150 煉獄
高原の民が言うところの神域は、高原の森の奥にある。
そこは他よりも巨大に育った木々に囲まれ、木々の間は一寸先も見えないほどの靄で常に満ちていて、通り抜けるには木々から発せられる魔素の気配を読みながらでないとまともに歩けることはできない。
きいた話では木々の中にはぶつかってきた生き物をそのまま食べてしまう魔獣が表面に張り付いているものもあるらしく、魔素の気配を読めないような未熟者はここを通り抜けられないんだとか。
神域の周りの森に入ると傷のない綺麗なお化け百合の花びらを高確率で拾うことができるので、そこに入りたがる者は結構いるのだけど、魔素術の錬度が低い者が神域の周りの森に足を踏み入れるのを禁じられている。私はそんなへまをしたことはないけど、高原の民で戻ってこれなかった者が過去にいたのだろう。
神域の周りの森の木々をうまくよけながら歩いていくと、つるつるのタイルで出来た壁が出現する。一族に伝わる話によると、建築技術に長けた神使が何体か遣わされて一日のうちに組み上げたのだという。
その壁には一カ所だけ大きく穴のあいた場所があり、そこから中に入れる。といっても、ここには魔素の柱が突き上げるように生えては引っ込むというのを繰り返していて、これにぶつかると体が串刺しにされる。なので、魔素が吹き上げるタイミングを計って入り込むか、亀の甲羅を自分の足下にも張りつつ進むか、あとは魔素が吹き上がるその間をすり抜けていけばいい。
魔素の柱がどこから生えるかは観察していればわかる。最初は注意深く見て通るようにしていたが、神域の管理人と出会って話をするようになってからは、私が来たと知ると管理人が魔素の柱が生えるのを一カ所だけ止めてくれるようになった。
管理者は、前世で見た獅子舞に似た頭と首回りから青黒く染められたお化け百合の花びらを蓑のようにくっつけた小さな人形のなりをしていた。初めて会ったとき、この世界にはこんな生き物がいるのかと私は驚いたものだが、私の心の中を読んだ管理人はすぐに私の勘違いを否定した。
曰く、自分は生き物ではなく、人工物の中に魂が入って生きているかのように動いているだけなのだと。
管理者は神域の管理をしており、いろいろと忙しいらしかったが、話し相手は欲しいとのことで、私が神域の中に入る手助けをしてくれたときにはよく他愛のないお喋りをした。
だが、管理者がこちらに気付くのを待たずに私が勝手に入り込むこともあり、そんなときには管理者に一度も会わずに神域の中を散策し帰っていくということもあった。
神域の中はほぼ植物で埋め尽くされているのだが、一部は石造りの建物があり、そしてその傍に白い塊で埋め尽くされた場所があった。
塊、というか、大きな繭、というか。人間の大人がすっぽり入る大きさはある。
それは見た目は魔素術の蚕の繭に似ていた。が、蚕の繭なら魔素を操れば術を解けるのに、これはそうはいかなかった。そして、それは新しくできたものは白い繭そのものなのだが、古くなると灰色のピーナッツみたいな見た目になるようだった。古くなったものを軽く叩くと良い音が響いて、どうやら中は空洞のように思われたが、時折そこに中から影が指すのが見えることもあり、あるとき私は管理者にあれは何かと訊いた。中に何か入っているのかと。
管理者はのんびりと、
「入っているものもあるね。元は全部に入っていたんだが、永い年月のうちにあの中の環境に耐えられなくて溶けてしまったものもある」
「あれって、何かの卵なの?」
中に入っているものの影がさして見えたものの魔素の気配を探ってみたところ、生き物の感じがしたのだ。
「中に入っているのは生き物だよ。ただ、あそこで生まれたわけではない。よそから引っ張ってきてあそこで保管しているんだ」
「何のために?」
「来るべきときのために」
管理者は静かに言った。低い女性の声にも、細い男性の声にも受け取れる声だった。
「来るべきとき?」
「ああ。もう既に始まっているのだけどね。……ところで、お前はあんなところに入って、怖くはないのかい。あの場所は人間には結構不気味に見えるらしいんだが」
「え、私以外にもここに入ってくる人っているの?」
高原の民は神域には入らない。来るとしても、ここの外壁までである。そこから先は禁足地と考えている。……まあ、私はそんなの無視して来ているのだけど。
「時々平地から使者が来るのでね」
「そっかー、平地かあ。私、平地の人には会ったことないんだよね。母さんは平地からお嫁に来たんだけど、母さんの家族にも会ったことはないや」
「今度来たときには会わせてやろう。お前はよくここに来るから、きっと機会があるだろう」
管理者は約束してくれ、私はとても嬉しく思った。
そうして初めて会ったのがタロちゃんだった。
といっても、最初タロちゃんが平地の人だとはわからなかった。会ったのが、例の白い繭やらで埋まっている場所だったので。
私はその日は管理者の助けは借りずに神域に入り、いつものように散歩をして、あの白い場所に入っていった。
白い場所の一角、一番古い繭がある辺りを通りかかったところで、私はいつもと違うのに気がついた。
繭の中で一番古いものに亀裂が入っていた。そこから水蒸気が漏れでていて、私が見る前で亀裂は水蒸気の噴出とともに大きくなり、そこから黒いものが見えた。
