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104 本気の大ピンチ

  ユゲリアの体はガリエス先輩の魔法による締め上げによってひびがどんどん入っていく。

 が、ユゲリアは高笑いをしている。

「迂闊ねえ、今この体を壊しても、私は抜け出して別の体に宿るだけよ。予備はたくさんあるもの。ルートヴィヒのおかげでね。でもまあ、今は用事を済ませましょうか」

 言いながら、ユゲリアは私に向かって魔力を放ってきた。それは突風となって私に襲いかかってくる。

 風は炎ほどには直接のダメージは与えなかったが、それでも痛みはぎりぎりと増していく。息苦しくもなってきた。頭がぼんやりとしてくる。

「脱出しろ、早く!」

 先輩が叫ぶ声が遠くからきこえる。脱出?どうやって?どこに?家に?

 家、という言葉で思い浮かんだのは、前世で最後に住んでいた家だった。古いアパートに一人で住んでいた。当時の自分の給料からするともっといいところに住めたけど、お金を貯めたくてそこに住んでいた。

 前世の自分の最期、はどうだったかわからない。でも、前世の自分がどんなだったかはわかる。何となくぼんやりと毎日を暮らして、それだけだった。何かを成し遂げたものもなく、何事も起きなければそれでいい、と生きていた。

 一人で生きて、気がついたらそれなりに歳をとっていて、そこで己の生き方を振り返って、どうしてあのときこうしなかったんだろう、挑戦しなかったんだろう、と考えていた。もしもう一度人生をやり直せるなら、今度はやりたいことをやろう、と。

 だから、生まれ変わったことに気づいたとき、この機会を与えてくれた偶然に猛烈に感謝して、今度こそは後悔しないで生きていくんだ、と決めた。生まれ育った環境のこととかで前世にはなかった試練はいろいろあったけど、それでも前世での後悔を起爆剤にいつも乗り越えてきた。

 やりたいこと。魔素術。前世にはなかったもの。前世では、魔法とかあったらいいなあ、と小説とか漫画とかフィクション作品を読んだときに思っていた。そういったものに似たものが私にも使えると知って、これは取り組むべし!と思った。後で魔法なるものが別に存在すると知ってちょっと驚いたけど、別にそれは気にならなかった。魔法は人間同士の戦闘では直接使えないときいて、あまり役には立たないと思ったから。

 私は魔素術を極める、それで十分だ。

 と思っていた。

 普通に生活している分にはそれで十分だった。

 でも、それだけではだめなんだ。こんな風に、普通じゃない場所に放り込まれた場合には。

 わかっていたじゃないか。この世界でいうところの国境がどんなところか初めて見たときに、前の世界と違うんだって。普通じゃない空間が有り得るんだって。

「アリス・ゼン、しっかりしろ!このままだと消えるぞ!」

 先輩の声が更に遠ざかってきこえる。

 消える?消えるって何?こんなにあちこちが痛いのに?こんなに熱を感じてるのに?でも、そう考えているうちに指先からだんだん何も感じられなくなってきている。かろうじて、私の手のひらの疼きと、先輩がさっき私の手に押し込んだラヴィの鱗の感触はあるけど、でもそれもどこか遠い世界のもののようだ。

 消える?そんなの馬鹿げてる!私は生きる。生きて、今のこの世界を楽しむ!

 体の芯から気力を振り絞り、熱を指先に灯すイメージを強く持った。最初は手応えがなく、どんどん熱が消えていっていたが、やがて激しい痛み、体の裏表がひっくりかえるような痛みとともにそれは宿った。

 熱は一瞬で溶けてなくなったが、でも完全に消えたわけではなく、私の輪郭をなぞるような形でほのかな熱が残っている。

 けだるさを感じながらも、私はその作業を続けていった。いつの間にか私の全身を熱が巡り、私自身から放たれる光で自分の足とか胴体とか腕とか、体のパーツが見えた。

「何、これ?」

 自分の姿を見ての一声は、それしか出なかった。学院の臙脂色の制服に普段はいている茶色い革のブーツで来た筈なのに、私が今身につけているのは、黒いメタリックな光を放つ膝丈のワンピースに黒いブーツだった。

 ワンピースとかブーツの光沢が前世でいうところのエナメルみたいな感じで、少なくとも今世にはないものだ。何じゃこりゃ、と思ったとき、不意に思い当たった。

 これって、マリちゃんと一緒に考えてた変身後のコスチュームのうちの一つじゃない?

