129 約束と違うんだけど
先輩は我が家の玄関に向かっていった。
私はマリちゃんに言って、部屋を出て階段を降りていった。シュルはちゃっかりと私の肩に早々に乗っており、ホリィもマリちゃんも後をついてくる。ホリィとシュルは階段を降りきる前に姿を消していたけど。
母が玄関先でガリエス先輩の応対をしていたので、私は声を掛けた。
「お母さん、その人、私のお客さん」
「シホちゃん、言い方!」
後ろからマリちゃんが小声で窘める。
母は少しばかり苦い表情をしていたが、先輩はいつも通りの様子で、
「今から出られるか」
「えっと……いいですけど、どこに?今日、先輩たちがうちに来るってきいてたんですけど」
「今日これから、叔母上の家で話をしようと思って。父上が、君と話をしたいと」
「私と?何で?」
第一、今日はガリエス先輩からマリちゃんにお礼を言ってもらうために約束を取り付けた筈なのに。
「それは……。とにかく、場所を移したいんだ」
「それには私も同行していいですか」
マリちゃんが静かに言った。ガリエス先輩は頷いた。
「そうだな。君も一度は父と話をしたときいているが」
「ああ……、わかりました、そういう話なんですね」
マリちゃんとガリエス先輩の間で何だか話が進んでいる。話の様子だとマリちゃんも来るようだけど、でも私が思っていたのと話の進み方が違う。
私が戸惑っていると、ファラーグ先輩がガリエス先輩の後ろからひょいと顔を覗かせた。
「ファラーグ先輩!」
話が違う、と抗議をしようと思ってファラーグ先輩のところへ行こうとしたら、ファラーグ先輩は片手を上げて、
「シホちゃん、とりあえず行こう。ここで話すことじゃないと思うから」
約束が違うという話をしようと思っただけなのに、何でここで話すことじゃないと言われるのか。
私は心の中でぶちぶちと文句を言っていたが、マリちゃんはすっきりとした表情だし、マリちゃんが納得してるならいいか、と思い馬車に乗る。
馬車が走り出すと、マリちゃんがガリエス先輩に訊いた。
「先代侯爵の具合はいかがですか」
「ベッドに体を起こすのは問題なくなった。食事も自分でとれるようになるのは時間の問題かな」
ガリエス先輩の声が心なしか明るい。
「先輩、良かったですね」
私が言うと、ガリエス先輩は私に向かって深々と頭を下げた。
「シホ、ありがとう。君のおかげで父は助かった」
「いや、私だけの力じゃないですけど」
「それでも、君がいなかったらこんな日は迎えられなかった。兄上や姉上とも話すんだ、父があんなことをしでかした後、まさかこんな風に父と話せる日が来るとは思わなかった、って。本当に感謝している」
「いや、それを言うならマリちゃんでしょう。マリちゃんがいなかったらあのまま先輩のお父さんは死んでしまった可能性が高かったし」
「それも感謝している。リーヌ・フォロ、本当にありがとう」
「いえ、それは。あの……、でも、先代侯爵は命は助かったけれど、魔法を使うことはできなくなっていて」
マリちゃんの声のトーンが落ちる。
「本当に申し訳ないです。そんなことを起こさないで治療ができれば良かったんですけど」
「気にしないでくれ。少なくとも、俺たち家族は誰も気にしていない。父上自身もだ。それに、ルートヴィヒおじうえも。口さがないことを言う者がいても、俺たちのように感謝している者がいることを忘れないでくれ」
ガリエス先輩の言葉に、私は気がついた。そうか、ルートヴィヒも死にかけていたところをマリちゃんに治療してもらって、それで魔法を使えなくなったのか。うん、国王が一緒の部屋にいてそっちに気がいっていたので、そこまで頭が回らなかった。でもルートヴィヒは何であのときあんな怪我をしていたんだろう?
