149 神域で待っていたもの
「あれ?まだシホもタロスも煉獄がどこにあるか言ってないの?煉獄って高原の神域の中にあるんだよ?」
ラヴィの言葉に、レイドール公爵令嬢が驚いた表情で私とタロちゃんを見た。クラリィ婆ちゃんやガリエス隊長、アンリウォルズ先輩は特に反応なし。
公爵令嬢が私とタロちゃんに訊いてくる。
「今の話、本当なんですの?」
「あー、うん、まあねえ。ここまで来たら言ってもいいかなあ?」
「というか、お前、どこで明かすつもりだったんだよ」
「タロちゃんだって黙ってたじゃん」
「高原のことだし、お前に合わせた方がいいかなって思ったんだよ」
「いやー、教えるのは神域に着いてからでもいいかなって思ってさ」
レイドール公爵令嬢は放心したように、
「よほど危険な場所にあるのだと思っていましたわ。だから、矢鱈な者たちが行こうとして命を落とすのを防ぐために伏せているのかと」
「まあ、矢鱈な連中に行ってほしくないのは同じだよ。高原の神域は高原の民の縄張りだし、神域自体に防御機構もあるし、管理者も強力だし、行こうとすれば厄介なことになるのは確かだから」
「事実、ここまでついてきて脅しにかかってきた連中もいたしな」
タロちゃんは水蓮の葉の上からクラリィ婆ちゃんを抱えてラヴィの背に降り立つと、身に纏っていた神具を解除した。
「とりあえずラヴィ、神域に俺たちを連れて行ってくれないか。高原の民の信号弾のことが気になる」
「わかったよ。他の皆も僕の背中に乗っていいよ。絶対に僕が飛んで行った方が速いしね」
残る三人も大人しくラヴィの背に乗る。
「じゃあ、行くよー!」
ラヴィは言うなり移動を始めた。スピードは魔法使いが全速力で飛ぶのより五割増しくらいで速い。速すぎたこともあってか、魔獣たちは一切寄って来なかった。
神域にはやがて到着した。周りの森の木々の高さを大きく越えて育った木々が壁のようになり、その中を地面から湧いた水蒸気が空へ柱のように延びている。その周りを常に竜巻が巡っていて、天気がめまぐるしく変わる。
とはいえ、森の中を移動していれば、木々の葉がほとんどの雨を防いでくれるし、風も木々が防いでくれるので、いきなり暗くなったり明るくなったりすることだけに驚く程度で済むのだが、空を行くと天気の変化の影響をダイレクトに受けることになる。
「ラヴィ、神域に近い場所でどこか降りることはできない?難しければここで私たちが降りるけど」
「えー、待って、降りられる場所を探すから」
ラヴィが言ったそのとき、轟音が響いた。雷が鳴り響いたような感じだ。神域近辺では雷は珍しくないので、いつもの雷か、くらいに思っていたのだが、隊長さんが言った。
「魔法による雷だな」
「え、魔法?まさかさっきの連中の仲間が入り込んでいるとか?」
私の言葉に、アンリウォルズ先輩が言った。
「どうかな。あの家にこれだけもの魔法を使える者はいないと思うが」
「そうですわね。魔力の量が桁違いですわ」
「んー、ハーヴェロイかなあ」
ラヴィがのんびり言った。
「は?今何て?」
「うん、だからね、ハーヴェロイかなって。フロリゼルはちょっと魔法の使い方が違う感じがするから。レイにはこんな大魔法は無理だし」
「フロリゼル?どういうことだ」
隊長が驚きで声を上げる。そのとき、また轟音が響いた。今度は、魔素が何かにぶつかった波動がこちらにまで伝わってくる。
婆ちゃんが冷静に、
「話しているより先に現場に行った方がいいんじゃないかね。ラヴィは飛びながら教えておくれ、何故ハーヴェロイ王子やガリエス伯爵の弟たちの名前がここで出てくるのか」
「うん、いいよー」
飛びながらラヴィは言った。実は私たちを助ける前にハーヴェロイ王子とその護衛と従者、ガリエス先輩にファラーグ先輩を神域まで送ってきたのだと。
