124 地下室
そもそも、ガリエス家先代当主が作り出した結界はそんなに広くはない。三十分も歩くと結界の中心である領主館にたどり着く。
昨日はこの道のりを行くのにかなり苦労したものだが、今回は楽々だった。その間誰に出くわすこともなく、すんなりと地下室へ続く階段に入っていく。
「こんなに簡単に進めるとはな」
タロちゃんが少し呆れた様子で言う。そう言いながらも、白づくめの神具を纏っている。
「そんなの、シホとシュルのおかげよー。あんたたち、感謝なさいよ。天球のおかげで、ほら、あの腐れ人形のかけらたちは何もできないでいるわ」
ホリィの言う通り、昨日来たときには宙に浮かびながら私たちに纏わりついていた人形のかけらたちは、天球の周りをただ漂うだけだった。
地下室への階段を下りきると、木の扉が一つあった。
「レオナルドの装置はこの先ということでいいか?」
タロちゃんの問いかけに、ガリエス先輩が頷いてみせる。
タロちゃんは扉を押した。ゆっくりと扉が開く。
そこは、完全な闇だった。私の天球に覆われている範囲では、天井はそこそこ高く、その天井を支えるために、そこかしこに柱や火打ち梁が設けられているのが見える。が、天球の外の様子は全くわからない。レオナルドの装置の輪郭も見えない。
「問題の装置ってどこにあるの?」
「このまままっすぐ進めばいい」
ガリエス先輩の言葉に従い、直進する。
と、何かが当たった。天球の膜を通じて何かが干渉している感じがある。
「シホ、気をつけて!天球を浸食してくるものがある!」
シュルが警告する。そのときには私も異常を察知し、術の厚みを増していた。そうしながら、原因を探る。誰かが術を介してこちらを探っている感じだ。でも、うまくはない。魔素術の使い手同士のさぐり合いだったらもっとスマートにやる方法があるのだけど、それとは違う感じ。んー、何か変だな。こちらの術に触れられる次元にはいるけど、勝手が違って戸惑ってる……?
まあいい。とりあえず相手の位置はなんとなくわかった。天球の外、数歩のところにいる。視界が全く効かないのでそんなところに本当に誰かいるのかという感じだけど、それでも間違いない。
「タロちゃん、剣を持ってるよね?」
「ああ。どうした」
「私が合図したら、私が指さす方に向けて、天球の外へ剣を思い切り尽きだして欲しいの」
「そこに何かあるのか」
「んー、誰かいる、というのが正確かな」
私の言葉に、先輩が血相を変えた。
「まさか、父上……?」
「それはわからないけど。確かに誰かいて、私の天球に介入しようとしてる」
「先代は魔素術を使えたのか?」
タロちゃんの問いに、先輩は頭を振る。
「わからない。治癒術は使えたかもしれないけど、魔素術を使えると言えるレベルまで魔素を操れたかどうかは」
んー、なるほど。治癒術は魔素術の一種だけど、魔素の使い方はパターンが決まっていて、その他の魔素術を使うのと比べると、魔素を操る錬度がそこまでいらないのよねえ。
タロちゃんは服のポケットから長い槍を取り出した。穂先が金属ではなく、石の刃になっている。
「何、それ」
「長さがあった方がいいと思ってな。それと、この槍先についてるのは世界の維持の際に標としても使えるモノだ」
「もしかして高原の世界の境に刺してあったのと同じもの?」
高原の森に接する世界の境は縮む力がよそよりも強いので、神々は普段からそういう特別な標を打って、世界の維持に努めていた。高原は世界の頂上に位置していて、そこが萎んだら必然的にその傘の下にある全世界が小さくなるからね。
タロちゃんは私の問いに肯定する。
「そうだ。お前はよく知っているだろう」
「まあねえ。高原氏族の中にはそれを代々所有している家もあるけど」
それは、世界の異変の後、いろいろな出来事の際に、折に触れて神々がその事態の収束に向けて功労があった者に褒美として与えられたものだ。以前、高原の神域の管理者からきいた話では、その世界の標は神々にとっては消耗品なので、少々人間に与えたところで、痛くも痒くもないそうなのだけど。
