126 落着
「シホ!」
首の付け根に魔素の塊が打ち込まれ、やっと私の揺れは収まった。
私は床の上に座り込んでいた。誰かが後ろから私を支えている。
振り向くと、ガリエス先輩が怒りの表情で私を睨みつけていた。何故先輩が怒っているのかわからず、私はへらりと笑って先輩に言う。
「あー、先輩?ありがとうございます?」
「ありがとう、じゃない!さっきまで自分がどういう状態だったかわかっているのか」
「んー、何か揺れてる感じ?ちょっと面白かったんだけど」
「シホ!」
「フロリゼル、怒ってはいけませんよ」
ルートヴィヒが宥めるように言う。彼も何故か足を投げ出すようにして床に座っていた。
「シホさんはきっと何が起こったのかわかっていないのですから」
「ええっと、ルートヴィヒ?何が起きたんですか?」
そう言いながら、私は自分が天球を使っていないことに気付いた。え、これってまずいんじゃ?
慌てて天球を展開しようとして、手に羽衣がないことに気付く。
何で?あれがないと天球を安定させられないんだけど。
「あんた、さては寝ぼけてるわね?」
ホリィが頭上から降りてきた。
「あー、ホリィ、寝ぼけてるって?」
「もうストームの結界は消えて、普通の空間と繋がってるのよ。だから、もう天球はいらないの」
「そうなんだ?じゃあ、羽衣は?」
「勿論、仕舞ったわよ」
「頑張ったね、シホ」
シュルが私の肩の上でさえずるように言う。
「うん、なんかよくわかんないけど、終わったようで良かった」
言いながら、私は地下室にさっきまでいなかった人々がいることに気がついた。
薄いグリーンの制服を着た人々。宮廷治癒術師たちだ。数からすると、今回ストームに来た治癒術師団全員が来ているようだ。
彼らはレオナルドの装置の前に集まっていた。
「あれって……?」
私の呟きに、ルートヴィヒが言う。
「イースの治療をしているのです」
「そっか。えっと……じゃあ、先輩のお父さんって助かったってこと?」
「治療中、ですよ。まだ結果はわかりません」
ルートヴィヒは視線を床に落としながら言う。ガリエス先輩は父親がいる方へは目をやらない。
レオナルドの装置の方は、動いているのかどうかわからない様子だった。光を放ったりとか音が鳴ったりとか振動したりとか、そういうのが全くない。
装置の上ではアンソニーが魔術師団員の二名に何やら指示をしていた。
私の視線に気付いて、ルートヴィヒが言う。
「この辺りの空間を安定させるよう、装置の調整をしているんです。今はまだ不安定なところがありますのでね」
「そっか……」
しばらく私は装置の上のアンソニーたちを見ていたが、ふと気がついた。
「あれ、タロちゃんは?」
「先に出ていきましたよ」
「出ていった、というか運ばれていった」
ガリエス先輩がぼそりと言う。私は意味がわからなかった。
「運ばれていった?」
「装置の修復に血を与えて、それでついでに力を吸われすぎたらしい」
「んん?そう言えば、装置に血を垂らしてたけど、あれ、何?」
「レオナルドの装置は王家の血を求めるものなんだ」
声がして、振り返ると、少し離れたところにハーヴェロイ王子がいた。不機嫌そうにしている。
「そういうこともあるだろうと思ってこの作戦に同行したというのに、何だ、蓋を開けてみれば、私ではない者が装置に血を与えているとは」
「血を求めるって……吸血鬼?」
私が思わず呟くと、ハーヴェロイ王子が馬鹿にしたように私を見下ろしてきた。
「何を訳のわからないことを言っているんだ、お前は?ただ装置が安定するための触媒にテウルの長の血筋の血を使うというだけだが。そんな、化け物みたいな呼び方をするな」
王子の言いぶりに、そっか、この世界には吸血鬼とかいう概念はなかったんだっけ、と思い出す。
ふと引っかかった。タロちゃんって、王家の血を引くんだ?今までタロちゃんの親がどうとか思ったことないからなあ……。訳ありだろうとは思っていたけど。
というか、ガリエスがどうとかともアンソニーは言ってたっけ。
「先輩も、王家の血を引いてるんですか?」
