで何も感じていないかのように笑った。
「あら、殿下。私は今、新しい投資のお話で忙しいのですが」
「投資だと? 君は……私はもう、君という人間がわからない」
彼女の腕を掴む自分の指先が、かすかに震えているのがわかる。
(これ以上、どうすればいい)
テラスへ引き出したのは、ほとんど衝動だった。
誰にも聞かれない場所でなければ。
平静さが崩れてしまいそうだったから。
「……結構ですわ、殿下。その潔癖さは」
セレスティーヌは静かに言った。
「綺麗事だけでは世界は回りませんもの。王になるなら、清濁あわせ呑まなくてはならないのではなくて?」
その言葉は正論の形をしているのに、どこか鋭く、突き放すようだった。
そして彼女は、アルフレートの手を振り払う。
その瞬間、彼は気づいてしまう。
もう、彼女の中に自分のいる場所はないのではないか、と。
テラスの影。
その隅に、聖女リリアーヌの気配があった。
セレスティーヌはすれ違いざま、彼女に何かを託したように見えた。
(……何だ?)
だが、問いただす間もなくセレスティーヌは歩み去る。
リリアーヌの表情がわずかに歪む。
「セレスティーヌ様……そんな、こんなの……」
その声は震えていた。アルフレートの耳には、夜会の音に紛れて曖昧にしか届かなかった。
彼には解らない。その手紙に何が書かれているのか。ただ一つだけ彼の中で確かなものがあった。
(彼女は、もう俺に何も語らない)
その思いだけが、静かに形を持ちはじめていく。
これが、婚約破棄へと向かう最後の一押しとなった。
◇
そして、テラスから離れたセレスティーヌはひとり、王宮のうす暗い回廊の影に立ち尽くしていた。
これでいい。何度も心の中で繰り返す。
アルフレートが自分を救おうとしない未来を作るために。
そして、自分が彼を喰らわずに済む未来を守るために。
これが唯一の正解だと信じるしかなかった。
セレスティーヌはゆっくりと息を吐く。
「……やめて」
誰に向けた言葉か、自分でもわからない。
胸の奥で何かが目を覚まそうとしている。竜の血が、彼女の理性を内側から押し広げていく。
(違う。私はまだ、私でいられる)
そう思うたびに、逆にその“私”が薄くなっていく。
指先が震える。
視界の端に、赤い光のような幻が滲む。
――最も愛する者の魂を喰らう。
古い契約のような声が、頭の内側に響いた。
「……違う」
セレスティーヌは壁に手をついた。爪先が石を削り、微かな音を立てる。
その瞬間、ほんの一瞬だけ、背後に自分を呼ぶ彼の声がよぎった気がした。
アルフレートのあの真っ直ぐで、包み込まれるような優しい声が。
(……近づかないで)
(お願いだから、私に近づかないで)
それなのに、心は別のことを願ってしまう。
(もう一度、抱きしめてほしい、一度でいいから、私が私でなくなる前に)
その願いが浮かんだ瞬間、彼女の背に竜の影が一瞬だけ現実に滲んだ。
空気が震える。回廊の灯りが、ひとつ、またひとつと揺らぐ。
「……っ、まだ」
セレスティーヌは血の味がするほど強く歯を食いしばる。
「まだ……私は、私のままで……」
遠くで、扉が開く音がした。誰かがこちらへ近づいてくる気配がする。
その瞬間、セレスティーヌは表情を切り替える。
――完璧な令嬢の仮面。冷たい悪役令嬢の顔。
そして、彼女はゆっくりと歩み出した。