「何でタロちゃんがそんなの持ってるの?」
「もらった」
タロちゃんは一言だけ。まあそれくらいしかないよねえ。
「じゃあ、とりあえず少しこの方向に向かって歩くから。私が合図したらまっすぐ刺してね」
「高さはこれくらいでいいか?」
タロちゃんが槍を構えてみせる。普通にガリエス先輩くらいの背の高さの人間が立っていたら当たりそうな高さだ。
「うん、それでいいよ」
私は予告した方向へ四歩ほど歩いた。そこでタロちゃんに合図する。
タロちゃんが思い切り体重を乗せて天球の外に向かって槍を投げた。その一瞬だけその部分の天球に穴を開け、槍だけを貫通させる。すると、天球への何者かの介入が消えた。
「タロちゃん、どう?」
「わからん。とにかく、前へ進もう」
私はすぐに天球を回復させて前へ進んだ。シュルが言う。
「天球の外が不安定になってる。天球の維持に集中して」
確かに、術を介して、その外側がざわついている感じがある。
「……これは」
ガリエス先輩が声を上げる。
視線の際を見ると、天球の境からこちらに向かって茶黒い液体が流れてくる。
「もしかして、血か?」
タロちゃんの言葉に、ガリエス先輩の血相が変わった。タロちゃんは淡々と、
「シホ、少し急いでまっすぐ進んでくれ」
私は天球の維持に気を使いながら、足早に進む。
やがて天球の中に、大きな機械が見えてきた。前世では見たけど、今世では見かけけない類のものだ。
妙なのは、その金属の表面に絡むように植物の根が絡み、そしてそれに半ば埋まるようにして男性がもたれ掛かって立っていた。隊長に似た面立ちだ。髪は根っこだけ黒みがかっている。
木の根からむき出しになっていたその右肩に槍が刺さり、そこから血が流れていた。
「父上!」
ガリエス先輩の声に、男は目を開けた。
「リジー……?いや、シャール……?」
「父上、フロリゼルです。大丈夫ですか、今治療しますから」
「フロリゼル……?そんなはずはない。あの子は死んだ。ユゲリアの身代わりになって……あの子の命を代償にユゲリアは生き返ったのだから」
「父上、何を?」
「そうだ、その筈だ。レクスは私の言う通りにフロリゼルを殺した筈なんだ。お前は幻だ!」
先代侯爵の体から魔力が立ち上ると、すぐさま炎に代わり、先輩に襲いかかった。先輩の反応が遅れたが、タロちゃんが魔法で結界を張り、先代侯爵の攻撃を防ぐ。
先代侯爵はガリエス先輩を睨みつけていた。
「お前は何者だ。ユゲリアが言っていたフロリゼルの偽物か」
「父上、ユゲリアというのはあのユゲリアのことですか」
先輩の問いに先代侯爵は答えない。その代わりに、その周りを囲む植物の根とその後ろの機械が振動し始める。
それとともに、床も震え始めた。
「え、何?」
「シホ、天球に維持に集中して!」
シュルの声が飛ぶ。
機械が光り始めた。天球を通じて、外の闇が重くなったように感じられる。
タロちゃんが先代侯爵に近づくと、槍を引き抜いた。そして再び槍を先代侯爵に繰りだそうとしたところを、先輩が横から掴んで止めた。
「どういうつもりだ」
タロちゃんが睨みつけると、先輩は我に返ったような表情をして手を放した。
「あの、父上からもっと話をききたいのですが」
「そんな余裕はないだろう。シホ、術はもつか」
「大丈夫。でも、なんか結界の様子が変わってきているみたい」
「縮んでる感じがするよ?」
シュルが言う。
「じゃあ、父上は結界を解こうとしている……?」
「んー、どうかなあ。結界は縮もうとしてるけど、逆に威力が強くなってる感じ?なんかはっきりとこっちを潰そうとしてる感じがする。さっきまでそんな意思は感じなかったんだけど」
先代侯爵の様子を見ると、うっすらと目をあけて、口元に笑みを浮かべている。