マリちゃんは少し考える様子を見せながら、
「あの……ルートヴィヒさんのことなんですけど、確かに私はあの方を治療したんですけど、でもどうしてあんな大怪我というか、妙な傷を負っていたのか、ずっと不思議に思っていて」
「妙な傷?」
私が訊ねると、マリちゃんは頷いた。
「そう。見た目には出血が多くてひどい怪我だったんだけど、その実はそこまで重傷ではなくて、普通に治療できると思って治療したけど、治療する端から傷が広がるような感じで。結局作り替えるくらいのつもりで集中したら何とか傷を取り除くことができたのだけど、でもあんな傷、どうしたらつくのか」
「何だか呪いみたいだね」
私の呟きに、私以外の三人がぎょっとした表情をした。呪い、という概念はこの世界にもある。ただ、それは人間の業ではなく、神やそれに類するものにしかできないと言われており、概念は知られていても、実際の例に出くわすことはまずない。
マリちゃんが少し青い顔をしながら言う。
「呪いって、そんな。それは人間ではできないことよ?」
「まあそうだけど、ユゲリアならできるわよねー」
私の頭上でふわふわ浮きながらホリィが言う。家を出て馬車に乗りこんだ後はホリィもシュルも姿を現している。
「ユゲリアが?何でルートヴィヒにそんなことするわけ?自分の体を作ってくれる人形師じゃん?」
「そうは言うけど、ルートヴィヒはあいつのところから出てきてるでしょ。きっと何かあったのよ。で、ユゲリアのところからできた後の様子からすると、ルートヴィヒはユゲリアの有利になるようには動いてないし。ていうか寧ろ敵対しているように動いてるし?」
「ガリエス先輩は、ルートヴィヒから何かきいていないんですか」
「おじうえからは何も。……というか、お前、おじうえのことは呼び捨てなんだな」
「それでいいって本人が。人形師として同じ道を行くのなら、敬称とかいらないって言われて」
「シホちゃん、人形師になるの?」
ファラーグ先輩が意外そうに訊いてくる。
「んー、考え中ですけど。人形師になったら、ラヴィの体を診てあげられるなって思って」
それに、アンソニーにも体を作るよう頼まれている。
「シホちゃん、それ、良い考えだと思うよ!」
マリちゃんが浮き立つような声で言う。
「シホちゃんがストームから帰った後、ラヴィってすっごく寂しそうにしてて。私、ちっちゃくなったラヴィと何回もお喋りして、お友達になったの。あの子、良い子で愛嬌があるけど寂しがり屋で。しきりに、みんな仲良くなっても立場が変わったら会いにきてくれなくなるって言ってた。治癒術師団員ってあの子に会いにいける立場みたいだから、私はずっとあの子に会えるって思ったんだけど、シホちゃんも人形師になったら一緒に会いに行けるわ!」
そう言う風に言われると、人形師になるというのはとても良い考えのように思われたが、ガリエス先輩は渋面を作ってきいていた。
「……ガリエス先輩?」
「いや、お前なら魔素術だけでなく魔法も使えるんだから、もっと別な道があるんじゃないかと思って」
「魔法って、私、神具の助けがないと使えませんよ?宴が終わったらホリィだっていなくなるだろうし、魔法は全然使えなくなると思いますけど」
私はホリィを見上げる。ホリィは唸り声を上げながら、
「んー、あー、そうねえ。そうなるよねえ、きっと。まあ、ちょくちょくあんたのところに遊びには来たいなー、とか個人的には思ってるけど、でも神具を貸してあげることはできないんじゃないかなー」
「でしょ。だから、魔素術の腕だけで食べていくことを考えないと」
「シホちゃんの魔素術の腕前なら、王宮にも就職できると思うけどね」
ファラーグ先輩が言う。
「まあ、そんな話はとりあえず置いておいて。そろそろ着くよ」
間もなくして馬車は小さな邸宅の前に止まった。前世で言うならば、八世帯が入居できる二階建てのアパートみたいな感じの大きさだ。庶民の感覚からすると十分に大きいけど、貴族の感覚からすると間違いなく小さい。何だったら、モノルムのマリちゃんの実家の方が断然大きい。あっちは四階建てだったし。
馬車を降り、玄関ドアをノックしようという段で、ここがドライド子爵邸だと教えてもらった。リーシア先生の家、ってことでいいのかな?