公爵家は王族が臣籍に降ったときに立てた家だというのは知っているけど、それ以外の家まで王家の血が入っているとは意外だと思って訊いたのだが、ガリエス先輩は少し苦笑気味に、
「曾祖母が王族だったんだ」
「王家が臣籍降下した際に受け入れた家は結構あるんですよ」
ルートヴィヒが言う。
「侯爵家は全てその経験がありますね。それより下の格の家でも王族と婚姻関係を結ぶことはあります。今の第二王女殿下は伯爵家に嫁ぎましたし、そのご息女は子爵家と男爵家に嫁ぎました」
「へー、そうなんだ」
「何でそんなことも知らないんだ」
ハーヴェロイ王子が心底馬鹿にしたように言う。いや、そんなこと言われても、王族みたいな雲の上の人たちがどうなってるかなんて、平民は知らなくっても困らないんだってば。
装置の上で宮廷魔術師と放していたアンソニーが、こちらを振り返って大きな声で言った。
「おい、アリス・ゼン、こっちに来い。お前の力が必要だ」
「はあ?私?」
アンソニーが言ってくるということはレオナルドの装置関係のことだろうに、それで何で私が関係してくるというのか。
「与えた血が濃すぎた。薄めないとならない。魔素を装置に注いでやってくれ」
魔素を装置に注ぐ。それは難しいことではない。でも、私じゃなくても良いのでは、と思いながら立ち上がろうとしたが、ふらついて立てなかった。
何でこんなに疲れてるんだろう?
「空間が消滅するときの影響を天球一つで押さえたんです、疲れても仕方がないですよ」
そう言うルートヴィヒも座り込んでいるのは、こちらもそのせいか。
「あー、すみません、ルートヴィヒ。そっちにも負担をかけたみたいで」
「構いませんよ、寧ろ一役を担えてよかった。ストームは私の故郷でもありますからね」
「シホ・アリス・ゼン!」
装置の上からアンソニーが怒鳴る。
しょうがないなあ、と思いながら私はまた立ち上がろうとした。と、後ろから私の腕を掴んで支える手があった。
ガリエス先輩だった。
先輩のおかげで何とか立ち上がる。
「おい、早くしろ!」
アンソニーがせっかちにせかすので、
「ちょっとまだ回復してないんですよ」
と言い返す。すると、アンソニーは
「だったら誰か運んでこい」
と怒鳴り返してきた。
「別に私じゃなくてもいいんじゃないですか。他にも魔素術師はいるし」
「お前がやると、魔素が一番色がついていなくていい」
なんじゃ、そりゃ。魔素の色とか初めてきいたわ。
とはいえ、アンソニーは収まりそうになかったので、私はむっとしながらも魔素を使って体を浮かせた。ただ、体の姿勢の維持がなかなか難しく、体が浮いたままふらふらしてしまう。
それを、ガリエス先輩が横から腕を掴むことで安定させた。
「そのまま体を浮かせておいてくれ。俺が支えて連れていく」
確かに、それが一番手っ取り早い気がする。なので、お任せすることにした。そこからはスムーズに装置の傍まで行く。
途中、先代侯爵の治療をする治癒術師たちの一群の傍を通ったけど、不気味なくらい魔素の流れを感じられなかった。なんか、わざと治癒術師たちが魔素の流れを読ませないように操作している感じもある。マリちゃんの姿はどこかなー、というただの好奇心でそちらに視線を向けただけなのに、治癒術師たちには睨まれてしまった。何でだ。
「あまりあちらをじろじろ見るな」
ガリエス先輩が言う。
「いや、マリちゃんはどこかなー、と思って見ただけなんですけど」
「彼女はあの中にいる。父の治療を担ってくれている」
おお、マリちゃんが。まだ見習いなのに偉いなあ。
装置の傍まで来て、そこで終わりかと思ったが、アンソニーは上まであがってくるように言った。ちょっとした小屋くらいの高さまであるのにどうやって上がるかと少し考える。筍の階で飛び上がるのは簡単だけど、今少し魔素の制御が甘くなっているので、飛び上がるとかなり上まで上がってしまうかもしれない。幸い地下室の天井は高いから、頭を打つことはないだろうけど、行き過ぎたときに微調整して縮められるか自信がない。
「どうした?」
ガリエス先輩に訊かれて、私は正直に話した。すると、ガリエス先輩は私の腰に腕を回すと、魔法で飛び上がり、装置の上に降りた。
いや先輩、いきなり何しているんですか。
