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恋を必要としない令嬢に、皇帝の執着だけが通じない  作者: 絵宮 芳緒
第六章 ほどけていく距離

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第二話 揃わないはずのないもの

ラディア公爵邸の朝は、静かに整えられている。


差し込む光はやわらかく、廊下を渡る風も穏やかだった。

使用人たちの足音も控えめで、屋敷全体が落ち着いた気配に包まれている。


変わらない日常。

変わる理由はない。


セレスティナは、机の上の書類へと視線を落とした。


内容を確認し、判断し、次へ進める。

流れはいつも通りだ。

問題はない。


「……」


それでも、ほんのわずかに手が止まる。

次に進むべき内容は分かっている。

順番も、間違ってはいない。

それなのに――


「……少し、遅れているかしら」


小さく、呟く。

すぐに気付ける程度の違い。

誰かに指摘されるほどではない。


けれど、自分には分かる。


ほんの一瞬だけ。

思考と動きが、ぴたりと重ならない。


セレスティナは、ゆっくりと瞬きをする。

理由を探そうとして――やめる。


はっきりしないものに、時間をかける必要はない。

そのまま、もう一度同じ流れで処理する。


今度は、止まらない。

自然に進む。


「……問題ないわ」


静かに、そう結論づける。

それで終わり。

そう思った、その時。


ふと、視線が窓の外へ向いた。

新しい葉が、風に揺れている。


やわらかい緑。

まだ少し頼りない色。


しばらく、そのまま見ていた。

理由はない。

ただ――


「……」


ほんの一瞬、意識が逸れる。


桜。

風に舞う花びら。


触れた指先。


「……」


セレスティナは、わずかに息を吐く。


思い出すつもりはなかった。

けれど、消えない。


「……不思議ね」


ぽつりと、落ちる。


嫌ではない。

困るほどでもない。

ただ、説明がつかないだけ。


「……問題ないわ」


もう一度、言う。

自分に言い聞かせるように。


視線を戻す。

書類へと意識を戻す。

手を動かす。

今度は、止まらない。


流れは整っている。

判断も、間違っていない。

――はずなのに。


ほんのわずかに、また遅れる。


「……」


セレスティナは、それ以上は考えない。


必要なことは、できている。

それで十分だと、判断する。


「……問題ないわ」


三度目の結論。

それ以上は、追わない。


外では、新しい葉が揺れている。

静かに、確かに。


気付かないまま、変化だけが、そこに残っていた。

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