「ドライド子爵家は、ガリエス家の分家よ」
マリちゃんが小さな声で言う。ガリエス先輩がそれに補足するように、
「ガリエス家から何人も、養子としてこちらの家に入っている。叔母上も姉上もこちらに入った。叔母上のときはこちらに跡取りがいなかったからだが、姉上のときは、叔母上のところに子がいなかったことに加えて我が家の不始末のせいで姉上の勤めに差し障りが出そうだったために、養子に入ったという感じだな」
「んー、じゃあ、とっても近しい家、っていうことですか」
「そうだな。どの貴族家もこういう家を持っているものだが」
「そして俺も、婿養子に出なかったらそのうちにそういう家に養子に出ることになるんじゃないかな」
ファラーグ先輩の言葉に、私は固まる。が、ファラーグ先輩は笑顔で、
「そんな顔しないで。悪いことじゃないんだから。万が一本家に適当な跡取りがいない場合は、分家から養子に入れて家を存続させることができる。今すぐじゃないかもしれないけど、生まれ育った家のためになれるかもしれないんだよ」
私はぎこちなく頷いた。そういう考え方は理解はできる。前世の日本にあった徳川御三家とかそういう話だったんだし。でも、家を出されるって、心穏やかじゃいられないんじゃとか思ってしまう。
ガリエス先輩が玄関のドアをノックすると、すぐに応えあり、玄関のドアが開いた。
中から出てきたのは初対面の女性だった。間違いなく美人の部類に入る。年齢は三十代後半くらいか。隊長さんと同じような髪の色をしているが、こちらは少し髪の根元が黒っぽい。
「待っていたわ、フロリゼル。それと、ファラーグ侯爵令息。そちらの二人が?」
「はい、叔母上。魔素術科で神々の宴の出席者になっているシホ・アリス・ゼンと、治癒術師のマリ・リーヌ・フォロです」
ガリエス先輩の紹介に、女性はカーテシーを私たちにした。
「初めまして。私はカトリーヌ・テウル・ドライド。この家の主で、フロリゼルの叔母にあたります。このたびは、兄のイースを助けていただき、ありがとうございました」
「あの、えっと、どういたしまして……?」
私は困ってマリちゃんを見た。マリちゃんは穏やかに笑みを浮かべながらカーテシーを返す。
「そのように言っていただけて恐縮です」
「いいえ、そんな。本当はシャールもリーシアも同席したかったのだけど、二人とも仕事で」
言いながら、ドライド子爵は私たちを奥に案内した。
「本当にうちは名ばかりの貴族家で。家にしても庶民と変わりがないでしょう」
「あ、いや、そんなことは全然」
「本当に飾り気のない家で殺風景でごめんなさいね。子どもでもいればもう少し雰囲気が違ったかもしれないけど、うちはそうではないから。今はリーシアが暮らしてくれているから、これでも少しは違っているのだけど。ほら、あれはリーシアが生けてくれたの」
一輪挿しに挿された花を指さす。
「私はそういうのに興味がなくて。あとは、フロリゼルが週末に寄ってくれれば良いのだけど、いつもモノルムのシャールのところに行ってしまうのよねえ」
「叔母上、俺のことは関係ないでしょう」
「そんなことないわよ。貴方が来てくれたときには、夫も喜々として料理を作るもの。先祖伝来の大皿まで出しておもてなしをするなんてことも、生活の潤いには必要なことなのよ」
そう言いながら、子爵はあるドアの前で立ち止まった。
「ここが兄の病室です。あまり広い部屋ではないから、私は席を外しておくわね」
とは言え、子爵は、ドアをノックし、来意を告げるところまではしてくれた。
ドアを開けて中から出てきたのは、ルートヴィヒだった。
「カトリーヌ、ありがとう。お客人はこちらで引き受けますよ。シホさん、マリさん、どうぞお入りください。イースは先ほど目が覚めて食事を終えたところなんです。ちょうど良かった」
部屋に入ると、リーシア先生がベッドの傍のサイドテーブルから食器を下げようとしているところだった。
私とマリちゃんは反射的に先生にお辞儀をした。先生はほほえみながら、
「お休みの日にわざわざ来てもらって申し訳なかったわね」
「いえ、寧ろ、お招きいただいてありがとうございます」
そうしっかりとした挨拶をしたのは、マリちゃんだ。私はマリちゃんの発言の後にひょこっと頭を下げるしかできなかった。
先代侯爵はベッドの上に起きあがっていた。幾つものクッションに埋もれるようにして後ろにもたれかかってはいたが、それでも表情はすっきりとしている。
「こんにちは、リーヌ・フォロ治癒術師。学院も王宮の修行もお休みの日だときいているが、来てもらって本当に良かったのかね」
「大丈夫です。先代も、お加減が良さそうで安心しました」
「皆のおかげだ。本当に、何と言えばいいか……。馬鹿なことをしでかした私を、受け入れて支えてくれている。本当にありがたくてね。何故私はあのときあんなことを……」
先代侯爵の目から涙が流れる。リーシア先生が、
「お父様、その話は今しないといけないことではないでしょう。今日はフロリゼルにお願いしてシホさんを連れてきてもらったのに」
私を?と不思議そうな表情になるのは仕方ないよね?だって今日はあの馬鹿王子の発言で自分の能力に不信を覚えているマリちゃんを励ますために、マリちゃんの力で助かった当事者からお礼の言葉をもらおうとガリエス先輩たちと約束していた筈なのに、私に会うためにセッティングをしたっていう話になっているのだから。
先代侯爵は私に向かって言った。
「あなたが、シホ・アリス・ゼンさんということでよいかな」
「あ、はい」
「レクスのこと、本当に申し訳なかった」
言うなり、先代侯爵は額が掛け布団につきそうになるくらい深々と頭を下げた。




