第6話:枯れかけたブドウ畑と奇跡の粉
冬の足音が聞こえ始めたある日、作業所で石鹸をカットしていたパートのおばちゃんたちが、手を動かしながら噂話を始めた。
「そういえば、郊外の丘でブドウを作ってるトーマスさんのところ、今年もワイン用のブドウが小粒で酸っぱかったらしいわよ」
「あそこの土はもう寿命だって噂ね。このままじゃ数年で農園を手放すことになるんじゃないかって、居酒屋の親父が心配してたわ」
俺の手がピタリと止まる。
(ブドウの品質低下……おそらく長年の連作障害と、土中のリン酸・カルシウム不足だ)
コンソメと石鹸を作った後に残る、完全脱脂の骨粉。これには根を太くし、果実の甘みと結実を爆発させる無機質(リン酸)が大量に含まれている。
「恩を売るなら、落ち目の名門だ」
俺は作業所の奥に保管していた無臭の白い粉末——粗く砕いた骨粉を木樽に詰め、翌日、噂のブドウ農園へと向かった。
農園主のトーマスは、枯れ木のようなブドウの木を前に、暗い顔で佇んでいた。
「何の用だ、若い商人。うちには売るような良いブドウは残ってないぞ」
「ブドウを買いに来たんじゃありません。あなたの畑の『土』を救いに来ました」
俺は抱えていた木樽の蓋を開け、中の白い粉末を見せた。
「これは俺の工房で作っている特殊な『土壌改良剤』です。長年の栽培で痩せ細った土に力を取り戻します。試しに、一番枯れかけている端の区画だけに撒かせてくれませんか? 代金は要りません。成果が出なければ笑い飛ばしてくれて構わない」
「無料だと……? 妙な話だな。一体何が混ざっているんだ?」
「企業の秘密です。ただ、体に害のある薬品の類じゃないことは誓います。どうせこのままなら来年も厳しいのでしょう? 駄目元で俺に賭けてみませんか」
藁にもすがる思いだったトーマスは、苦虫を噛み潰したような顔で「……端の一畝だけだぞ」と頷いた。
凍てつく冬の寒さの中、俺とトーマスは二人で土を深めに掘り起こし、休眠期の根の周りにしっかりと白い粉を混ぜ込んで埋め戻した。
「春と夏を楽しみに待っていてください」
俺は不敵に微笑み、農園をあとにした。
春(4月)。雪が溶け、芽吹きの季節がやってきた。
作業所で仕込みをしていた俺の元へ、農園主のトーマスが息を切らし、顔を蒼白にして飛び込んできた。
「おい……! あんた、一体あの粉に何を入れたんだ!?」
「トーマスさん。成果が出ましたか?」
半信半疑のトーマスに引っ張られ、丘の畑へ向かうと、そこには異様な光景が広がっていた。
他の区画の木はまだ小さな芽がポツポツと出始めた段階なのに、俺が白い粉を混ぜた区画のブドウの木だけ、葉の緑が信じられないほど濃く、芽吹きが力強い。
「10年以上ブドウを作ってきたが、春先からこんなに葉の勢いが違うのは見たことがない……! 根が力強く張り巡らされているのが目に見えるようだ!」
「狙い通りです。土に足りなかった栄養が、根を劇的に強くしたんですよ」
トーマスは震える手で葉を撫で、俺に向かって深く頭を下げた。
「疑って悪かった……! あんたは本物だ!」
そして——日差しが眩しい7月。
太陽の光を浴びて、熟したブドウの甘い香りが畑全体に漂っていた。
骨粉を撒いた区画には、太陽の恵みをぎゅっと凝縮したような、紫黒色の素晴らしい大房がズラリと実っていた。実の詰まり具合も、表面の白い粉の乗りも完璧だ。
トーマスが震える手で一粒をもぎ取り、口に放り込む。
「……っ!?」
トーマスの目が、こぼれ落ちんばかりに見開かれた。
「な……なんだこの味は……!? ぎゅっと濃縮された極上の酸味のあとに、今まで食べたこともない芳醇な甘みが押し寄せてきやがる……!! 渋みが一切ない……!」
「大成功ですね。これなら、街一番の極上ワインになります」
「極上どころじゃない! 領主様や王都の豪商が喉から手が出るほど欲しがる幻のワインになる! 農園の破滅を救ってくれたどころか、うちを街一番の農園に引き上げてくれた……!」
トーマスは涙をボロボロと流しながら、俺の手を両手で力強く握りしめた。
「あんたは我が家の恩人だ! 今後、私にできることなら何でも言ってくれ! 命の恩人としても、商人としても、全力で後押しする!!」
「ありがとうございます、トーマスさん。……実は、そう遠くない将来、あなたのような『信頼できる名士の保証人』が必要になるかもしれないんです」
「保証人だと? お安い御用だ! 私の全財産と名誉を賭けて、あんたの保証人になってやる!!」
(よし……これで『店舗』を持つための最大の壁(強力な保証人)のフラグが立った)
俺の作った完全循環システムとブラックボックス戦略は、一人の農家のピンチを救い、将来の店舗獲得に向けた最強の「貸し(恩)」を作ることに成功したのだった。




