第5話 死体漁りの夜
百人隊長が踏みこんできた。
さっきは目で追うのがやっとだった剣が、今は止まって見えた。肩がわずかに沈み、右足が床を蹴る。その先で刃がどこへ来るのかが分かる。
俺は佐倉の剣を振り上げた。
剣の握り方など知らない。振り方も知らない。それなのに、腕が勝手に正しい軌道をなぞっていく。体の奥から噴き上がる熱が、そのまま剣の先まで流れこんでいく。
金属のぶつかる甲高い音が礼拝堂に響いた。
百人隊長の剣が根元から折れて飛んだ。折れた刃が壁の布に突き刺さり、天を仰ぐ人の絵を斜めに裂いた。男の目が初めて大きく見開かれる。
「貴様、その力は……」
男は折れた剣を捨て、腰の短剣を抜こうとした。
その顔を見た瞬間、腹の底の熱がさらに膨れ上がった。こいつは俺の首を落とすと言った。佐倉を斬った。ついさっきまで俺を道具の具合でも確かめるような目で見ていた。
二撃目は男の肩口から胸へ深く入った。
鎧ごと、肉と骨を断つ手応えがあった。男は何か言おうとして口を開き、そのまま膝から崩れ落ちた。石の床に赤いものがみるみる広がっていく。
男の目から光が消えていくのを、俺は最後まで見ていた。
人を、殺した。
そう思ったのは一瞬だけだった。骨を断った手応えが掌に残り、胸のどこかが冷たく軋んだが、すぐに熱いものに呑みこまれて消えた。剣を握る手が小さく震えている。それもひとつ息を吐くと止まった。
俺は膝をついて、男の手に触れた。何も流れこんでこなかった。
「……持ってなかったのか」
あれほど強かった男が、スキルをひとつも持っていなかったらしい。腕も足も、剣の速さも、全部が自分の体ひとつだったということになる。
妙な気分だった。影山たちにも、名前を聞いていたのに何も来なかった。それでも、それ以上は考えなかった。持っていないなら、用はない。
礼拝堂を出ると、廊下ではさっき倒した兵がふたり、壁にもたれてうめいていた。
ふたりとも俺を見て顔を引きつらせた。ひとりは這って逃げようとした。
俺は剣を振り下ろした。もうひとりにも振り下ろした。
ひとりからは、何かの名前と、遠い村の麦畑の景色が流れこんできた。もうひとりからは、何も来なかった。
そこから先のことは、細かくは覚えていない。
見慣れない色の鎧が見えたら斬った。剣を向けてくる者も逃げる者も関係なかった。この国の騎士が行く手をふさいでも、同じように斬った。斬って、触れて、次へ行く。名前が流れこんでくることもあれば、何も来ないこともあった。名も知らない若い兵が、母さん、と言いかけて途切れた。
剣を振るたびに、体の奥の熱が増していく。怖いと思うほど、腹が立つほど、剣が軽くなる。廊下の角で待ち伏せていた兵の槍を、俺は振り向きもせずに叩き折った。
流れこんでくる最期は、もう広間のときほど頭を揺らさなかった。慣れたのか、麻痺したのか、自分でも分からない。
ふと、口の端が上がっていることに気づいた。俺は、笑っていた。
厨房の前を通りかかったとき、前掛けをした男が腰を抜かして床にへたりこんでいた。
兵士ではなかった。鍋をかき回すための、長い木の匙を握りしめている。背後のかまどでは、誰も見ていない鍋が煮えたぎって、焦げた匂いを廊下まで漂わせていた。俺を見上げる顔は恐怖で真っ白だった。
「た、助けて……私は、ただの料理番で……」
スキルを持っているかもしれない。
持っていないかもしれない。触れてみるまで、分からない。
それだけで、理由は足りた。
剣を引き抜いたとき、男の手から木の匙が落ちて、乾いた音を立てた。
触れてみると、何も流れこんでこなかった。
俺はそれを確かめただけで、また歩き出した。鍋の焦げる匂いだけが、背中についてきた。
途中で見覚えのある部屋の前を通った。
召喚の間だった。床の円は焼きついたまま、燭台の火も消えずに残っている。円の内側には作業台と工具箱が、俺たちが呼ばれたときのままに転がっていた。エアホースのちぎれた電動ドライバー。組みかけの部品。どのボルトも、トルクを確かめる前のままだ。
ほんの少し前まで、俺はあれを検査していた。トルクが足りないと班長に食い下がって、影山に笑われていた。
ずいぶん昔のことのように思えた。俺は部屋に入らずにそのまま通りすぎた。
城の奥へ進むほど、火の勢いは強くなっていった。
天井の梁が燃え落ち、窓の外が赤く染まっている。煙に咳きこみながら螺旋階段をのぼると、その先に塔の上の部屋があった。
