162 日々は過ぎ
私が学院に在籍している間、私が世界の維持に果たした役割のことについて、学院復帰の一日目を除いて、学院の中で言ってくる者はほとんどいなかった。学院に戻ったその日、クロウの義兄の忠告にあった通りに私のことを見に来た魔法科の生徒はいたが、数名程度だった。それらもファラーグ先輩が魔法で特定して然るべきところに報告した後は止まった。
私は高原に出発する前の生活に戻った。卒業後の進路についてはクラリィ婆ちゃんや第三王女殿下にも相談して考えていた。相変わらず私にくっついているホリィやシュルにも相談していた。
人形師になるのが良いのかなと私は考えていた。どこの勢力にもつかずにいるにはそれが一番だったから。それに、アンソニーの体のこともある。アンソニーというかレオナルドというべきか。
レオナルドは高原から戻ってきて早々に体を手に入れてはいた。クラリィ婆ちゃんが持っていた小さな木の人形だ。以前、クラリィ婆ちゃんの姉弟子が作ったときいていたものだ。
質のいい人形ではあるが勿論永遠に使い続ける訳にはいかない。替えの体を準備するのは必須で、私は自分の目標をそこに定めることにした。
ただ、私の手のひらに埋まったままの花ダイスのことが気になっていた。そんな妙なものが手のひらに埋まっていて、作るものに影響が出たりしないだろうか。
花ダイス。世界が始まる前から存在していた物体で、それがあれば世界を新しく立ち上げられる、とまで言われているモノが私の体の中にある。次はそれを狙って王宮が何かしてくるとかあったらどうしようと最初私は心配していたのだけど、ホリィはのんびりとしたものだった。
「だって、あんたが花ダイスを持ってるっていうのは私たちみんな知っていたことだったし」
「それじゃ、王宮も知ってたってこと?」
「ああ、まあね。王様は。後の人間は多分誰も知らない」
「それじゃあんたの言う、私たち、って誰のこと?」
「神使ね。あと、ラヴィとかアンソニーとか」
本当に「人間じゃない」モノばかりだった。何それ。
とはいえ、国王が知っていればそれで十分らしく、人間が花ダイスのことで干渉してくることはなかった。
魔は相変わらず私の中にある花ダイスを狙ってきていて、シュルがそれらを全てはねのけていたが、時折私の周りにいる人たちが狙われたときには、私自身が羽衣の助けを借りながら精神に干渉する系統の魔法を使って、魔の影響を受けた人たちを元に戻した。その対象には、両親や学院を卒業した後に弟子入りした人形工房の人たちも含まれた。
疲れた。
私は両親の元を離れた。クラリィ婆ちゃんがうちに来ればいいと誘ってくれたが、婆ちゃんも年をとって弱ってきており、もし魔に狙われたら、それに抗えるかどうかはわからなかった。
私はホリィとシュルと一緒に、テッサ山脈の奥に移住することにした。言わずとしれたラヴィの縄張りだった。ラヴィは大喜びだった。
人間にほとんど会わない生活が始まった。生活費は自分が人形を作ったり、父がしていたように素材を集めたりしてそれなりに稼いではいたが、自分が作ったり集めたりしたものを売るときもシトゥノール公爵家を継いだタロちゃんが窓口になってくれた。
そして稼いだ金はほとんど使うことはなかった。生活に必要なものは、タロちゃんやレクスが運んでくれた。それらの物資を用意してくれたのは、タロちゃんか、新たに自身の公爵家を立てたジェニファだった。
ジェニファは婿をとっていた。私は知らない人だけど、王家の姫にはふさわしい相手だとはわかった。ジェニファは幸せそうだった。
私が知っている人はジェニファに限らず大抵が幸せそうだった。マリちゃんはなんとルートヴィヒと一緒になっていた。命を救われたときからルートヴィヒはマリちゃんのことを想っていたらしい。年の差はあるけど、マリちゃんのことを心底大事にしているようで、マリちゃんの家のことを教えてくれるレクスはいつも、ルートヴィヒのマリちゃんへの甘々な態度を「砂糖を口から吐けそうなくらい胸焼けがする」と表現していた。
