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恋を必要としない令嬢に、皇帝の執着だけが通じない  作者: 絵宮 芳緒
第五章 静かな波紋

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第七話 触れた温度

皇城の一室は、静かだった。

余計な装飾はない。

整えられた空間に、わずかな光が差し込んでいる。


その中央に、レオニスはいた。

扉が開く。


「セレスティナ・ラディア、参りました」


形式に則った声音。

だが、その奥にあるものは揺らがない。


「入れ」


短い許可。

セレスティナは一歩、踏み入れる。

足取りは完全ではない。

だが、止まらない。


レオニスの視線が、わずかに動く。

その状態を、正確に捉えている。


「……急な願い、失礼いたします」


「構わない」


それだけで、十分だった。

セレスティナは、わずかに息を整える。

そして――


「……人払いを」


静かに告げる。

一瞬の沈黙。

だが、レオニスは迷わない。


「下がれ」


短い命令。

控えていた者たちが、音もなく退室する。

扉が閉じ、完全に二人だけになる。


「……」


沈黙が落ちる。

セレスティナは、一度だけ目を伏せる。

そして、ゆっくりと顔を上げる。

逃げない。


「……お話ししたいことがございます」


「聞こう」


短く、受ける。

セレスティナは、ゆっくりと息を吸う。


「……私は」


言葉を選ぶ。

それでも、止めない。


「前世の記憶を持っています」


空気が、わずかに変わる。

それでも、レオニスは何も言わない。

ただ、聞いている。


「そして……あの時」


喉が、わずかに詰まる。


「……殺されました」


静かに、言い切る。

セレスティナの指先が、わずかに震える。

それでも、言葉は続く。


「思い出したのは……あの時です」

「血を見て」


「重なりました」 


短い言葉。

だが、十分だった。

沈黙が落ちる。

レオニスは、ゆっくりと息を吐く。


それから――

静かに立ち上がる。

セレスティナへと歩み寄る。

距離を詰める。

そして、軽く手を差し出す。


「……座れ」


低く、落とす。

命令の形を取っている。

だが、その声音はやわらかい。

セレスティナは一瞬だけ迷い――

その手を取る。

力は強くない。

だが、確かだった。

導かれるまま、近くのソファへ腰を下ろす。


その瞬間、張りつめていたものがわずかに緩む。

レオニスも、すぐ隣に座る。

距離は近い。

だが、触れない。

それが、ちょうどいい距離だった。


「……怖かったです」


ぽつりと落ちる。

先ほどよりも、少しだけ素の声。


「でも」


呼吸を整える。


「今は……違います」


それでも、言い切る。


「……もう、逃げません」


沈黙。

レオニスは、その言葉を受け取る。

否定もしない。

評価もしない。


ただ――

一度だけ、視線を落とす。

そして、ゆっくりと手を伸ばす。


セレスティナの頭へ。

そっと、触れる。

指先が髪をなぞる。

やさしく、撫でる。

言葉はない。

ただ、それだけ。


セレスティナの呼吸が、一瞬止まる。

それから――


「……っ」


堰が切れる。

涙が、溢れる。

止めようとする。

だが、無理だった。

声が震える。

言葉にならない。

それでも、止まらない。


レオニスは、何も言わない。

手を離さない。

ただ、そこにいる。

動かない。

急かさない。

否定しない。


セレスティナは泣く。

静かに、ではない。

抑えきれずに、今まで閉じ込めていたものを、すべて流すように。


肩が震える。

呼吸が乱れる。

それでも――

逃げない。


どれほど時間が過ぎたのか、分からない。

やがて、涙が落ち着いていく。

静かに、呼吸が整っていく。


「……すみません」


かすれた声。

レオニスは、首を振る。


「謝る必要はない」


低く、落とす。

それだけで、十分だった。

手は、ゆっくりと離れる。


だが――

距離は変わらない。

隣に、いる。

セレスティナは、ゆっくりと息を整える。


胸の奥に、残るものがある。

さっきまでとは違うもの。

はっきりと、温かい。


「……」


言葉にはしない。

だが、確かにある。


レオニスもまた、何も言わない。

ただ、隣にいる。

それだけでいいと分かっているように。


「……無理はするな」


低く、落とす。

同じ言葉。

だが――

意味は、もう違う。


「……はい」


セレスティナは、やわらかく返す。

その声音に、迷いはない。

視線が、交わる。

どちらも、逸らさない。


沈黙がある。

だが、それはもう――

空白ではなかった。




しばらくの沈黙の後。

セレスティナは、ゆっくりと息を整えた。

涙の名残はある。

だが、もう崩れてはいない。


「……もう一つ、よろしいでしょうか」


かすかに掠れた声で言う。

レオニスは、短く頷く。


「構わない」


それだけで、続きを促す。

セレスティナは、指先を軽く握る。

言葉を選ぶように。


「……前世では」


一度、視線を落とす。

そして――


「薬剤師として、働いていました」


静かに告げる。


「調剤や、管理を任されることが多くて……」


ゆっくりと、言葉を整える。


「毎日、忙しくて」


わずかに息を吐く。


「でも……嫌いではありませんでした」


その声音には、ほんの少しだけ温度がある。

レオニスは、何も言わない。

ただ、聞いている。


「……人の命に関わる仕事でしたから」

「ほんの少しの違いが、結果を変えることもあって」


言葉が、自然と重くなる。


「だから……」


「気を抜いたことは、一度もありませんでした」


静かに、言い切る。

その重みは、十分だった。


「……その帰り道」


視線が、わずかに揺れる。


「それが起きました」


それ以上は語らない。

だが――

それで十分だった。

沈黙が落ちる。


レオニスは、変わらず聞いている。

セレスティナは、続ける。


「ノエルも……」


その名を出すとき、ほんのわずかに声が揺れる。


「最初は、違いました」


はっきりと、言う。


「穏やかで……優しくて」


一瞬だけ、目を閉じる。


「……だから」


わずかに、息を吐く。


「助けてくれたと、思っていたんです」


過去と、現在が繋がる。


「でも」


静かに、続ける。


「少し前から……おかしくなっていました」


視線が遠くを見る。


「きっかけは、はっきりしません。ですが……」


「“手に入れればいい”と……そう言うようになって」


空気が変わる。 


「……あの日」


声が、少し低くなる。


「押さえつけられて…逃げようとして」


呼吸が浅くなる。

それでも止めない。


「腕を掴まれて……そのまま倒れて……そこで、記憶が途切れました」


静かに、言い切る。

沈黙が落ちる。

レオニスは、ゆっくりと息を吐く。


「……そうか」


短く、落とす。

それだけで、十分だった。

セレスティナは、わずかに肩の力を抜く。


「……ありがとうございました」


小さく、頭を下げる。

レオニスは、わずかに視線を動かす。


「……礼を言われることではない」


低く返す。


「無理はするな」


その言葉は、やわらかい。


「……はい」


セレスティナは、頷く。

その声は、もう揺れていない。

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