163 雪の日の訪問者
私は自分が聞いた声が信じられなかった。ガリエス先輩の声だった。まさか、と思った。何でここに?
と、私の肩に乗っていたシュルが短く言った。
「魔の気配がする」
「ガリエス先輩じゃないの?」
私が低くく訊くと、シュルも小さい声で、
「フロリゼルもいる。でも魔の気配もある」
「憑かれたってこと?」
「それはちょっと違うと思う。魔の気配は薄い。さっきまで会っていて、別れてきましたって感じ」
「先輩は危険じゃないってこと?」
「魔の気配をさせているのが危険じゃないわけはないと思うけど」
私は迷った。ホリィ、とその辺りの宙空に向けて声を掛けてみたが、ホリィはいなかった。ホリィは相変わらず、気の向くままにいろいろ出かけることが多かった。今回もそういうことだろう。
「無視したらどうなるかな」
「どうだろうね。でも、シホは無視しないつもりでいるんでしょ?」
シュルに訊かれて、それもそうだと思った。もしここでガリエス先輩に会わず、その結果先輩に二度と会えなかったら、私は後悔するだろう。
「扉を開けるよ。シュルはいつでも結界を張れるようにしておいて」
「勿論」
私はシュルと小声で打ち合わせると、扉に向かった。
「今、開けます」
扉の外に向けて声を掛け、それから扉を開けた。ゆっくりと。
ガリエス先輩がそこにいた。
先輩は最後に会ったときとほとんど変わらない姿をしていた。今の私は三十を越えているが、ガリエス先輩は行方不明になった二十歳そこそこの姿から変わっていないようだった。
先輩は私を見るとほほえんだ。
「やあ、シホ。久しぶり」
「こんにちは。お久しぶりです」
「神使様は?」
「いますけど」
それまで透明になっていたシュルが姿を現した。
「こんにちは、フロリゼル。久しぶり」
「お久しぶりです。……もう一人の神使様は?」
「ちょっと出かけてますけど」
「そうか。それなら羽衣は使えない、と」
言うなり先輩は私の腕を掴むと魔素を流し込んできた。油断した。神の煉獄は復活しているので、人間相手に魔法をぶつけてくることはないだろうと思ってはいたけれど、魔素術なら確かに直接使える。そして先輩は治癒術は使えるので、魔素をそれなりに操れる。
私は先輩からの魔素を集めると、すぐさま逆流させて先輩に返した。先輩は手に火花を纏いながら私の腕から手を放した。私はすかさず私と先輩の間に亀の甲羅を出現させ、それを外に向かって飛ばすことで先輩を家の外に押し出した。
先輩は家から数メートルのところまで下がった。私も家を出て扉を閉める。
先輩はさしてダメージを受けた様子はなかった。
「どういうつもりなんですか。私に魔素を流し込んで」
私は淡々と訊ねた。このときにはもう、先輩の中にある魔の気配が大きくなっていた。
先輩も淡々と、
「君の中にあるモノを取り出さないと君の魂が大変なことになると教えてくれた人がいてね。それで、会いに来たんだ」
「私の中にあるモノって花ダイスのことですか」
「わかっているじゃないか」
先輩はすぐさま魔法を使い、ひどい風を発生させた。私に直接ぶつけてくることはないけれど、その風は降っている雪や積もっていた雪を巻き上げ、辺りは吹雪のようになる。
風が起こす音も大変な中、先輩は声を魔法でしっかり届けてきた。
「それがあるせいで、君の魂は歪んでいく。輪廻の輪に入れなくなるんだ。それはかわいそうなことだ、だから」
「かわいそうって何ですか。そんなこと言われる筋合いないと思うんですけど」
「輪廻の輪に入れないということは、親や友人といった人たちと同じ歩みを進められなくなるということだ。記憶がなくなっても、また巡り会うことができるかもしれないのに、それができなくなる。それがどんなに寂しいことか、君にはわからないのだろうか」
「わかりませんよ。第一、私はもうそういう歩みの中にいますけど、寂しいと思ったことはない」
前世で生まれ育った世界を離れて、私は一人でこの世界に来て生きてきた。ホリィは確かに同じ世界にいたことがあるけれど、前世で生きていた頃に会ったことがあるわけではないので、私としては一人でこの世界に来たという感覚は変わらない。
「先輩、はっきりとわかりました。あなたの中に魔がいる。それを追い出しましょう。私が手伝いますから。ここにいるシュルだって助けになります」
「そうだよ、フロリゼル。君はまだ完全に取り込まれていない。だからやり直せるよ。それに、ここに来てからシホに魔法を当てていないし、煉獄に戻ることもない」
うん?煉獄に戻る?