私はそれを苦笑しながらきいていたが、幸せならそれでいいと思った。
私が知っている人のうち、消息がわからなくなっている人もいた。中でも心配なのは、ガリエス先輩だった。学院を主席で卒業した後、ガリエス隊長のところへ行き、守備隊に入ったが、その任務の途中、国境付近で砂嵐に巻き込まれ、遭難した三日後に彼の部隊は皆保護されたが、先輩だけはどこにも見つからなかった。
それを教えてくれたのはタロちゃんで、レクスは私にはそのことを何も言わなかった。言えなかったのだと思う。時々ガリエス先輩が消えた地域へ行って先輩のことを探しているのだというのも、タロちゃんからきいた。レクスは先輩が魔に取り込まれたのではないかと心配しているともタロちゃんは言った。あいつの経験からも仕事柄も、そういうことを心配するのは当然だろう、とも。
レクスは魔素術科を一年留年し、私が卒業した翌年に主席で学院を卒業した。留年したのは、魔素術の研究が面白くなって学院に残りたくなり、わざと単位をとらなかったためだった。そして卒業した後は、王宮の顧問魔術師の一人に名を連ねた。
それをきいたとき、最初私は、魔素術科を卒業したくせに出鱈目な、と思ったが、レクスが魔素術科に入学したのは魔法に関してもう学ぶことがなかったからだときいて、魔素術を極めた後は魔法使いとして名を残す方向に舵を切ったのもおかしくはないと思った。まあ、レクスは自身の過去の出来事から魔を殲滅したいと考えており、そうであるならばそれは魔素術よりも魔法の方が威力があるので、魔法使いとして活動するのは彼にとってはよりその意に適うことだと思ったのもある。
レクスは私のところに来たときにも、テッサ山脈に近づいた魔を消してくれていた。ラヴィは、余計な世話だ自分でやるのに、とぶつぶつ言っていたが、私には心強かった。
レクスは何度か私に、魔が近づいたら逃げるようにと言った。魔素術では魔を払う力はそんなに強くないし、羽衣を使えば魔法を使えるけれども咄嗟にそれができるとは限らないから、と。
心配性だなあ、と思いながらも私は素直に頷いていた。
テッサ山脈に籠もってそれなりの年月が過ぎていった。クラリィ婆ちゃんは亡くなった。空き家になった婆ちゃんの家はいつでも私が戻れるように保たれているとジェニファがファラーグ先輩に言づてをしてくれた。私は両親が亡くなったら戻る、と先輩に伝えた。私がいると魔がついてくるだろう。年老いた両親がその影響を払いのけられるかというと、それは無理だろうと思った。今よりも若い時期にだってできなかったことなのに。
私の返事に、ファラーグ先輩は責めたりはしなかった。ただ、わかった、とだけ答えた。
ファラーグ先輩は家が持っていた子爵家の名を受け継ぎ、別の家を立てていた。もうファラーグの名は名乗っていないが、慣れていたのでかつての名で私は先輩を呼んだ。他に誰がきいているわけではないし、先輩自身もそれを許してくれたので。先輩は学院を出た後、王宮魔術師になっていた。先代国王の薨去後、新たに王になったヨハンの個人的な使いも請け負っているのだと話してくれた。
それで結構忙しそうな先輩が山奥に籠もっている私のところに来てくれるのは、ガリエス先輩がもしかしたら私のところに来るかもしれないと思っているからだった。
ファラーグ先輩は私のところに来るたびに、ガリエス先輩は来なかったかと訊いた。
「来ませんよ」
私はいつも答える。ファラーグ先輩はそれをきいても気落ちする風でもなく、
「あいつが来たらすぐに教えてよ。約束だよ」
