113 不穏な発言
111話の続きです。
「なに、お前さんに手を貸せとは言わん。お前さんに家族を殺せとは誰も言わんよ」
婆ちゃんの発言に、部屋の空気が凍り付いたように思った。少なくとも、私は。
ルートヴィヒは何とも形容し難い表情をしていた。
「それは……、でもそんなことは可能ですかね。そもそも、魔素術師だけであの中にいるモノを掃討するのが無理難題なのに、更に協会に属する者だけでだなんて。それにもし失敗したら?」
「失敗したとき用に王宮は遠方から援護してくれるそうな。そんなことするくらいなら最初から手伝えと思うが、魔法を使って人間を攻撃して損傷を与えたら神々の煉獄に捕らわれるという枷がある以上は、それ以上は無理だろうて」
「あの子はまだ人間だと判断されているんでしょうか」
「されるだろうというのが、王宮や神祇庁の判断だ。神使にも相談したが、そういう返答だったらしい」
ルートヴィヒは深くため息をついた。
「そうですか……良い知らせなのか悪い知らせなのかわかりませんが、それでも事が動くのならば、感謝せねばならないのでしょうね。このまま何百年もあそこは塩漬けにされると思っていましたから」
婆ちゃんはルートヴィヒに頷いてみせてから、私を見て言った。
「シホ、ラヴィの修復の際にはお前にも来てもらうよ。ただ、ガリエス伯爵領でそれをやることになったことも含めて、一切の口外はしないように」
「うん、わかった。で、いつやるの?」
「二週間後の土曜日にとりかかる」
「土日で帰れる?」
「それは作業の進み具合によるねえ。まあ安心しな。学院には神祇庁から話してもらうよ」
私は了解した。
その後は三人で黙々と作業をした。ルートヴィヒの家族がについての不穏な話は誰からも出てこなかった。ルートヴィヒの様子を時々窺ったが、特に変わった様子は見られない。
さっきの婆ちゃんの物騒な発言について悶々と考えているのは私だけだったりするんだろうか。
ガリエス伯爵領。そんなものがあるなんて初めてきいた。なので当然どこにあるのかも知らない。
週明け、放課後に図書室に行って地理の本を見てみた。この世界では、地理の本は多くはない。人が住めるのは高原を頂点とした六大陸だけだが、そのどれもがそう広くはない。よって、書き記すべき情報がそうはないからだ。
生まれ変わってこの世界の姿を知ったとき、一番驚いたのはこのことだった。
大陸、というが、この世界でいう大陸というのは、海に隔てられているものではない。この世界ではない空間で仕切られている、というのが一番わかりやすいか?
前世だと、地球という星の上で各大陸、各国が存在しており、それらは同一の空間で繋がっていた。
が、この世界では、大陸間の空間は断絶されており、各大陸間は特殊な空間で細々と繋がっている。
大陸の境はこの世界の境であり、今私が暮らしている大陸においては国境と同義でもある。
かつては一つの大陸に幾つかの国や団体が存在していた大陸もあったが、狭い中に異なる統治体系や思想を持ったものが存在したせいで大陸の中で諍いが起き、そのせいでか空間が不安定になって消滅してしまった。
世界のありようがそんななので、他国に行くのも簡単ではなく、よって前世でいうところの外国を旅する際の旅行ガイドなんてものもなく。
全八巻ある「ヴィラード版世界俯瞰誌」とかいうのが地理の定番の書物だと司書に教えられ、それがある棚に行くと、この国が載っている第三巻を引っ張りだした。
この俯瞰誌とやらは定期的に新しい情報が書き加えられているそうで、奥付を見ると手元の本は五年前に改訂されていた。
ガリエス伯爵領はどこだろうかと調べるが、そんなものはどこにも見あたらない。地名かそこを収めている貴族の名による索引が巻末についているので、それを見て調べるのだが、ガリエス伯爵家の名が索引の中にない。
私は眉間に皺を寄せながら索引を何度も見たが、やっぱりどこにも見あたらない。少し考えて、私は司書に、同じ本の一つ前の版を書庫から出してもらうようにお願いした。もしかしたら消滅した場所なのかもしれない、と思ったからだ。
正確には、消滅したことにされた場所というべきなのかもしれない。婆ちゃんは封印されたと言っていたし、そのせいであってもないことにされているのかも。
司書は頼んだ本をじきに持ってきてくれて、私は古い方の本を調べることができた。奥付によると、一つ前の版は十五年前に発行されていた。その後ろを開き索引を見ると、きちんとガリエス家の項目があった。
それまでうっかりしていたのだけど、当時のガリエス家は侯爵だった。古い版で確認したところ、所有していた領地はかなり広く、古い版にガリエス侯爵領として載っていた地名を幾つか新しい版で見ると、そのどの場所にも、元はガリエス侯爵領だったが、ガリエス家が降爵された際に一旦王家に戻され、新たに現在の領主の領地となったもの、と説明されていた。
これってもしかしてマリちゃんなんかにきいたらすぐにわかることだったのでは……?でも、ガリエス伯爵領のことを調べているのだけど、と言ったら、どうしてそんなことを調べているの、とマリちゃんは訊いてくるだろうしなあ。事情を言えない以上、自分で調べるしかない。
さて、新しい本と古い本の図版を並べて比較してみる。古い本の図版でガリエス侯爵領とされている地域の国境線を新しい本の図版と比べてみて、変化がある場所が、現在「なかったもの」にされている場所ではないかと予想したのだが、当たりだった。
それは、ガリエス侯爵領の館が置かれた町だった。王都から一番離れた場所にあり、侯爵家の館がありながら国境に面していた。普通、そんな不安定なところに貴族は自身の屋敷を置いたりはしないし、貴族でなくたってそんなところに町を作ったりはしない。国境付近はいろんなことが起きやすい。そんな場所で暮らしたいとは思わないからだ。
でも、元のガリエス侯爵家の屋敷、というか領都はそんな場所に置かれていた。古い方の本によると、領都はストームという名で、モノルムに負けず劣らずの歴史があり、天才として知られるラウトゥーゾのレオナルドも長く滞在していたことがあるという。
そんな場所が、今、どういうわけでか封印されている。何でだろう?ガリエス家が降爵されたのと関係があるんだろうか。ガリエス家がやらかしたことの罰として封印された?それなら王家が封印したということになるけど、でも何のために?