それが人間の髪だと気付いて私は固まった。何となく、そこに入っているのは人間以外の動物だと思っていたから。
亀裂は見る間に大きくなり、中に入っていた人間の上半身が繭の外に出てきた。十代前半くらいの少年で、身につけていた服はぼろぼろになって背中の肌があちこち見えていた。少年は水蒸気のせいかびしょ濡れだった。
私はおそるおそる少年に近づき、顔に張り付いていた髪をつついて顔が見えるようにした。
それがきっかけか、少年は目をゆっくりと開いた。私がいるのに気がつくと、目をこちらに向けて、
「ここは……?」
「神域、だけど。あなた、誰」
「俺は、タロス、だけど。お前は」
「わかった。あなた、タロちゃんね」
私が断言すると、向こうは絶句していた。
「タロちゃん……」
「あのね、高原では自分の名前を全部言わないのよ。名前を少し変えて言うの。そうすると、高原にいるおかしなものたちに魂の全部を握られにくくなるからって。私はシホだけど、みんなにはシホゥって言われてるわ」
「シホ……」
「そう。待ってて、管理人を呼んでくるから。ここから動いちゃ駄目よ」
私はそう言って行こうとしたが、タロちゃんはそれよりも先に私の腕を掴むと、
「待ってくれ。俺も行く。ここに一人でいたくない」
と言った。
とはいえ、タロちゃんはすぐに動くことはできず、タロちゃんがゆっくりと繭から出てくるのを待っているうちに管理者がやってきて、それでタロちゃんがここに永く保管されていた人間であることを知ったのだが。
「何でここで保管なんてされてたの?」
私が素朴に訊くと、タロちゃんは恥ずかしそうに、
「ちょっと魔法の操作を間違って、姉の子に当ててしまったんだよ」
「そんなことで?魔素術を誤って他の人に当てたからって、こんなところに閉じこめられたりはしないよ?」
管理者が笑う。
「魔法は規則がきついのさ。神々の煉獄、というのはきいたことがあるかね?」
そうして私はそこが神々の煉獄であると知ったのだった。
いや、煉獄という名からすると業火が燃えさかる中に魔法使いたちは捕らわれているのだと思っていたのだけど、全然そんなことない場所だったんだよね、そこ。暑くも寒くもなくて。
そう、今、私がいる場所のような……。
そこで私は、自分が目を閉じているのに気付いた。顔に当たる空気は冷ややかだが私自身は何かにくるまれてほんのり暖まっており、暑くも寒くもないような状態にいる。
初めて聞く声が響いた。若い男の声だ。
「とりあえず、取りこぼしはないな。皆避難完了ということで」
「はい、それで大丈夫だと思います」
答えるのはガリエス先輩だ。そしてハーヴェロイ王子が文句を言う声が聞こえる。
「久しぶりに会ったが、相変わらずお前は偉そうだな」
「そうですか?気にしすぎですよ、殿下。俺はいつも通りに話しているだけなんで。兄上、どうかされましたか。苦虫を噛み潰したような顔をしていますが」
「いや……、お前がそういう性格だったというのを、今思い出していたところだ」
「そうですか、たった六年ぶり……いや、兄上はその前に三年ほど放浪していましたから、九年ぶりですね。そう考えれば、忘れるのに十分な時間が経っていましたか」
「悪かったよ、家のことを放っておいたのは本当に申し訳なかった。その間にまさか父上がそんなことになっているとは思わなかった」
「まあ、それは仕方がないですよ。普通に考えて、十分分別があると思っていた父親があんな人形の馬鹿げた言い分に耳を傾けて家を傾けるような真似をするなんて、想像ができる筈がない。かく言う俺も、本当にやばくなるまで気がつかなかった。迂闊でした。気付いた後も向こうの精神攻撃に蝕まれて、おかしくされてしまったし」
「レクス兄上はおかしくありません。俺こそ、同じ屋敷に住んでいたのに気がつかなくて」
「お前はまだまだ子どもだったろう。気がつかなくても仕方がなかったよ。それよりもお前、大きくなったなあ。背は俺を越えてるな。うん、叔母上に預けて良かった。もしかしたら叔母上でも守り切れないかもしれないと心配していたんだが、あの人形の執着はお前には向かわなかったんだな」
「あなたがあれに全力で抵抗し続けていたからですよ」
ルートヴィヒの声が話に入ってきた。
「あなたはあれに捕らわれた後、魔力を使ってあれに抵抗し続けていたでしょう。あれはそれに対応するのにかなりの力を使っていたので」
「ああ、ルートヴィヒおじうえ、でいいんですかね。それを言うのなら、あなたのおかげでもある。俺が捕らわれている場所に魔力やらいろいろな仕掛けを差し入れてくれて、俺の反撃を助けてくれてありがとうございました。まあ、貴方があんな生き人形を作らなければこんなことにはならなかったのにと何度も思いましたけどね」
「それについては何も言い返すことはできませんが」
「話が盛り上がっているところ申し訳ないが、そろそろ内輪の話はやめにしてもらえないかね」
私のすぐ左手で、クラリィ婆ちゃんの声がした。
「そんな話をしていたのでは、この子も目を覚ましたくても覚ますことはできないだろう」
婆ちゃんは、私が意識を取り戻したことに気づいていたらしい。まあ、魔素の流れを常に感知し続ける習慣がある人間なら誰だって気がつく。
なので、私はゆっくりと目を開けた。




