第三話 提示される選択
執務室の扉が閉まると、外の気配が静かに遠のいた。
重厚な机と書棚。
整えられた書類。
差し込む光は落ち着いていて、時間の流れすら穏やかに感じられる。
公爵は椅子に腰を下ろしていた。
「セレス」
低く、穏やかな声が落ちる。
セレスティナは一歩進み、静かに足を止めた。
「はい」
姿勢を整え、視線を向ける。
公爵は軽く顎を引いた。
「座りなさい」
短く促す。
セレスティナは頷き、向かいの椅子へと腰を下ろす。
背筋を伸ばし、静かに視線を上げる。
公爵はすぐには話さない。
わずかな間を置き、それから口を開いた。
「縁談の件だ」
言葉は簡潔だった。
「こちらから打診している」
静かに続ける。
その一言で、意味は十分だった。
室内の空気が、わずかに変わる。
セレスティナは、ほんの一瞬だけ目を瞬かせる。
驚きはない。
予想の範囲だ。
貴族である以上、いずれ来る話。
それが少し早まっただけ。
「……そう、ですか」
静かに返す。
声音に揺れはない。
だが――
言葉が、ほんのわずかに遅れる。
公爵は、そのわずかな間を見ていた。
何も言わない。
ただ、視線を外さない。
「相手は選べる立場にある」
わずかな間が落ちる。
「急ぐ話ではない。だが、先に道を示しておく必要はある」
事実だけを、淡々と並べる。
押しつけではない。
だが、逃げ道でもない。
セレスティナは、それを受け取る。
理解はできる。
状況も、意味も、すべて。
「……」
(問題ないわ)
そう結論づけようとして――
ほんのわずかに、止まる。
「……」
一瞬だけ、思考が途切れる。
理由は分からない。
だが、言葉がそのまま形にならない。
「……問題ない、はずです」
言い直す。
今度は、ゆっくりと、自分に確認するように。
公爵は、その言葉を静かに受け止める。
「……そうか」
それ以上は踏み込まない。
セレスティナが、自分で考えるべきことだからだ。
沈黙が落ちる。
重くはない。
だが、以前とは違う。
セレスティナは、わずかに視線を落とす。
縁談。結婚。
選ぶということ。
どれも理解できる。
貴族として、当然の話だ。
「……」
そのはずなのに、ほんの一瞬だけ。
別の感覚が、よぎる。
桜。
風に揺れる花びら。
触れた指先の、わずかな温度。
「……」
セレスティナは、ゆっくりと瞬きをする。
思考を戻す。
関係のない記憶。
今、必要ではない。
「……失礼いたします」
静かに告げる。
これ以上、ここで考える必要はない。
答えは、急ぐものではない。
立ち上がり、一礼して背を向ける。
扉へ向かい、手をかけて開く。
「セレス」
振り向かないまま、耳だけを向ける。
「無理に決める必要はない」
静かな声音だった。命令ではなく、ただ置かれる言葉。
「……はい」
やわらかく返す。
今度は、迷いなく、そのまま扉を開ける。
外の空気が流れ込む。
一歩廊下へ出て、静かに扉を閉める。
歩き出す。
足取りは、変わらない。
だが――
ほんのわずかに、揃っていない。
それに、まだ気付いていない。




