105 どうにか戻る
意識を取り戻したとき、体が動かせなかった。
場所はあのカフェで、私はガリエス先輩に抱き抱えるようにされていた。先輩は、私が目を開けたことに気づくと、傍の椅子にゆっくりおろしてくれた。
安堵して体の力を抜く。と、手の中に砂のような感触があり、手を開いて見てみた。手のひらに、青黒く光る砂があった。何だろうこれは、と思ったが、砂の粒のうちに一際光るものがあり、それを見てわかった。これは、ラヴィの鱗が崩れたものだ。
「大丈夫か?」
アンリウォルズ先輩が少し離れたところから私の様子を窺うようにしている。
ラナがそっと寄ってきて、私の手を取った。
「ちょっと手をお借りしますね」
ラナは穏やかに魔素を流し込んできた。治癒術の一つで弱っている人のケアに使う方法だが、相手の波長に合わせないと治療対象を逆に疲れさせてしまうので、結構難しかったりする。母やマリちゃんはこれをやるのが篦棒に巧いのだが、ラナも巧かった。少なくとも、その治療を心地よいと感じられるほどには。
「ありがとう。魔素の流し込み、巧いね」
「いいえ、そんな」
ラナははにかんだ。何か褒められ慣れてない感じ?いっつもレイドール公爵令嬢にけなされているとか。
「大丈夫か」
ガリエス先輩も訊いてくる。
「大丈夫です、多分」
そこで気がついて、私は自分の服装を見た。いつもの臙脂色の制服だ。うーん、変身に成功したと思ったんだが、違うのかな。
ホリィに訊いてみようと思ったが、私の服のポケットに隠れてしまっている。シュルが肩にいる感触もあるが、いつものように透明になっている。まあ、シュルが姿を現していても、話はきけないか。だって言葉がわからないし。
私たちがいるカフェの二階には、人が入れ替わり立ち替わりやってきていた。彼等は皆アンリウォルズ先輩のところに行って何やら小声で話していく。何話してるのかなー、と気になってそちらを見るが、ラナに、ゆっくりしてください、と注意を受けてしまう。でも気になるんだよねー。何か、やってくる人たちの表情が深刻でさ。ユゲリアを退けた筈なんだけど。
やがて騒がしい足音が聞こえたかと思うと、ガリエス隊長が上がってきた。
え、何で?と思って見ていると、そのすぐ後ろからタロちゃんも来た。アンリウォルズ先輩や他の人が二人の行く手を遮ろうとしたが、ガリエス隊長はそれをかいくぐり、まっすぐガリエス先輩のところに行くと、ガリエス先輩を抱きしめた。そして、二度ほど先輩の背中を大きく叩くと、体を離して震える声で言った。
「良かった、無事だった」
「兄上?何故ここに?」
ガリエス先輩は驚いた様子でいる。隊長はそんな先輩の髪をかき混ぜながら、
「そりゃあ、お前が心配だったからに決まっているだろう」
おお、兄弟らしい会話だー、なんかほっこりするなー、と思って眺めていたら、タロちゃんが傍にやってきた。私は顔だけでタロちゃんを見上げて言う。
「お疲れ。タロちゃんが隊長さんを連れてきたの?」
「ちょっと違うな。最初は、事情聴取をするために迎えに行ったんだ。でも、フロリゼルがユゲリアの出現場所に学院の友人たちと踏み込もうとしていると話したら、隊長の方から、自分もそれに立ち会いたいって言い出して」
「それは伝え方が悪いよ。アンリウォルズ先輩みたいな強力な魔法使いも一緒だから、とか言わないと心配させるでしょ」
「言った。お前も一緒だし、魔法にも魔素術にも強力な備えがある、と。それでも行くってもっと強く言いだして転移陣を展開してな。慌てて俺もそれに乗っかって来たんだ。守備隊の詰め所の中でいきなり陣を展開し始めたからびびったぜ」
「んー、それってやらないことなの?」
「移動に失敗したら建物の壁に衝突するからな。後は、屋外で空が見えている方が、目的地との空間の連続性を想像し易くて術が成功し易いかな」
私たちが話していると、弟との再会を喜び終えたらしい隊長がこちらに向き直ってきた。
「どうにか無事そうだな」
「どうも。ガリエス先輩に助けてもらいました」
「俺は別に。……助けに行ったつもりだったけど、結局はお前が状況を打開したし」
ガリエス先輩もこちらに来て言う。
「いやー、そんなことないですよ。先輩が来てくれなかったらあの空間から出てこられなかったですよ」
「あれは……ルートヴィヒおじうえが用意してくれたもので」
「でしょうね」
あんな材料を手に入れられる人間なんて、人形師の中でだって限られている。
「ルートヴィヒはユゲリアが先輩に接触してきてたっていうのを知ってたんですか?」
「相談してたから」
「何でそこで神祇庁に言わなかったんだ」
タロちゃんがため息をつきながら言う。先輩はタロちゃんを僅かに睨んだが、何も言わなかった。代わりに、隊長が言う。
「ユゲリアはフロリゼルに、自分に協力をしたらレクスを神々の煉獄から助けられると言ってきたんだ」
「まさかそれを信じたのか?」
タロちゃんが怪訝そうに訊く。先輩はまた黙り、隊長が答える。
「そんなことはないが、万が一もしそういうことがあるのかもと思って、フロリゼルはリーシアを通じてルートヴィヒ叔父上に相談したんだ。最初は一人で悩んでいたが、ルートヴィヒ叔父上が妹の家に預けられて、それで相談する気になったんだよ」
「それでも神祇庁に言おうとはしなかった?」
タロちゃんは苦々しく言い、隊長は肩を竦めてみせる。
