145 高原へ
私は人形師たちにもらったラヴィの鱗と同じ色のマントを学院の制服の上に羽織ると、家を出た。
家の外ではクラリィ婆ちゃんが既に待っていた。
黙ったまま私たちは王都の外、転移陣の使用が許可されている転移場まで、早朝で誰もいない道を、魔素術で森の上を移動するのと同じ要領で滑るように行く。馬車や通行人がいないからできることだ。
転移場には、タロちゃんの他、ガリエス隊長やアンリウォルズ先輩、レイドール公爵令嬢が既に来ていた。彼らは動きやすい服装で、ちょっとした防具とはっきりとわかる武器を腰から下げていた。
レイドール公爵令嬢も他の人たちと遜色ない装備で、内心かなり見直した。いつも着ているようなドレスで来られたらどうしようと心配していたのだ。
私たちガリエス隊長の転移陣で高原の麓の町まで転移した。
ここは母が生まれ育った町で、私は今までに一度だけ来たことがある。八年前、高原を出て来たときのことで、でもそのときの私は竜の吼哮を撃った後で意識が飛んでおり、ここのことは覚えていない。母の兄一家が住んでいるのは知っているのだけど。
転移して出たのは、町の中心にあるラウンドアバウトの上だった。田舎町とは言え、人通りが少しはあってもおかしくないと思うのだけど、通りには人っ子一人いなかった。
この町に来たことがあるのは、私以外ではガリエス隊長とタロちゃんとクラリィ婆ちゃん。
というか、婆ちゃんが来たのに私は驚いていた。ジェニファからきいた話では、クラリィ婆ちゃんは、人形師協会からの推薦だそうで。
人形師協会に推薦枠なんてあったのが意外だったが、ジェニファによると、強力な魔素術師をつけた方がいいだろうと陛下が考え、強力な魔素術師といえば人形師だということで協会に推薦をお願いしたらしい。実際に出してもらえるかどうかはわからなかったけど、即日の返事でクラリィ婆ちゃんが推挙されたとか。
婆ちゃんは元々高原出身だから頼りにはなるけど、十二の頃に高原を出て以降、一度も高原には戻ってないんだよね。行くとしても高原の麓のこの町までで。大丈夫なのかな。
「これは何かあったのか?」
町に余りに人気がないのに隊長が呟くと、婆ちゃんが応じた。
「それは人を捕まえてきけばいいさね。ちょうどこの目の前が町の役場だ。行けば誰かがいるだろうよ」
そう言っているうちにもその建物の扉が開き、年輩の男性と女性が出て来た。婆ちゃんが言う。
「あれがこの町の町長と副町長だよ。女性が町長、男性が副町長。姉弟なんだよ」
二人は私たちがいるラウンドアバウトの下まで来ると、揃って拱手し、頭を下げた。
「世界の安定のために王宮から派遣された方々だとお見受けします。我々はこの町の町長と副町長をしている者です」
「この町は見たところ人通りがないが、いつもこうなのか。それとも何かあったのか」
アンリウォルズ先輩が訊ねる。
町長は頭を下げたままで、
「王宮から、世界の調整のために人を送るとの知らせを受けて、皆、世界が終わるのではないかと不安なのです。家族だけで最後の時間を過ごそうと考え、それぞれの家で過ごしています」
「世界を終わらせないために我々は来た。そのような心配は無用だと民に言ってほしい」
「そう願いたいですよ。ただ、それは終わってみないとわからないことでしてね。もしものときのために悔いが残らないようにしないと」
「お前さんたちの間に世界の調整の話がそれだけ広がっているということは、高原の連中も知っているのかね」
クラリィ婆ちゃんが口を開くと、町長も副町長も少し笑顔を見せた。
「クラリィ。八年ぶりかね。王宮からきいてはいたけど、本当に来るとは思わなかった」
「八年前に来た子も一緒だよ」
婆ちゃんは私を示す。町長たちは私を見て、表情を曇らせた。
「……名簿で、もしやと思っていたが、本当にそうだとは」
「姉さん、名前を伏せておいてよかったなあ」
「何かあるのかい」
町長たちのやりとりをきいて、婆ちゃんが訊く。
「いやなに、今回の世界の調整の件、高原の民にはなるべく知られないようにと言われていたが、そうはいかなくてな」
「ただ、名簿を見て、高原出身らしい名があったので、それは知られないようにした方が良かろうと思って」
「そこまで伏せるのなら今回の件自体も伏せてくれればよかったのに」
「それはできなかったんだよ。王宮からの使者を迎えるのにどう体制を整えるか役場内で話をしないとならなくて、どうもその話し合いに参加した者から調整のこと自体は漏れたようだ」