壁一面の棚に古い本がびっしりと並んでいる。乾いた紙とインクの匂いがした。床には召喚の間と同じような円の模様が描かれている。ここで俺たちを呼ぶための準備をしていたのかもしれない。
部屋の中では、見慣れない色の鎧の兵が五人、ローブ姿の男たちを縄で縛り上げているところだった。
ローブの男は三人いた。見覚えのある顔だった。召喚の間で円を囲んで膝をつき、肩で息をしていた連中だ。
「急げ! 生かして連れ帰るのは、この三人だけだ!」
「上は火が回っている、早く――」
兵のひとりが階段の口に立った俺に気づいた。
「な、なんだ貴様は――」
最後まで言わせなかった。
四人を斬るのに、それほど時間はかからなかった。
ひとりが床に転がりながら、俺の右足を狙って剣を振るった。刃は俺の右の爪先に当たり、甲高い音を立てて弾かれた。工場の安全靴の、爪先に入った鉄板だった。俺はその兵を上から斬り下ろした。
最後のひとりは剣を放り出して窓の外の足場へ逃げていった。逃げる途中で一度だけ振り返ったその目は、俺の顔と、血まみれの作業着と、剣を弾いた足もとに釘づけになっていた。縛られた三人のほうが先だ。追う気にもならなかった。
部屋に残ったのは、縛られた三人と俺だけだった。
ローブの男たちが怯えた目で俺を見上げた。
こいつらが俺を呼んだ。床に円を描いて、俺たちをこの世界に引きずりこんだ。囮にされたのも、手足を切り落とされたのも、笑われたのも、全部、こいつらが俺を呼んだからだ。
それに、こいつらもスキルを持っているかもしれない。
ひとりが縛られたまま何か言おうとした。
俺は剣を振るった。二人目も。三人目も。
一人目にも、二人目にも触れた。何も来なかった。
三人目に触れたとき、頭の中に名前が響いた。
【術式読み】
魔術の術式の組み立てを、一目で読み取る力。
それと一緒に、この男の最期が流れこんできた。
――小さな家の戸口。手を振る女。その足元にしがみつく、七つかそこらの男の子。
――あの子たちは、無事だろうか。城が燃えている。あの子たちは。
――どうか、あの子たちだけは。
男の子の顔がやけにはっきりと目の奥に残った。
俺はそれを振り払った。家族がいようがいまいが、俺の知ったことじゃない。この男は俺をこの世界に呼んだ。それだけだ。
顔を上げると、床の円の模様がさっきまでとは違って見えた。
ただの線の集まりだったものが、組み立てられた形として目に飛びこんでくる。どの線がどの線を支えているのか。どこが始まりで、どこが終わりなのか。
だが、俺にこれを動かす手立てはない。棚の本の文字も、ひとつも読めない。読み取れたところで、何の使い道もなかった。
俺は棚の本には目もくれずに部屋を出た。
城門をくぐったときには、夜空の半分が赤く染まっていた。
振り返ると、王城が燃えていた。いくつもの塔の窓から炎が噴き出し、黒い煙が星を覆い隠している。城下の家々にも火が移ったらしく、あちこちで悲鳴と何かが崩れる音が上がっていた。荷物を抱えた人々が俺の脇を駆け抜けていく。血まみれの男がひとり歩いていることに、気を留める者はいなかった。
この国は、もう終わりだろう。兵は「この三人だけ」と言っていた。ほかの召喚士はもう生きていなかったのだろう。最後の三人は、俺が殺した。
召喚された八人のうち、生きているのは俺だけだ。
影山も、班長も、早瀬も、不破も、岩田さんも、家田さんも、佐倉も。もう誰もいない。
壇の上にいた豪奢な服の男も、鑑定士の老人も、この火では生きてはいまい。
俺を知っている人間は、もうこの世界のどこにもいないだろう。俺を笑う人間も、もういない。
手の中の剣を見下ろした。
佐倉が握り、俺が握り、この夜のうちに数えきれないほどの血を吸った剣だ。刃にこびりついた血は炎の光を受けて黒く光っていた。
捨てようとは思わなかった。この世界で俺が持っているのは、この剣と奪った力だけだった。
体の奥の熱が、少しずつ引いていく。代わりに、重いだるさが手足に広がってきた。喉が渇いている。腹も減っていた。こんな夜でも腹は減るのかと思うと、少しだけおかしかった。頭の中には、奪った名前がいくつも積み重なっている。どう使うのか、何も分からない。
熱い風が背中を押すように吹きつけてくる。
俺は燃える城に背を向けて歩き出した。
どこへ行くあてもない。けれど、もう怖くはなかった。