唸って考え込んでいたせいで、人が近づき、本の上に影が指しているのに気付かなかった。気が付いたのは声が掛けられたから。
「ストーム?何でそんな場所を調べているんだ」
声を掛けてきたのは、よりにもよってガリエス先輩だった。すぐ傍にはファラーグ先輩もいて、そちらはあからさまに渋い顔をしている。
私は広げていた本を慌てて閉じた。
「ええっと、先輩……?今日は部活、ですか?」
「いや、先週の木曜日の件で大半の部員が謹慎処分を言い渡されて、部全体としても自主活動をすることになってだな……」
「あ、そうですか。じゃあ、勉強ですか。宿題とか調べもの?」
「ラヴィから伝言があって、お前に伝えるために探していたんだが」
ガリエス先輩は机の上の俯瞰誌を広げた。わざわざ古い方の、私がさっきまで見ていた頁を。
「それで、何でストームなんて調べていたんだ」
「いや、調べていたっていうわけじゃ。たまたま見ていただけで」
「わざわざ古い俯瞰誌をか?これは書庫から出してもらわないと見られないだろう」
「ええっと……」
私が困って視線をさまよわせていると、ファラーグ先輩が傍から言った。
「フロリゼル、それよりもまずはラヴィからの伝言を伝えたらどうだ?シホちゃんにはその後でも話をきけるだろう」
「あ、そうですね、先輩はそのために私を探していたんだったんですね。で、ラヴィは何て?」
「俺には意味がよくわからないんだが。バナナはおやつに入りますか、だってさ」
その瞬間、私の服のポケットからホリィが勢いよく出てきて言った。
「それそれ!私も日本のマンガ読んでて登場人物が何回かそのせりふを言ってて意味がわからなかったのよね!」
私は慌てて当たりを見回した。ホリィの存在を誰もが知っているわけではない。知らない人が空とぶミミックを見たら驚くだろう。
「大丈夫、今、魔法を展開してるから」
ファラーグ先輩が言う。
「俺たちの頭上辺りにあるものがぼやけて見えるようにしてるから、多分他の人たちには見えない。あと、声も漏れないようにしてる」
この先輩は、転移陣は使えないし、攻撃魔法も出力を絞ったりみたいなことはできないくせに、そういう五感を誤魔化すような魔法は得意だったりする。魔力をどう使ったらそんな魔法が使えるか、私には全くわからないのだけど。
今、実は私は魔法をコンスタントに使うことができるようになっている。
ユゲリアとの対決の後、魔法の練習に行くことはできていないけれど、変身はできるか、自分の部屋で何回か試してみた。
結論からすると、成功した。どんな衣装になるかはその時々だけれど、間違いなく変身はできているし、魔力を感じたり操ったりもできる。ただ、変身できる時間が一定ではない。短いときで三分くらい、長いときだと三十分くらい保つことができる。変身が解けた後はくたびれきってしばらく動けなくなってしまうから、これはどうしたもんかなあ、という感じ。魔法を使って戦わないといけない状況になって魔法を使った後、危機を脱していないのに動けなくなっていたら、それはかなり危機ではないかと。自分から変身を解除したときには全然疲れはないのだけど、魔法を使わなくてすむタイミングがいる来るかはわからないからねえ。
この、変身時間の不安定さと変身が解けた後のだるさから、ジェニファの誕生日に変身して行こうというのはやめたのだけど。
「それで、バナナはおやつに入るの?」
ホリィがうきうきした様子で訊ねてくる。
「あー……当然入らないでしょ」
「それじゃあなんでバナナはおやつに入りますかなんて質問がいろんなアニメとかマンガで出てくるのよ」
「知らないわよ。私が子どもの頃にはそういうのがミームみたいな感じでマンガに出てたんだから。第一、何でラヴィがそんなの知ってるのよ」
「さあ?あれもこの世界だけに縛られる存在じゃないからね。なんかどっかでキャッチしたんでしょうよ」
「何それ、どういう意味」
「言った通りの意味よ。……あれ、マリ?」
ホリィの言葉に、私も先輩たちも辺りを見る。ファラーグ先輩の結界のせいで気が付かなかったが、マリちゃんがごく近くまで近づいていた。
マリちゃんは私の前に広げてあった本に目を落として言った。
「シホちゃん、調べもの?先輩たちも?」
「いや、俺たちは違うんだけど」
「私は調べものなんだけど。マリちゃんは?」
「うん、ちょっと調べたいことがあって。それ、ヴィラード版世界俯瞰誌の三巻?」
「あ、うん。見る?私、調べもの終わったから」
「んー、それ、一番新しい版?それよりも一つ前のを見たいんだけど」
「あ、古いのもここにあるよ。どこを見たいの?」
「ストームっていう土地なんだけど」
私は固まった。え、今ここでその地名を言う?
私は恐る恐るガリエス先輩の方を見た。
ガリエス先輩は僅かに目を細めて私たちを見て言った。
「奇遇だな。その件について話をきかせてもらおうか」