私が怪訝に思ったとき、辺りに吹き荒れていた吹雪がさっと消えた。そして次の瞬間、大きなラヴィの体が突如空から降ってきた。
「みーつけた!」
言いながらラヴィはそのしっぽでガリエス先輩をぐるぐる巻きにした。がっちりと、しっかりと。
「ダメだよー、僕の縄張りに足を踏み入れておいて僕に見つからずにいると思うなんてさー、あり得ないよ?」
言いながら、ラヴィは尻尾に力をいれ、先輩を締め上げる。先輩はうめき声を上げた。
「おいおい、やりすぎるなよ」
空からファラーグ先輩が降りてきた。
「フロリゼルは助けるんだっていう話だったろう?」
「そうなんだけどさー。でも、ちょっと痛めつけないと中から悪いモノは出てこないよ?」
「でもなあ、お前のやり方だと力加減がきちんとできるのか見てて不安で」
「出来るよー。僕は尻尾でりんごの収穫をすることだってできるんだから。ね、シホ?」
「あ、うん。まあね?」
それは事実だった。山の中に生えていたりんごの木を見つけ、その実を収穫したとき、ラヴィも随分手伝ってくれたのだ。
それはそれとして。
「何でファラーグ先輩がここにいるんです?まるでガリエス先輩が来るってわかってたみたい」
「いや、そういうわけじゃないんだけど。まあ前から、フロリゼルがシホちゃんのところに来る可能性はあると思って時々寄っていたけど、まさか本当にその場にはち合わせるとは思わなかった」
ファラーグ先輩がガリエス先輩が私のところに来るかもしれないと思っていたのは知っていたが、今回居合わせたのはたまたまだったらしい。
「とりあえず、知らせを送ってくる」
「知らせ?」
「うん。王宮に、魔法で光の信号を。レクスさんに伝えないと」
言うなり、ファラーグ先輩は空に飛び上がった。それを見送っていると、のんびりとした声がした。
「転移陣が使えれば、さっさと王宮まで行けるのにレイはそれができないからねー」
いつの間にかホリィが私の側にいた。シュルが嘴をかちかちさせながら言う。
「ホリィも悪趣味だよー。フロリゼルが来てるの、わかってたんでしょ?近くまで戻ってるのに家の中に入ってこないから何なんだろうと思ってたら」
「たまたまよ。戻ってきたときに、フロリゼルが上空を飛んでるのを見かけて、それでまずはラヴィのところに行ったのよ。そうしたらレイもいたってわけ」
話しているうちに、空に黄色い光が広がった。空は今澄んでいて、この条件ならここからのこの光は王宮に見えるだろう。
「他世界からの魂よ、それを……よこせ。おまえには関係のないものだ」
ガリエス先輩の中から声が聞こえる。それ、というのは花ダイスのことだろう。しつこい。
ホリィがガリエス先輩の中にいるモノに対して喧嘩腰で言い返す。
「あんたにだって関係ないものでしょ。それと、いい加減ガリエスの家の者に執着するのはよしたら?」
「ってことは、この中にいるのってユゲリア?」
魔の気配はわかるようになっても、魔の個性まではわからない私は訊ねた。ラヴィが頷く。
「そうだよー。こいつ本当にしつこいの。ガリエスにこだわらなければもっと力を削られなくて済んだのにねー。こだわるからレクスに目をつけられて掃討の対象になっちゃって。まあ、レクス自身がこいつに人生とか家族とかめちゃくちゃにされてるから」
「そうなのよねえ。やり返されるかもとか思わないのかしら」
ホリィが慨嘆を込めて言う。ラヴィは愉快そうに、
「だよねえ。レクスは二度と遅れはとらない!って気合い入れてるしね」
「あんたはあれの修行につきあったりもしたからねえ」
「だって、レクスって力をぐんぐん身につけていくんだもん。見てると面白いよね。人間の可能性っていうの?そういうのを感じられて」
ラヴィの楽しげな様子に反してガリエス先輩は苦しげな呻き声を上げ続けていた。その声が段々大きくなってきて、さすがに大丈夫かなと思ったとき、急に先輩ががっくりとうなだれ、動かなくなった。ホリィが叫ぶ。
「シホ、羽衣!」
ホリィが口を開け、中から羽衣が出てきた。私がそれを掴んだのと同時に、先輩の体の中から黒い靄が出てきた。私がそれを認識するのと同時に羽衣がそれに向かって直線的に動き、黒い靄を縛る。
実体がない筈の靄を、確かに羽衣は縛っていた。私はその現象に動けなくなった。いや、この羽衣、私と関係なく動いてない?
ホリィが歓喜の声を上げた。
「これであんたも終わりよ、ユゲリア。この偏倚の羽衣は、あらゆる可能性を引き寄せるの。それこそ、神殺しだってね?まあ、羽衣自体、この世界の神々に力を借りている私が作ったものだから、この世界の神々にはそういうことはできないけど、そうではない者相手だったら、どれほど神に匹敵する力があってもこの羽衣に滅せられることは十分に有り得るのよ」
私は戸惑いながらホリィの言葉をきいていた。確かに、私が持っている羽衣は、いつもと様子が違っていた。それはわかった。私の手の中で、羽衣は意思を発していた。確かに私はそれを感じ取ることができた。
シュルが静かに言った。
「シホ、羽衣を放していいよ。それは今は自分で動けるから」
「自分で動けるって……。やっぱり羽衣の中に何か入ってる?」
「うん。とっても強いひとが」
「僕、嫌だなあ」
ラヴィが拗ねた様子で言う。
「折角気分良く遊んでたのに、こんなのが来るなんて」
「こんなのって……良くないものなの?」
違うよ、とシュルが苦笑気味に言う。
「良くないものではないよ。この存在をそういうことはあり得ない」
「まあねえ。言わば、これは、この世界に最初に帽子を置いた存在だよ」
ラヴィがそっぽを向きながら言った。