「そんなのでよく来る者の名前を伏せられたね」
「誰が来るかの情報は後で来たからね。名簿を見た瞬間に、これは伏せておかないとまずい、と思ったんだよ。明らかに高原出身だとわかる名が挙がっていたから」
「何がまずいんだ」
アンリウォルズ先輩が訊ねる。町長はまた拱手して、
「高原の者たちの矜持に関わることだからですよ。これまで自分たちの役目だと思ってきたことを追い出した者に取られるだなんて、彼らからすると許せることじゃない。知れば絶対に邪魔をしてくるでしょう」
「そういうわけだから、リナの娘、お前の伯父一家を呼んでおくこともできなかった。申し訳ない」
「構いません。高原氏族と衝突しないで済むのならそれで」
私が言うと、町長たちは頷いた。
「理解のある子で良かった。とりあえず、神域までの食料等は用意してある。それを受け取ったらすぐにでも出てくれ。この町に長居はしない方がいい」
役場に行くと、小ぶりのリュックサックが人数分用意してあった。中身は食料だ。水は現地調達することになる。
用意されたものは私からすると十分な量だったが、レイドール公爵令嬢は、
「待ってください。たったそれだけですか」
町長は少し困ったような表情で、
「しかし、王宮からの指示の通りです」
「いいよ、それで」
私は言った。
「それで十分。多すぎるくらい」
「そうだな。高原の中を移動する間の分だけあればいいんだし」
タロちゃんも言う。レイドール公爵令嬢は黙ったが、代わりにアンリウォルズ先輩が、
「だが、神域に着いた後の食料はどうするんだ」
「神域に入ってしまえば何とでもなる。あそこ自体が自然の食料庫みたいなものだからな」
タロちゃんの言葉に、町長と副町長が深々と頭を下げた。とにかく早く出て欲しいのだろう。
「お気をつけて」
二人は役場の玄関で私たちを見送った。私たちはそこからまた隊長の転移術で分界石で移動した。いや、だから何でこの人はそんなところまで来たことがあるんだっていう……。
「自分たちが守ろうとしている世界の形を見て回りたかったんだよ」
と隊長は言っていたが、普通、こんなところまで来ないのでは。
それはともかくとして、私たちはそんな隊長さんの過去の行動の恩恵を受け、分界石のすぐ近くに転移した。
「懐かしいねえ」
婆ちゃんが言う。そうだね、と私が応じる。
「じゃ、行こうか。分界石を通り過ぎたら、何が起きてもおかしくないから本当に警戒してね。いつでも飛べるようにして。もしはぐれても、星辰を目指して飛べば大丈夫だから。無事でいる限り、私か婆ちゃんが迎えに行くから」
私は普通に高原への道を行こうとした。それをレイドール公爵令嬢が止める。
「待ってください。このままだと神域に行くことになりますよね。煉獄に囚われた方たちとはいつ合流するのですか」
「ああええっと……、もしかして情報開示されてないの?」
私はタロちゃんを見た。
タロちゃんは肩を竦めて見せながら、
「まあ、貴族連中もいろいろとあって、伝えられている相手とそうでないのとがいて」
「どういうことですか?」
公爵令嬢はアンリウォルズ先輩を見た。先輩は肩を竦めてみせて、
「俺は伯爵から教えてもらうように言われている。伯爵は?」
「神祇庁からの……ヨハン・テウル公子からの指示は、事告げ様の指名を受けた二人が煉獄の場所を知っているから、その指示に従っていればいいというものだった。クラリィ師、あなたは何と?人形師協会には神使が来たときいていますが」
「私は、とにかく神域を目指せと言われたよ。高原氏族が邪魔をしに来たら蹴散らしていけ、とね。世界が保たれた後のことがあるから、あまり数は減らしてくれるなと言われたが」
「それでは煉獄はどこに」
喰い下がるジェニファに対し、私はタロちゃんを見ながら、
「ここまで来たら教えていいのかな?」
「どうかな。俺はここに来るまではそれでいいと思っていたけど、今はそういう気は失せたな」
「確かにそうですわね」
レイドール公爵令嬢がため息をつく。彼女も気付いたのだろう。魔法が展開されている。魔力の痕跡を隠蔽しようとしているが、微かに漏れているのでわかる。
私は足下に落ちていた石を拾い上げると、それに魔素を纏わせ、分界石の向こう側へ投げつけた。魔素で勢いをつけたため、ツバメが飛ぶくらいのスピードになっていた。
その石が何かに当たった音がして、うわっという叫び声が上がったかと思うと、ただ森が広がっているように見えていた分界石の向こうに、十人程度の人間が道を塞ぐように並んで立っているのが見えた。