私は先代侯爵の前に立った。侯爵の目は焦点が合っていない。正気だとは思えない。生きているのは確かだけど。
まあ、生きているんだから、何とでもなるか。
「タロちゃん、この人、叩いたら目を覚ますかな」
「シホ、お前まで!」
「いや、先輩、別に殺そうとかいうわけじゃないですから。ただ正気になってほしいだけで」
「私は正気だよ」
突然、先代侯爵が口を開いた。
「私は妻と子どもを取り戻すんだ」
「妻と子どもって、奥さんは亡くなったんですよね。取り戻す子どもってどの子のことです?レクス……さん?」
「レクス?何故?あの子は生きている。あの子のために新しい世界を作り出す必要はない」
「じゃあ、どの子なんです?あなたの四人の子どもの中に、死んでる子なんていないでしょ」
私の問いに、意外に素直に先代侯爵は答える。
「私の子どもは五人だよ。……残念ながら、最後の子は生まれてすぐに死んでしまったが。妻も、産後の肥立ちが悪くて死んでしまった」
私は先輩を見た。先輩は首を横に振る。
「うちの兄弟は俺が一番下だ。母は病で逝った」
私は混乱して小首を傾げていたが、それまでヴィーナから何か囁かれていたタロちゃんが、口だけ動かして、そのまま会話を続けろ、と伝えてきた。
私は平静を装って、
「えっと、産後の肥立ちが悪くて亡くなった奥さんって、お名前は?」
「お前はおかしなことを訊くな。学院生なんだろう。魔素術科とはいえ、侯爵家の当主正室を知らないでどうする」
「え、知っている必要があるんですか?」
「それはそうだろう。卒業後、貴族の家に就職するかもしれないのだからな」
「それって、就職先が貴族の家だって決まってから覚えたので良いのでは?」
「そんな怠惰なことでどうする。平民なのだから、早いうちから努力しておかないと、良いところには就職できないだろう。魔法科の生徒たちは入学したときにはそれくらいのことは知っている。もともと優位な地位にある貴族の子どもがそういう努力をしているのだから、平民の君が努力をしなくてどうするんだ」
「え、貴族と平民と、就職する枠がそもそも違うじゃないですか。最初から競争相手にはならないですよ」
「それは……そうかもしれないが」
「そうなんですよ。それで、亡くなった奥さんの名前は何て言うんですか?」
「いやにしつこく訊くんだな」
「すみません。大事なことのように思うので。あ、ついでに亡くなった娘さんの名前も」
「私は侯爵なのだが」
「存じています」
「それなのにずけずけと訊くのか」
「学院生ってこういうものだと思いますけど」
「……そうだったかもしれん。まあいい。妻の名はリジー。娘の名前はユゲリアだ。ユゲリアは死んだが、生き返った。後は妻だけなんだ」
私は先輩に視線をやった。先輩は小さく頷いてみせた。んー、それって、先代侯爵の奥さん、つまりはガリエス先輩のお母さんはリジーという名前で間違いないということなのかな。じゃあ、先代侯爵がこっそり愛人と隠し子がいて、その二人が死んでしまっていて、それを生き返らせようとしていたのかも、という仮説は成立しないということか。
「シホ、あんたって本当にいろいろと考えるわねえ」
私の傍でホリィが呆れたように呟いた。先代侯爵はホリィを見て固まっていた。
「お前は……一体……」
「神使よ。で、あんたの娘は生き返ったって?どうしてそんなことがあり得るなんて思えるのよ?あんた、頭大丈夫?」
「神使……。いや、私は確かに娘を。そうだ、神々のどなたかが力を貸してくれたのでは」
「そんなことしないわよ。死者の魂は速やかに次の生に向かうわ。この世界の常識よ」
「でも、確かに娘は」
先代侯爵の体が大きく震え始めた。
と、私の天球に何かが触れる感触があった。
私はその感覚の方向を振り返って見た。私の天球に、誰か他の人が作った天球が触れている。
両者が接触しているとこが透けて見えて、向こうの術者が見えた。
ルートヴィヒがそこに立っていた。