 驚きながら私は自分の手を改めて見た。白い手首までの手袋をしていた。うん、間違いない。これ、確かに考えてたデザインの一つだわ。私が最初、デザイン画で黒いレースの手袋にしていたところを、マリちゃんが、これには白い手袋をした方が可愛い、と言って描き替えたんだった。

 ということは、変身成功ってこと?

「お前、その姿は一体」

 ユゲリアが私を見ながら声を震わせている。次の瞬間には私に向かって矢の形をした闇を幾つも放った。おかしいな、さっきまでは辺りは完全な闇に見えていたのに、今は緑色の薄明るい光が満ちているように見える。

 私はユゲリアに向けて羽衣を振るった。羽衣はユゲリアの体に巻き付いた。羽衣ごとユゲリアが光る。

 ユゲリアは愉快そうに言った。

「今ここでこの体を破壊したら、もう私を捕まえられないかもしれないわよ?」

「さあ。そんなの関係ないし。あんたの体ってのがあと幾つあるのか知らないけど、それを一つ一つ壊していけばいいんでしょ。そしたらいつか終わりが来るわ」

 私は淡々と言った。羽衣を通じて魔力を流し、ユゲリアがその身に薄く纏わせているバリアを溶解しようと集中する。一部、突破できた、と思っても、そこから先には進めず、結構面倒くさいな、と思いながらも作業を黙々と続ける。

 そして、先輩に言った。

「先輩、私はこいつを壊します。先輩はこいつに話があるって言ってたけど、それは諦めてください。こんな奴にどんな話があろうと、話をするだけ無駄です。こいつは碌なもんじゃないんだから」

 先輩は少しの沈黙の後で言った。

「おじさんは、お前の体はまだ三十三体あると言っていた。そしてそれをユゲリアはどこかに保管していると」

「何だ、予備も案外数が少ないんですね、じゃあ、やり遂げられそうだわ」

 私があっさり言うと、先輩は苦笑した。

「そうだな、そうかもしれない。……アリス・ゼン、魔力を相手の体に深く浸透させろ。そうしたら、あいつの本体に傷を残せるかもしれない」

「本体?」

「魂、とでも言うのかな。あいつの核だ」

 そう吹っ切れた様子で言う先輩に対し、初めてユゲリアが少し焦りを見せて言った。

「いいの、それで?お前は私に話があると言った。何か知りたいことでもあるのではなくて?でなければ願いとか?」

「知らない。俺たちは俺たちのやり方で兄上を探す。神々に囚われているのならともかく、お前ごときに囚われているのなら、きっと何かしら方法はある筈だ」

「何を言っているの?」

 ユゲリアは戸惑った様子だ。が、先輩は構わない。先輩は光の鎖を消すと代わりに両方の手に光の剣をはやし、ユゲリアに向かって跳んだ。

「いずれにせよ、終わらせる」

 叫びながら、ユゲリアの体に光の剣を突き立てる。羽衣ごとだったからか、その攻撃が確かにユゲリアの体に届いたのが感じ取れた。

 先輩は剣をユゲリアの体に残したまま、自身は後方に飛びすさった。私もユゲリアの体が崩壊していくのを感じ取り、羽衣を引き戻す。引き戻しながら羽衣に穴があいていないかと心配して見たが、それは大丈夫そうだった。

 神具なんて恐れ多いものに穴を空けてしまったらどうしよう、と心配したのだが、それは杞憂だったようだ。

「やったわ、見て!」

 ホリィの声に、私はユゲリアを見た。ユゲリアはまさに崩れようとしていた。光が弾け、それとともに衝撃が走る。

「まずい、空間が崩れる!逃げるぞ!」

 先輩の声が聞こえるが、それも何だか歪んできこえる。その姿に至っては辺りが眩しすぎてわからない。

「逃げるって、どうやって?」

「お前にさっき渡しただろう」

 光の中からにゅっと腕が突き出てきて、それが私の手を握った。ええ、何?と驚いている間に、その手の主が私の目の前に現れる。ガリエス先輩だった。

「帰るぞ。その欠片に魔力を込めろ」

 言われて、私は素直に従った。ラヴィの鱗に魔力を流す。先輩の魔力も一緒になり、ラヴィの鱗が温いような熱いような波動を発した。

 空間全体を覆う光は痛いほどになっていたが、次の瞬間、私たちは特別な熱も光もない空間にいた。足下は木の板で、辺りは薄暗いカフェの店内だ。

「戻った……?」

 私はその言葉を発したのを最後に後ろにふらついた。その拍子に頭を何か堅いもので打ち、その衝撃で意識をなくした。

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