「俺も妹を通じて話を知ったときに神祇庁に伝えた方がいいとは思ったが、フロリゼルからまだ様子を見たいと言ってきてな。というか、フロリゼルはレクスが本当は神々の煉獄にいないかもしれないと疑っていた。ユゲリアにもそのようなことを言われたらしい。ルートヴィヒおじうえは間違いなくレクスは神々の煉獄にいると話したんだが」
「何を馬鹿な」
吐き捨てるようにタロちゃんが言ったが、先輩がそこで喰ってかかるように、
「でも、新入生のオリエンテーションのときにも兄上は現れたし、神々の煉獄ではなくてユゲリアに捕らえられているのではないかって」
「フロリゼル、気持ちはわからんでもないが、控えろ。ここにいるシホ・アリス・ゼンは六年前にお前の兄に殺されかけたんだぞ」
アンリウォルズ先輩に言われて、ガリエス先輩の表情が変わり、私に深々と頭を下げた。
「すまない。無神経だった」
「あー、えっと、そうですね、いいですよ、うん。私も少し不思議には思っていたんですよね。ちょっと判定が厳しいかなって」
六年前のあのとき、私は直接攻撃を受けたわけじゃない。それでも、神々の煉獄は作動した。
「でも、二回目のときのはどうなんでしょうね。事告げ様の助言で人間を攻撃したと判定されるようになった筈なんですが」
「それは間違いのないことよー!」
私の服のポケットからホリィが飛び出してきて言った。ラナが驚いた表情で言葉もなくホリィを見ていた。まあ、気持ちはわかる。その場にいた他の人たちは既にホリィのことは知っていて、平然としているけど。
「あのときの魔法使いがきちんと煉獄に納められていることは確認されているわ!でもってあの性悪人形ごときが何かしたくらいで煉獄が突破されるっていうのはないから!」
ガリエス先輩が嘆息する。
「やっぱりあれは嘘だったのか」
「そりゃそうだろ」
タロちゃんがぼそりと呟く。ガリエス先輩が睨んできたが、タロちゃんは気にした様子がない。私は手近な高さにあったタロちゃんの上着の裾を引っ張った。
「タロちゃん、ちょっと配慮して」
「だけどなあ」
「そんなことより、何でユゲリアとやらはアリス・ゼンだけを別の空間に引っ張り込んだんだ」
アンリウォルズ先輩の言葉に、私はそうだと思い返した。ユゲリアは確かに私を狙っていた。
私はガリエス先輩を見た。
「先輩、何か知りませんか」
「そうだぞ、お前、アリス・ゼンが姿を消した後、すぐに後を追ったじゃないか」
「それは……ユゲリアはいつも独自の空間を構築して俺と会っていたから、何かしてくるかもしれないとは思っていて。それと、おじうえが、ユゲリアがアリス・ゼンに何か仕掛けてくるかもしれないって言っていたから」
その一言で私は急に目が覚めた気がした。
「え、なんで?」
「わからない。おじうえがそう呟いていたのを一度ほどきいたことがあるだけで」
そのとき、何かが振動する音が聞こえた。前世にあったスマホのサイレントモードのような音だ。
タロちゃんがコートのポケットから小さな滴型の石を取り出すと、それを耳に当ててしゃべり出した。前世で言うところのスマホみたいな魔法の道具かな?
「あー、うん。こっちは片づいて。……え?んー、まあきいてみる」
タロちゃんは私たちを見て言った。
「今、ヨハンから連絡が入ってるんだけど、シホ、お前、今からクラリィ師の家に行ってルートヴィヒ・ドスポリフと話せるか?奴が、シホとガリエス家の兄弟がいないと話さないって言ってるってさ」
「ヨハンはルートヴィヒと会ってるってこと?」
「ああ」
「そっかー、わかった。自分で移動しろって言われたらきついけど、連れて行ってもらえるんなら大丈夫」
「でも、アリス・ゼンはさっきかなり強い魔法を使って疲れてて」
ガリエス先輩が言い募る。その言葉をきいて、私は自分が魔法を使うのに成功したことをきちんと知った。
だがタロちゃんは、
「休ませてやりたいのはやまやまだけどな。ヨハンが出張ってきてるし、あと、リーシア・テウル・ドライドも呼んでいるところらしいし」
「姉上まで……」
「タロちゃん、クラリィばあちゃんも同席してくれるの?」
「それは確認するけど。それがいいのか?」
「うん」
タロちゃんは持っていた石に話していたが、結局婆ちゃんの同席には了解が出たらしかった。
タロちゃんは石をポケットに仕舞うと、
「それじゃ、行くか。ヨハンのところまでは俺が転移陣で連れていくから」
私は立ち上がった。が、ふらついてしまい、椅子の背もたれを咄嗟に掴んだ。ラナも支えてくれた。が、歩けない。
これはどうしたもんかなあ、と思っていると、タロちゃんがこっちに来ようとした。が、それより先にガリエス先輩がやってきて、
「運ぼうか」
と言った。
運ぶってナニ?と最初思った。が、次に閃く。
「じゃあ先輩、ちょっと肩を貸してもらえます?」
「それはいいけど、お前、歩けないんだろう?」
「歩けないですけど、浮くことはできますよ」
魔素を足の裏に纏わせ、地面から浮かせる。でもこれだけだと浮いてるだけだ。推進力を得るためには地面を蹴らないといけないのだが、今はそういうことができない。
「さ、先輩。肩を貸してください」
先輩が訝しそうにしながら傍に来る。私は先輩の左肩を手で掴んだ。
「いいですよ、これで歩いてもらったらそのままついていくんで」
半信半疑といった様子で先輩が歩く。私は風船が持ち主について回るようにして移動した。
こうして私はクラリィ婆ちゃんの家に移動した。