と言う。私は承知するが、何で先輩がそんなことを言うのか、わからないでいる。第一、ガリエス先輩は生死も定かではないのに。もし生きていたとしても、私のところには来ないだろう。行くべき場所、訪ねるべき相手は他にたくさんいる。兄弟とか、友人とか。私は……そのどちらでもない。比較的よく話をした後輩ではあるとは思うけど。
そんなファラーグ先輩とは違って、レクスは一切ガリエス先輩のことを私に訊ねたりはしなかった。一度だけ私の方から、ガリエス先輩は今どこで何をしているんだろう、というようなことを話題に出したことがあるが、レクスは私がガリエス先輩のことを知っているとは思わなかったらしく、私を驚いた様子で見つめた後、私の頭をニ度、三度と軽く叩いて、
「大丈夫、心配はいらないよ」
とだけ言った。ガリエス先輩を黙って探しに行っているときいたのに、これは何なんだと私は思い、そのことをファラーグ先輩にも言ったが、ファラーグ先輩は困ったような顔をして、まああの人は独特だから、とだけ言った。
それからまた時間が経った。マリちゃんが三人目の子どもを産んだとの知らせをきいた。それを伝えてきたのは、アンソニーだった。レオナルドと言うべきか。クラリィ婆ちゃんが死んだ後、レオナルドはちょくちょく私のところに来るようになっていた。
今のレオナルドの体は、クラリィ婆ちゃんが最後に遺した人形だ。前に入っていた人形は傷んできていて、そんなところに婆ちゃんが死に、その仕事場にあったその人形が都合がいいと入り込んだのだった。腕のいい人形師ならよくある、誰の注文を受けたわけでもなく出来が良ければ神域に納めようと考えて作ったものだというのは、私もそれを見た瞬間にわかった。出来のいい人形だった。但し、私の肘から手の先までの大きさしかないけれど。
それでもアンソニーは、前の体よりも大きくなったと喜んでいた。私には、これよりも大きいサイズの人形を所望する、と言った。他の人形師にも当たった方がいいんじゃないの、と私は言った。私の人形作りの腕前は、魔素術の腕前のようにはいかなかった。確かにそれなりには作れる。神域に納められる程度のものだって作れる。が、婆ちゃんやその姉弟子ほどの腕前に達することができるとは思えなかった。
レオナルドは私の言葉を鼻を鳴らしながら一蹴した。
「作れ。長生きして精進すれば、必ずどれほどかのものにはなる」
レオナルドは確信しているようだった。それとも、私にそうなってほしいと思っていたのか。ちょくちょく私のところに来たのは、私の修行の進捗を確認するためなのだろうか。
レオナルドが来るたびに、私はそんなことを思った。
レオナルドがおめでたい知らせを持ってきた後、マリちゃんの第三子出産のお祝いに、私は小さな人形をぶらさげたモビールを作った。モビールというものはこの世界にはなかったけれど、まあこれくらいのものを前世で暮らしていた世界から取り入れるくらいはいいだろうと思った。ホリィに相談しても、まあそれくらいいいんじゃない、という程度だった。
タロちゃんかレクスかファラーグ先輩が来たときに言付けようと思って出来上がったモビールを木の箱に仕舞おうとしたとき、住処にしている小屋の前で人の気配がした。
冬で、雪が降り積もっていた。生命の気配が雪のせいで隠匿されてしまうので、ごく近くまで相手が来るまで気がつかないというのはよくあることだった。
相手はこの小屋にまっすぐ向かってやってきていた。
誰だろうと私は不思議に思った。知った気配に思うが、相手が誰かはわからなかった。
私は少しばかり心が騒つくのを感じながら、小屋の外の気配に気を配った。
小屋のドアがノックされた。私は声を返さなかった。もう一度ノックされ、小屋の外から声が聞こえた。
「シホ。いるんだろう?」
懐かしい声だった。ガリエス先輩。まさか。




