111 隠されていたこと
その週末は普通に家に帰った。土曜日、少し寝坊して宮廷に行くマリちゃんを見送れず、でもクラリィ婆ちゃんの家に行く時間はいつも通りにしようと家のドアを開けると、婆ちゃんの家の玄関の傍にガリエス先輩が立っていた。
いや、びっくりですよ。平民っぽいけどやっぱりちょっと上品なテイストの普段着を着た超絶美形の先輩が予期せず隣家の玄関扉の傍に立っているのを見たらそうなるでしょう。
向こうは私に気付くと驚いたような表情をしていた。もしかして、ここが私の家だって知らなかった?
「おはよう、シホ。えっと……もしかしてそこがお前の家か?」
先日、ラヴィの連絡係に任命された件以降、私のことを名前で呼ぶようになっている。そうするようにラヴィにしつこく言われてそうなったのだけど、私のことを名前で呼ぶ度に呼びにくそうにしているから、ラヴィがいないところでは前みたいに家名呼びにすればいいのに、律儀だからそういう切り替えはできないらしい。
その顛末を知ったファラーグ先輩は、私に、ガリエス先輩を名前呼びしたら、と言ってきたけど、それは他の女子が怖くてできない。レイドール公爵令嬢だって、婚約後はガリエス先輩への思慕を見せなくなっているけど、心の中ではどう思っているかわからないし、用心するに越したことはない。
「おはようございます、先輩。確かにここがうちですけど。先輩はどうしいてそこに?」
「ラヴィに頼まれて、鱗を作っている工房に行ってきてくれって。修復に使われる予定の鱗の質がいいから、人形師にその礼を伝えてきてほしいって。ここがその人形師の工房ときいてきたんだが」
「そうですよ。そこがお訪ねの工房で間違いないです」
「そうか。……お前、何で知ってるんだ?」
「ラヴィの鱗づくり、私も手伝ってるからですよ」
「ラヴィは何も言ってなかった」
「あー、もしかしたら工房で作業に携わっている人以外、誰も知らないかもしれないですね」
そう言ってからふと気付く。
「もしかして、ルートヴィヒが関わっていることも知らなかったりします?」
「ルートヴィヒ?おじうえのことか?いや、知らない。人形師として働いているとはきいていたが、まさかここのことだったのか」
「おや、フロリゼル。珍しい人がいますね」
ちょうどやってきたルートヴィヒが声を掛けてきた。ガリエス先輩は驚いたようにルートヴィヒを凝視している。
「あの……おはようございます」
「おはよう。シホさんも、おはようございます。フロリゼル、シホさんに会いに来たのですか?」
「いや、違います、この家に住んでいる人形師に会いたくて」
婆ちゃんの家を目で示す先輩に、ルートヴィヒは怪訝そうな表情をする。それで私が説明した。
「ラヴィの鱗を作った人形師に礼を言いに来たそうです」
「どうしてそんなことに?」
「先輩、ラヴィの世話係に任命されたんですよ」
「マツカサリュウの世話係は学院の教師が勤める筈ですが」
ルートヴィヒが学院にいた頃もそうだったのか。
それで、木曜日の放課後の出来事をかいつまんで説明した。
聞き終わるとルートヴィヒは小さくため息をついた。
「それはまた……。ガリエス家の者はいろいろと面倒な事に巻き込まれる役回りなんですかね」
ガリエス家の厄介事の種を作り出した人間が何を言う、という目で私がルートヴィヒを見ていると、ルートヴィヒはそんなことなど全く思いもよらない様子で、
「とりあえず中に入りますか」
と言う。
クラリィ婆ちゃんはいきなりやってきたガリエス先輩に特に何も言わず、ラヴィの連絡係に任命されたのだと用向きを伝えられて、それはご苦労なことで、とだけ言った。ラヴィが鱗の出来を褒めていたときいたときには、満更でもないように深く頷いていたが。
「それで、ラヴィは今どこに?」
ルートヴィヒが訊くと、テッサ山脈のいつもの場所にいる筈だ、と先輩は言った。少なくとも先輩は今朝ここに来る前にラヴィに会って来たらしい。
「ラヴィの鱗の移植はどこでやりますか。ラヴィの縄張りでやっても良いと思いますが」
「よくない者の邪魔が入るのは避けたいねえ」
「では、人形師協会でやりますか」
「それが一番だろうね。また魔法使いたちにラヴィの転移を頼まないとならないが」
「それならフロリゼルができますよ。ねえ、フロリゼル?」
ルートヴィヒに言われて、先輩は固まっていた。うーん、なんか着実に巻き込まれていってるなあ。
「シホ、お前さんにも手伝ってもらうよ。ラヴィに鱗を移植するときに、周りに天球を張ってもらう。そっちの若いのも、頼んだよ」
婆ちゃんがきっぱりと言い、先輩はそれに押されるように頷いていた。
先輩は、ラヴィからの伝言を伝えればそれで十分だからとじきに婆ちゃんの家を辞去した。ルートヴィヒがそれを見送っていった。
そんな二人の様子を見ながら、婆ちゃんが呟いた。
「まったく、ガリエス家ってのはきいてはいたけど因果だねえ」
「え、ガリエス家ってそんなに有名なの?」
「まあ……お貴族様の家だから、平民の耳にはあまりそういうのは入ってこないもんだけど、人形師協会で上師なんてのをやってればいろいろとね。ききたいかい?」
「いや、やめとく。先輩とはこれからも顔を合わせていかないといけないのに、そんないろいろを知ったら変な反応しそうだから」
「そうですか、寧ろ知っておいてもらった方がいいかもしれないと思いますけど」