「何でそんなこと」
「ハーヴェロイが誘ったんだよ。フロリゼルはお兄さんが神々の煉獄に入っていて迎えに行きたいと思っているだろうからって。フロリゼルは転移陣を使えるしっていうのもあったと思うけど。フロリゼルが断ったら、家族がどうなってもいいのかって言い出したから、僕、言ったんだ。連れていってあげようかって。フロリゼルが困ってるの、助けてあげようって」
「何であんたがそんなこと?」
「だって僕とフロリゼルたちがいつもの森で遊んでいるところにハーヴェロイが来たんだもん」
「それって、他にも学院生がいたってこと?」
「ううん。いなかったよ。フロリゼルとレイと、あとルートヴィヒね」
「ルートヴィヒ?何で?」
「ルートヴィヒが学院にいた頃、魔法部で僕のお世話係やってくれてたから、懐かしくてフロリゼルに頼んで連れてきてもらってたんだ。そしたらそこにハーヴェロイが来たんだよ。で、一旦フロリゼルたちを神域に置いてきてからシホたちを迎えに行ったんだよ」
そのときまた魔素が大きく揺れる波動がした。どうやら魔素術の使い手がいるようだ。
「これは……ルートヴィヒか。相手は誰だ?鶴の一声を使っているようだけど、高原の民が相手か」
「違うよ」
ラヴィがあっさりと言った。
「高原の民は僕らがきたときにはもうかなりやられてたよ。さっきの信号弾も、よく上げられたよね」
「やられてたってどういうこと?」
私は驚きで訊き返す。まさか神域の防御機構が動いたとか?でも高原の民は神域を攻撃するなんてことはしない筈だ。
「神域の中からでかいのが出て来たんだよ。まあ、もう着くから、見てみてよ」
ラヴィの言ったとおり、私たちはもう戦闘が行われている場所の上空に来ていた。眼下の森は大きくえぐれてい、そこだけ木々がなく地面が広い範囲で見えている。
その場所に高原の民が散らばって倒れていた。ルートヴィヒはそんな彼らに治癒術を使っていた。その上空で神域に向かって魔法で障壁を張っているのが、
「ハーヴェロイ王子?」
王子の視線は神域に向いていた。視線の先を見ると、神域の水蒸気の柱の一部が裂けて、そこから何か大きなものが出ようとしていた。
私はそれに見覚えがあった。竜だ。高原を出るとき、私たちを追いかけてきたモノ。そして、第三王女殿下や私が死にかけた原因となったもの。
「……竜?」
私が呟いたとき、裂け目に向かって神域の傍から雷が飛んだ。その出元を見ると、ガリエス先輩がいた。ハーヴェロイ先輩もいる。
先輩が放った雷は竜に当たったが、何の効果もなかった。竜は何事もなかったかのように前に出てくる。
ガリエス先輩がまた魔法を使おうとするのが感じられた。
それを見て、タロちゃんが魔法で声をガリエス先輩たちに飛ばした。
「やめろ!そいつに魔法は効かない!むしろ、魔力を吸い取られて相手に力を与えることになる!」
ガリエス先輩はこちらを見上げて驚いたような表情をした。魔法をすぐに消し、空を飛んで私たちのいるところまで上がってきた。ファラーグ先輩も後を追う。
「ラヴィ、シホちゃんたちを連れてきてくれたのか」
ファラーグ先輩がラヴィに声を掛けた。ラヴィは愉快そうに、
「そうだよー、連れてきたよー。助かったでしょ?」
「ああ。お前がちょっと行ってくるって言って飛んでいったときにはどうするつもりかと思ったけど」
「あれは何なんだ」
アンリウォルズ先輩が訊ねる。ファラーグ先輩はかぶりを振って、
「わからないんです。あの水の柱の近くまで来たら中から出てこようとしていました」
「あんたはあれのことを知っているのか」
ガリエス先輩が険しい表情をしながらタロちゃんに訊く。
