第十六話 動き出す影
扉が閉まる音は、低く、短く響いた。
室内には、必要最低限の気配しか残らない。
装飾は整えられ、配置に乱れはない。
すべてが秩序の内にある。
その中心に、レオニスは座していた。
動かない。
だが、停滞しているわけではない。
思考は、すでに先へ進んでいる。
「失礼いたします」
控えめな声とともに、ディオンが入室する。
歩みは一定で、迷いはない。
レオニスは視線だけを向ける。
「来たか」
短く告げる。
それで十分だった。
ディオンは一礼し、距離を保った位置で止まる。
「セレスティナの件で、お呼びと伺いました」
端的な言葉だった。
無駄はない。
レオニスは頷かない。
肯定は、必要ない。
「異常が出た」
それだけを告げる。
ディオンの瞳が、わずかに細められる。
「……具体的には」
「崩れた」
簡潔だった。
だが、それで足りる。
ディオンは一瞬だけ沈黙する。
(崩れる――あのセレスが)
思考が、わずかに止まる。
想定外ではない。
だが、起きるべきではない変化だった。
「原因については」
静かに問う。
レオニスは、間を置かずに答える。
「名が出た」
短い言葉。
それで、十分だった。
ディオンの表情は変わらない。
だが、思考はすでに結論へ向かっている。
「……ノエルが関与している可能性は」
「否定できません」
断定はしない。
だが、外してもいない。
レオニスは、それを肯定しない。
否定もしない。
沈黙だけが落ちる。
その間に、十分な意味がある。
「拘束は」
ディオンが続ける。
「すでに――」
その時だった。
廊下を走る気配が、一瞬だけ空気を乱す。
ノックはない。
扉が開く。
「報告します」
短く、鋭い声。
「リグナス侯爵家嫡男、ノエルが――」
わずかな間。
「拘束を試みました」
空気が、変わる。
ディオンの視線が、わずかに動く。
「試みた、か」
低く落とす。
失敗か、成功か。
その一言では、まだ足りない。
「現在、拘束済みです」
続く報告。
それで、結論は出た。
だが――
遅くはない。
早くもない。
ぎりぎりだった。
レオニスは動かない。
だが、思考は確定している。
ノエル。
その名が、線として繋がる。
「監視を強化しろ」
短く命じる。
「二度目はない」
それだけだった。
報告者は一礼し、すぐに退室する。
扉が閉まる。
再び、静寂が戻る。
ディオンは、わずかに息を吐いた。
「……やはり」
小さく、落とす。
予測は、外れていない。
レオニスは、ゆっくりと視線を下ろす。
思考ではない。
確認でもない。
ただ、繋がった。
「無関係ではない」
それだけを告げる。
断定ではない。
だが――
否定はされない。
ディオンは頷かない。
必要がない。
理解は、すでに一致している。
「対応は」
短く問う。
レオニスは答えない。
すでに決まっているからだ。
その代わりに、別の言葉が落ちる。
「外すな」
視線が、わずかに動く。
その先にあるものを、捉えるように。
「セレスティナから」
それで十分だった。
ディオンは一礼する。
「承知しました」
短く返す。
それ以上の言葉はない。
必要がない。
役割は、明確だ。
ディオンは踵を返す。
扉へ向かう。
そのまま、開く。
廊下の空気は、先ほどよりもわずかに張り詰めていた。
動き出している。
静かに、だが確実に。
その中心にいるのは――
動いていないはずの存在。
ディオンは振り返らない。
そのまま歩き出す。
止まらない。
止めることもできない。
それはもう、始まっている。




