165 花ダイスの行き先
羽衣にくるまれた瞬間、私は暖かい春のような空気の中にいた。
辺りは薄暗い。が、少し離れたところにぼんやりと光る一角がある。
何なんだろうと私はそこに目をこらして見た。なんだか人の姿が見えたように思ったのだ。
年齢不詳の女がいた。そばかすだらけの青白い肌、手入れのされていない赤茶色の髪がボサボサに伸び放題になっていて、太い黒縁の眼鏡をずり落ち気味にかけている。服も伸びたセーターにジーンズと、凡そお洒落には縁遠い様子だ。
女は私を少し眇めて見てから、
「羽衣はあらゆる可能性を引き寄せるように作ったけれど、ここまで引き寄せるとはね」
「あんたは……もしかしてホリィ?」
羽衣のことを一番知っているのはホリィだ。もしかしたら、この人はホリィの前世?
女は私を半開きの目のままで見て言った。
「名前はどうでもいいわ。ただ世界の片隅でばかでかい計算機を相手に確率を扱い続けてきた人間よ。ただそれだけの人間」
女の言葉に辺りを見ると、そこは研究室らしき場所だった。
「もしかして、ここってホリィの前世?」
「そうね。というか、それを再現した場所よ。でもそれだけだわ」
女は私に向かって人差し指を突き出した。
「これ以上は進ませないわ。私は自分が作った道具のせいでパラドクスを起こさせるつもりはないの。今いる場所へ戻らせるわ」
女は腕を組み、私を軽く睨んだ。その瞬間、また周囲は暗くなり、そうして寒さが戻ってきた。
私は雪が降りしきる中に立っていた。
羽衣は私の周りに漂っている。ホリィがそれを納めようとしているが、なかなかできないと騒いでいた。
「んー、もう何で納まらないのよ?何か変なモノがくっついてるんじゃないでしょうね?」
「そりゃくっついてるよね。花ダイスがさ」
ラヴィが言うのに、私は自分の右の手のひらを見、それからラヴィを見た。
「そうなの?私から離れたの?」
「うん。たったさっき、羽衣が持って行った」
「じゃあ、これから花ダイスはホリィが管理するの?」
「えっ、冗談でしょ?」
ホリィが声を上げた瞬間、ホリィの中に納まりかけていた羽衣がするすると流れて飛んで行こうとした。それを私は反射的に掴む。
「危ないよ、ホリィ。ちゃんと管理しとかないと」
言いながら、私はぎょっとした。私が掴んでいた羽衣が、私の体の中にとけ込もうとしていた。
「えっ、ちょっと待ってよ。何で」
私が羽衣を振り払おうとしたとき、羽衣の一端をぎゅっと掴む手があった。
ガリエス先輩だった。
先輩は半身を起こし、しっかりと目を見開いて羽衣を掴むと、それを自分に引き寄せた。羽衣は私の中にとけ込んだ辺りから千切れて、今度は先輩の手の中にとけていった。
ホリィが大声を上げる。
「何、何で羽衣が切れるなんて、そんな柔には作ってないわよ?」
「事始め様の御意志かなあ」
シュルが小首を傾げながら言う。
「事始め様がこうしたいって思ったら、僕らに止める方法なんてないよね?」
「それはそうだけど」
シュルが嘆く側で、ガリエス先輩は自身の手を見つめながら言った。
「これで、花ダイスは俺の中に入ったかな」
ガリエス先輩の呟きに、私は愕然とする。
「何で、先輩そんな。まさかユゲリアがまだ中に?」
「あれは関係ない。そんな目で弟を見ないでやってくれ」
空から声が降ってくる。
レクスが空から降りてくるところだった。その肩にはレオナルドが入っている小さな人形がいる。
「羽衣が一緒についていれば、花ダイスの気配は遮断することができる。とはいえ、それをそのままお前に戻すと、お前が生きている間はお前の中で保管され続けるから、何とかしてやりたかったんだろう」
レクスはそう言いながら、まだ雪の中に座っている状態のガリエス先輩を魔素を操ることで宙に浮かせ、立たせた。
「意識はしっかりしているな。……良かった、本当に」
レクスはガリエス先輩の状態を確認してから、大きく安堵の息をついた。
「兄上、心配をかけて申し訳ありません。レイも、兄上を呼んでくれてありがとう」
「お前、あれに入り込まれてても意識はちゃんとしてたんだな。それにしても、最後の最後でさっきのあれって何だよ。シホちゃんのこと、本当に想ってたんだなあ」
ファラーグ先輩が泣き笑いしながら言う。
いやだから、何が何だか。
呆然とした様子の私に、レクスの肩に乗っていたレオナルドが言った。
「何だシホ、その間抜け面は」
「ああ、いや。何の話をしてるのかって。それに、羽衣は」
「お前が見た通りだ。羽衣は花ダイスを取り込み、羽衣はお前とフロリゼルに分けて保管されることになった。花ダイスもだ。花ダイスは分割された上に気配が遮断されたとなると、魔があれの気配を察知してやってくることはなくなるだろう」
「……でもそれじゃ、ガリエス先輩はどうなるんですか」
「どうもならん。花ダイスの気配は遮断されていると言っただろう。なので、お前のように人から離れて暮らす必要もない。お前も親のもとへ戻れるぞ」
レオナルドはさも当然のように言ったが、私は微妙だと思っていた。ファラーグ先輩からきいた話では、私は近所の人たちには嫁に行ったものと思われているのだとか。そんなところにのこのこ戻れる筈もない。
「帰りたくないの?」
ファラーグ先輩が察して訊いてきた。私は少し戸惑いながら、
「あー、まあ、時々親に会いに行くのはいいんですけど、前に先輩からきいた話だと、私、ご近所には嫁に行ったと思われてるらしいじゃないですか。そんなところに戻れないなあって」
「じゃあ、ここで暮らし続ければいいんじゃない?」
ラヴィがウキウキとた様子で言う。
「それで時々、王都に行けばいいんだよ。それなら問題ないよね?」
「できればもうちょっと人里に近いところに住んでもらえればというのがジェニファの希望だがな」
レオナルドが言った。レクスが肩をすくめてみせる。
「まあ、女公爵がどうかはとにかくとして、俺としてはラヴィの提案に賛成だけど。俺も時々、誰にもついてこられない訪問先は確保しておきたいし。あと、フロリゼルのこともあるしね」
「先輩のこと?」
私はガリエス先輩を見た。ガリエス先輩も私を見返す。
「兄上、何のことですか……?」
「お前の居場所だよ。お前が帰ってくると、またうちは大変なことになるかなって。お前を婿に迎えたいっていう貴族家の争奪戦が激化する。だから、お前はここで、シホのところでお世話になってたらいいんじゃないかなって」
何ですと……?