「あんたはさっき、魔法で攻撃するとそれを吸収されると言っていた。実際に、俺の攻撃はみんなそうなってしまった」
「ああ。八年前に。俺と第三王女殿下で戦ったが、今言ったようなことで歯が立たなかった。しかも第三王女殿下は瀕死の怪我を負ってしまった」
「そのときはどうしたんだ」
「シホが倒した。ジェニファ公女の誕生日パーティで国王陛下が言っただろう、シホは竜殺しだと。そして第三王女殿下の命の恩人だと。あれはそのときのことだ」
そのとき、竜が吼えた。途端に空に稲光が走り、周りの空気が震える。ホリィが言った。
「滅茶苦茶不機嫌そうねえ」
「まあ、仕方がないわよね。生まれたばかりで混乱してるんでしょうし」
タロちゃんの襟元から顔をのぞかせたヴィーナが言う。
私は疑問でいっぱいになって訊ねた。
「生まれたばかり……?どういうこと?あれって神域で生まれたの?でも、私、神域には結構出入りしてたけど、高原を出るときまで見たことなかったよ?」
「まあそうでしょうね。あれは煉獄の産物だから」
「それってどういうことだ?」
「そのままですわ。煉獄に取り込まれた魔法使いたちのうち、試練に耐えきれなかった者の魂が混じり合ってできたものです」
「いや、私、煉獄にもよく出入りしていたけど、そこでも見たことなかったよ?」
私の言葉に、ヴィーナはじろりと私を見た。
「本当に、あなたって常識外れですのね。そんなところに入るだなんて。あの場所はどう見ても他の場所とは違っていたし、普通は入るのを遠慮するものでしてよ?」
いや、そんなこと言われても、入れたんだからしょうがないじゃん?
タロちゃんが取りなすように、
「まあこいつはほんの子どもだったから。でも、俺も疑問だな。あんなの、いつでも煉獄にいるわけじゃないだろ。発生条件は何なんだ」
「煉獄が解放されたときに、試練を越えられなかった者の魂も解放されますの。ただ、普通に死んだ者とは違ってすぐには次の生には向かえなくて、神域の中をさまようことになるんですけれど、そういった魂が集まってお互いの輪郭を忘れて一つになったときにあれが発生するんですわ」
「じゃあ、前回も……?」
「ええ。煉獄が解放された結果ですわ。まあ、今回は竜が生成される速度がやけに速いとは思いますけど」
「ちょっと待ってください」
レイドール公爵令嬢が話に割って入った。
「煉獄の解放は前にもあったということですか?」
「ええ。世界の終わりはもっと早くに始まっていたんですのよ。だから神々は半分ほど解放したんです。今回、残り半分を解放したんですわ」
そのとき、また竜が吼えた。咆吼とともに光線が口から一直線に放たれ、それはハーヴェロイ王子の障壁にぶつかる。障壁は壊れはしなかったが、王子は大きく高度を落とした。それでも空中に踏みとどまっていて、再度高く空に舞い上がった。
「すごい、あれを耐えたんだ」
「王子は魔力量は凄いからな。使い方が火炎や雷を放つか障壁を張るかしがないんだが」
アンリウォルズ先輩が言ってから、
「それで、アリス・ゼン。お前、やれるか。王子もいつまでも耐えられるわけではない」
「駄目だよ、シホ」
私が答えるより前に婆ちゃんが言った。
「お前がやれば確実にやれるだろうが、お前に大きな負荷がかかる」
「でも、死ぬほどじゃないよね?竜の咆吼を撃てばいいっていうだけなんだから」
「竜の咆吼って、ラウトゥーゾの遺跡でお嬢ちゃんが撃ったっていうあれか」
隊長が眉間に皺を寄せる。
「あれのせいで遺跡の結界は大変なことになった。そんなものをこんなところで撃って、神域に影響はないのか」
「神域ってそこまで柔じゃないでしょ」
「確かに神域自体はそれだけでは問題はないと思いますわ」
ヴィーナが言う。
