第九話|ほどけたあとの距離
音楽が、続いている。
だが——
先ほどまでとは、違って聞こえる。
「……」
セレスティナは、ゆっくりと息を吐く。
胸の奥に残っていた緊張が、ほどけていく。
重なったままの手。
その温度が、先ほどよりもはっきりと伝わる。
「……疲れたか」
低く、落ちる声。
「……少しだけ」
正直に、答える。
隠す必要がないと、わかっているから。
「そうか」
短い返答。
それだけで、指先がわずかに動く。
包み込むように、やわらかく力が加わる。
「……」
セレスティナは、視線を落とす。
その変化を、確かめるように。
「……先ほどの方」
小さく、落とす。
「気にするな」
間を置かずに返る。
それで終わらせるように。
「……気にはしておりません」
わずかに、首を振る。
「……ただ」
ほんの一瞬、言葉を探す。
「……重みは、感じました」
静かに逃げずに、正確に落とす。
「……」
短い沈黙。
「当然だ」
低く、返る。
軽くはしない。
否定もしない。
「……はい」
小さく、応じる。
それでいいと、わかる。
「……」
言葉は、続かない。
だが、足りている。
音楽が流れ、人の気配が遠くなる。
「……」
ふと、指先が、わずかに引かれる。
ほんの少し、距離が変わる。
「……」
視線を上げる。
レオニスが、見ている。
逸らさない。
「……何でしょう?」
静かに、問う。
「顔色が違う」
短く、それだけ。
「……そうですか」
わずかに息を吐く。
「……自覚はありませんでした」
「あるはずがない」
即答。
「……」
間が、落ちる。
そのまま——
距離が、詰まる。
肩が触れるほどに、わずかに引き寄せられる。
周囲から見れば、変わらない距離。
それでも——
確かに、近い。
「……陛下」
小さく、名を呼ぶ。
「そのままでいい」
低く、落ちる。
やわらかく抑えるように。
「……」
抗わない。
抗う理由が、ない。
「……少しだけ」
わずかに、声が落ちる。
「……甘くなる」
「……」
一瞬、呼吸が止まる。
その意味を、理解する。
遅れて頬に、熱が集まる。
「……構いません」
小さく、落とす。
視線は逸らさない。
もう、逃げない。
「……そうか」
短く、それだけ。
だが——
指先が、わずかに強くなる。
逃がさないように。
「……」
距離が、さらに詰まる。
呼吸が、かすかに触れる。
視線が、重なる。
そのまま——
今度は、唇が触れる。
ほんのわずかに、長く。
触れている時間が、伸びる。
温度が、ゆっくりと伝わる。
確かめるのではなく、求めるように。
「……」
名残を残すように、ゆっくりと離れる。
それでも、距離は崩れない。
「……戻るぞ」
低く、落ちる。
いつも通りの声音。
「……はい」
だが、応じる声はやわらかい。
隠しきれないほどに。
「……」
再び、歩き出す。
重なった手のまま、触れたままの距離で。
同じ広間。
同じ音楽。
同じ人々。
それでも。
——もう、同じではない。
ほどけたもの。
受け止めたもの。
そのすべてが。
この距離に、残っている。
だから、迷わない。
並んで、進んでいく。