びっくりして言葉が出ない私に、先輩は何事もなかったかのように、
「どうした?」
言いながら、私の腰から腕を離す。
「あ、いや、えっと」
「おい、さっさと来い!」
アンソニーがまた苛ついた調子で言った。私はそちらへ歩こうとしたが、足がもつれるようになって進めない。あー、びっくりしすぎて魔素術を解除してたわ。
魔素を足に纏わせて私が体を浮かせると、当然のように先輩が私の肘を掴んでアンソニーのところにまで連れていった。
「ここに魔素を注げ」
断ち切られてむき出しになった管を指さす。なんか、これ、血ががついているんだけど。
私は質問をしたかったが、アンソニーが苛つきを隠さずにいるので、指示通りに魔素を流し込んだ。装置の中は見た目よりも空間があるように感じられた。装置の中は魔素が稀薄で、幾ら入れても魔素で埋まる感じがしない。といっても装置の中が空っぽというわけではない。何かはある。多分、魔力だ。ラヴィの声が聞こえるようになってから、何となくそういうのがわかるようになっていた。
感じ取れる魔力は最初、装置のそこかしこで凝っているように思われたが、私が魔素を流し込み始めると、段々と解れてきているのが感じ取れた。
大分魔素が均等になったかなと私が思ったとき、アンソニーが言った。
「よし、もういい。やめていいぞ」
魔素をそそぎ込むのを私がやめると、アンソニーは魔術師団員に指示をして、管を塞ぐように言った。見ていると、魔術師団員は表面に幾何学模様が描かれた動物の皮で管の切り口を塞ぎ始めた。
「とりあえずこれで装置は安定した。マツカサリュウの補修のための空間確保に使うことも可能だ」
アンソニーが言い、そこで私は自分がストームに来た当初の目的を思い出した。そうだよ、ラヴィの修復のためにここに来たんだった。
装置の上から見渡すと、地下室の全景がよくわかった。結界があったときには暗くてわからなかったが、今は地下室のそこかしこに火が灯されていて、部屋の広さや天井の高さがわかる。
天井は二階建ての家がすっぽり入りそうな高さだった。地下室の広さは結構広く、学院の教室が二つ程度はすっぽり入りそうだった。
その部屋の片隅で、魔術師が複数名、箒とちりとりを持って掃き掃除をしていた。
「あれ、何?」
「ユゲリアのかけらを集めている。もう何もできないだろうが、念のためにだな。マツカサリュウの補修のときに入り込まれると面倒くさいことになりかねん」
アンソニーが吐き捨てるように言う。
一方でガリエス先輩は、装置のすぐ下にいる治癒術師の一団を見つめていた。私には見るなと言ったのに、と思ったが、まあ、父親がそこで治療されているとわかったら見てしまうよねえ、と思って私もそちらを見て、あれ、と気がついた。治癒術師たちだけを覆う小さな天球が張られていた。しかもうっすら色がついていて、中が見えないようになっている。さっきまでなかったのに。術者はルートヴィヒだった。疲れてる筈なのによくやるなあ。
天球に遮られているからか、治癒術師たちがいる場所の魔素の動きがわからない。間違いなくなんかやっているんだろうけど。
そのとき、治癒術師たちの間からわっと声が上がった。何、と思って身を乗り出して見ると、天球が解けた。
「担架!運び出せ!」
治癒術師団長が声を上げる。組み立て式の担架が運び込まれて、それが見る間に組み立てあげられると、そこに気を失った様子の先代侯爵が乗せられ、そうして運び出されていった。魔素の様子からすると、生きてはいるらしい。
治療が終わった……のか?
治癒術師たちの群がだんだん解れていき、その中心付近で座り込んでいたマリちゃんが見えてきた。
その姿に、私はぎょっとした。マリちゃんの淡いグリーンの治癒術師団の制服は、赤い血で染まっていた。
マリちゃんは立ち上がると、他の治癒術師たちと一緒に歩いて地下室を出ていった。治癒術師たちはマリちゃんを囲って、まるで守るように一緒に歩いていった。ルートヴィヒも立ち上がり、それについて歩く。
「治療、終わったんですね。良かったですね」
「……多分、そうなんだろうな」
そう言うガリエス先輩の表情は浮かなかった。