「でも、煉獄に影響があるかもしれませんわ」
「煉獄なんてもう用が済んだものでしょ」
「終わってはいませんわ。場所を移すことになると思いますけれど、再利用されます。なので、煉獄に影響が出ないようにしてもらわないと」
「じゃあ代案を出してよ。魔法が吸収されるんだったら魔素術でやるしかないけど、竜の咆吼以上に威力のある術はないんだし」
「あとは、鶴の一声を一点集中して皆で撃つくらいかね」
婆ちゃんが言うが、
「それって誰がやるの?高原の民はあんなになってるんだよ?」
私は地上に散らばるように倒れている高原の民を見ながら言った。彼らは死んではいないらしい。彼らから発せられる魔素の様子からも、ルートヴィヒが治癒術を掛けて回っていたことからもそうとわかる。
「高原の民の残りをこちらに集めるか」
「残りって、高原の入り口に置いてきた連中と、集落に残っている連中のこと?でもそんなのやってる間はないわよ。それに、高原の民がこっちの言うことに耳を貸すかどうか」
竜がまた吼え、太い光の束を口から放った。ハーヴェロイ王子は持ちこたえたが、見るからにその障壁は弱くなっている。
「とりあえず、王子に加勢する」
アンリウォルズ先輩が飛び出す。いや、加勢するって、竜を魔法で攻撃したら駄目なんだってば。
「私も行きますわ。障壁の重ねがけをするだけでも王子には助かる筈です」
レイドール公爵令嬢も飛んで行く。だが、二人が王子の加勢をするよりも先に空のあちこちで稲光が起こり、辺りの空気のあらゆる場所が帯電しはじめ、前に進めなくなった。前に進もうとすれば、途端に周りの空間から小さな火花が散り、二人にダメージを与えていく。
竜はハーヴェロイ王子を見据えると、今までとは比にならないくらい大きく口を開けた。光と炎と雷とがいっしょくたになったモノが見え、これはまずいなと思った瞬間、私は鶴の一声を竜に向けて撃っていた。
それは鶴の一声などというかわいらしいものではなく、今まさに竜が撃とうとしていたモノと同じほどの光量を伴い、竜に向かっていった。
これが竜の咆吼か。
竜は咄嗟にこちらに顔を向け、放とうとしていた光と炎と雷とをこちらに向けて撃った。
私は意識が薄れようとしていく中、自分が放った術の制御を必死でやった。向こうが撃ってきた攻撃にかすりながらも正面からの衝突は避けることができ、しかし竜の眉間を狙って撃った筈の一撃は竜の片方の耳と角を消滅させることしかできなかった。
竜はまた吼えた。今度はすさまじい音を伴うだけで、攻撃ではなかったが、そこで安心はできなかった。竜はすぐさま声を飲み込むと、口に光を集め始めた。それは一度竜の喉の奥に取り込まれ、次には同じ喉の奥から溶岩のようなものがせり上がってくるのが見えた。
これは多分魔法の障壁では防げない、と直感でわかった。王子も同じ事を思ったらしい。障壁を解いて、空へ飛び上がることを優先させる。これで王子は大丈夫。でも、地上にいる高原の民は?ルートヴィヒだっている。
竜はマグマを口から出そうとした。竜の口から放たれようとしているものが何かを察したらしいガリエス先輩と隊長がそれぞれ魔法で水を作り出し、その奔流を竜の口へ向かって放つ。が、間に合わない。
マグマの一部が竜の口から溢れてどろりと地上へ落ちようとしたとき、空から凄まじいブリザードが吹き荒れた。それはマグマにぶつかると、瞬く間に固まらせていった。そして、竜をも凍らせていく。
それを見届けるように、空から黒づくめの少年がゆっくりと下降してきた。白い肌に銀色の髪をしているのが遠目でも見える。
多分、その瞳は灰色がかった青だ。
先輩が呟くのが聞こえた。
「レクス兄上……」
そこで私の意識は途切れた。




