第1話:パン屋の灰と肉屋の骨
翌朝には手持ちを減らさないため、そしてこの街の「経済」を知るため、俺は朝食を食べると安宿を出て街の散策に向かった。
通りには雑多な屋台が並び、露店商たちの威勢のいい声が飛び交っている。まずは市場の巡回だ。
(……まずは商品の相場観を掴む)
雑貨屋や薬品店、露店を巡り、棚に並ぶ品物と価格を観察して歩く。
この街で売られている「石鹸」は、驚くほど粗悪だった。不透明で茶色く濁り、油の腐敗臭のような独特のエグみが残っている。それでも安価なものは銅貨1枚、質の悪い動物脂に香料を混ぜた程度の代物が、大銅貨1枚(庶民1人あたりの2日分の食費)近い高値で取引されていた。固形としてまともに泡立つ石鹸は、この街では明確な「贅沢品」だった。
「へい、お兄さん! 焼き立ての串焼きはどうだい!」
香ばしい肉の焦げる匂いに誘われ、屋台に足を止める。切り分けられた肉が木の串に刺さり、豪快に炙られていた。腹も減っていたので銅貨を払い、一本買い求める。
「美味いな。これは何の肉だ?」
「へへ、ガブル(猪のような魔獣)の肉さ。直火で炙るのが一番美味いんだ」
「なるほど、だが肉だと仕込みが大変何じゃないか?」
「その通り仕込みが大変でね。肉屋から骨付きの塊で仕入れて店裏で肉を削ぎ落とすんだが、残った太い大腿骨の処分が重くて参るよ。肉屋の奴らも、裏に溜まる骨のゴミ山に頭を抱えてるらしいからな」
串焼き屋の親父は何気なく愚痴をこぼしたが、俺の頭の片隅にその言葉が引っかかった。
(肉屋に捨てられている、手付かずのデカい骨と油脂……)
昼食用の主食を確保するため、教えてもらった近所のパン屋へ向かう。
店先に到着すると、パン屋の頑固そうな親父が全身を煤と灰で真っ黒にしながら、薪窯の奥を長いブラシで死にもの狂いで擦っていた。
「親父さん、掃除しているところ悪いんだがこのパンを貰えるかい?」
「おう!悪い悪いそのパンは銅貨2枚だがいいか?」
「大丈夫だ。銅貨2枚。それにしてもパン屋の掃除は大変そうだな」
「まあな、だがこの灰掃除をやらないと窯の熱が回らねえし、パンに煤がつく……! だが熱いわ煙いわで、たまらん!」
「美味しいパンのためにも頑張ってくれ」
げほげほと咳き込む親父の横を通り、店頭にいた娘からパンを袋に包んでもらい、俺は安宿へと戻った。
翌朝。
宿の1階で出された朝食を口にした瞬間、俺は思わず顔を顰めた。
薄めたお湯に塩をひとつまみ落としただけの、旨味もコクもないスープ。そこに、鈍器のように硬いライ麦パン。スープに浸して柔らかくしようにも、スープ自体に旨味がないため、ただの濡れた紙粘土を噛んでいるような不快感しか残らない。
(……酷いな。厨房の廃棄レベルだぞ、これ)
食後、宿の主人に「まともな仕事を探すにはどうすればいい?」と訊ねると、「手っ取り早いのは冒険者ギルドだな」と教えられた。
藁にもすがる思いで冒険者ギルドへ足を進めたが、現実は甘くなかった。
薄暗いギルドの掲示板に並んでいるのは、薬草採取や街の外壁掃除、ドブ浚いといった最低賃金の肉体労働ばかり。モンスターの討伐依頼はベテランの戦士たちが独占しており、素人の俺が手を出せば初日で死ぬ。
ドブ浚いを一日やって得られるのは、かろうじて今日の宿代とパン1個分。
そんな生活を続ければ、身体を壊して行き倒れるのは目に見えている。先細りの未来に頭を抱え、俺はトボトボと安宿の自室へと引き返した。
ギシギシ鳴るベッドに深く腰掛け、頭を抱える。
(打つ手がない……。このままじゃ数日で詰む)
焦燥感と絶望が胸を締め付ける。その時、ふと机の上に置かれた「木箱」が目に飛び込んできた。
転移の瞬間まで握りしめていた、俺のハンドメイド石鹸。
蓋を開けると、爽やかなハーブの香りと、滑らかで美しい白い結晶体が日光を浴びて輝いていた。
(……石鹸)
粗悪で臭い石鹸が高級品として売れていた市場。
昨日の串焼き屋が言っていた、「肉屋の裏に捨てられている骨と脂の山」。
パン屋の親父が煤まみれになって苦しんでいた、「窯の大掃除で出る邪魔な灰」。
そして、今朝食べた「お湯のように薄く、固いパンを喉に詰まらせる酷いスープ」。
頭の中で、ばらばらだった点が、一気に一本の線で繋がった。
「そうか……!」
俺は膝を打った。
パン屋の灰は、水と混ぜればアルカリ液(灰汁)になる。
肉屋の骨と脂は、煮出せば極上のコラーゲンとスープの出汁になり、浮いた油脂は精製すれば石鹸の原料になる。
煮出し終わった骨を細かく砕けば、そのまま土を豊かにする骨粉肥料になる。
「捨てるものは何一つない。全部、無駄なく使い切れる……!」
フレンチの厨房で叩き込まれた「食材を使い切る技術」と、実家で母と学んだ「化学とクラフトの知識」。
この2つがあれば、俺はこの街で誰も真似できない「完璧な循環ビジネス」を作り出せる。
作るべきはふたつ。
この街の不味い食事を劇的に変える「コンソメキューブ」。
そして、人々の暮らしを変える洗濯用ではなく手洗い用の高品質な「石鹸」だ。
暗闇の中に、はっきりと一筋の道が見えた。
俺は机の上の石鹸を力強く握りしめ、立ち上がった。