ルートヴィヒの声がした。もう戻ってきたのか。
クラリィ婆ちゃんが言う。
「甥っこともっと話してくればよかったのに」
「甥ではありませんよ。兄の玄孫です」
「そんな正確にすることに意味があるのかい?」
「ありますよ。……何です、シホさん?」
じっと見ていた私に気付いたルートヴィヒが私に訊ねる。私は言った。
「ガリエス家のことはいろいろきいているんだけど。ルートヴィヒのことはあまり知らないなって」
「そうですか?私がユゲリアと一緒にいたことも、見た目より長く生きていることも知っているでしょう。それで十分じゃないですか」
「いやー、なんでユゲリアのところを出てきたのかなって。ユゲリアのところに長年いたんだから、それなりに居心地良かったんじゃないかなって。年をとらずに長くいろいろ見ていられるでしょ」
「ユゲリアが私の家族を陥れるようなことをしたからですよ」
「でも、お兄さんの曾孫とか玄孫とかなんてかなり遠い関係でしょ。快適な環境を手放すようなことかなって」
私が前から思っていた素朴な疑問を口にすると、ルートヴィヒは少し驚いたような表情をしていた。
「まさかそんなことを言われるとは思いませんでした。ユゲリアから離れることを選択したことは、誰からも疑問に思われないものと思っていましたから」
「勿論、あの人形のところから出てきたのは良いことと思うけど。でも、素朴な疑問っていうか。まあ、あの人形との生活がどんなかなんて全く想像できないんだけど。どんなところで暮らしてたの?」
「この世界から切り離された空間ですよ。そこに人間が暮らすのに適したような部屋をユゲリアがしつらえて、私はそこにいました。その空間には窓があって、そこから世界の様子が見えました。私はそれを通じて見たいものを見ることができました」
「その窓から見えるものを自分で選ぶことができたってこと?」
「ええ。まあ、ユゲリアがいるときにはユゲリアが見たいものが優先されましたけど、ユゲリアがいないときには私の自由にできました」
「そこから出かけることもできたの?たまには外の空気が吸いたいなあっていうときだってあったでしょ」
「なかったですね。あそこで過ごした時間のほとんどはユゲリアの体作りに費やしましたし」
「もしかして、ユゲリアのところを出てきたのを後悔してたりする?」
「まさか!このままこちらで暮らして、普通に老いて死んでいきます。ただ、やりたいことがあってそれはやり遂げたいんですが」
「何?」
「ガリエス家の領地に行き、家族の墓参りをすることです。あまりに狭くて、しかも国境に面していて、領地といっていいかという感じですが」
「ラウトゥーゾ子爵家みたいな感じ?」
「あそこは辺境で土地が荒れているというだけで、領地にある屋敷を最低限保つだけの収入は領地から得られているでしょう。ガリエス家はあれとは全く違います。屋敷もないですしね」
確かに、先輩は伯爵家に屋敷がないので、週末にラウトゥーゾ子爵領で国境守護隊長をしているお兄さんの家に泊まりに行くと言っていた。
「そうなんだ。でも、お墓参りなんて簡単にできるんじゃないの?遠くても、例えばガリエス先輩に頼んで転移陣で連れて行ってもらえば」
「それができれば苦労はしないんですが」
苦笑するルートヴィヒを見ながら、婆ちゃんが言った。
「まあ、そうなっているのもお前さんが遠因ではあるからね。そもそも、あんな状態で領地があるといっていいのか」
「それ、どういうこと?」
「ガリエス伯爵家の領地は凍結されているんだよ。王宮によって封鎖されている」
「何でそんなことに?」
「先代のガリエス家の当主がやらかした結果だよ。そしてそれをそそのかしたのは魔だと言われている」
「ユゲリア?」
「さあ。その可能性はあるらしいけど、王宮の魔法使いたちはそれ以上調べられなかったようだ」
「そんなことをよく知っていますねえ。流石は上師」
ルートヴィヒが感心したように言った。婆ちゃんは横目でルートヴィヒを見る。
「お前さんだって元は上師だろうに」
「そうですけど、貴族でもありましたから。当時はそれがあって貴族たちの情報を仕入れやすかったですけど、今の上師にはそういう人物はいないでしょう。それなのによくもまあ情報を手に入れているな、と」
「お前さんがいなくなった後、上師たちはお前さんが残した伝手を保とうと努力したんだよ。その結果、今はもっと良い繋がりが得られているけれどね」
「そうですか。できればその伝手を使ってガリエス伯爵領へ行かせてもらえればと思うんですが」
「どうだろうねえ」
婆ちゃんはそれだけ言って、話を打ち切り、鱗の制作作業の段取りに入っていった。私たちもそれに従った。
ルートヴィヒの領地訪問の話はそれで終わりになったと思っていた。
が、翌週の土曜日、婆ちゃんの家に顔を出すと、婆ちゃんは私とルートヴィヒを前にして言った。
「ルートヴィヒ、お前さんの念願が叶うかもしれん。王宮が、ラヴィの鱗の移植作業を行う場所として、ガリエス伯爵領をと言ってきた」
「それは……。では、封印は?」
「解かれる。ただし、それと同時に、中の掃除もせにゃならん。それについては魔素術師も力を貸せと仰せだ」
それをきいた瞬間、ルートヴィヒの表情が曇った。婆ちゃんは淡々と言う。
「なに、お前さんに手を貸せとは言わん。お前さんに家族を殺せとは誰も言わんよ」




