102 優位に立てた?
「フロリゼル、いい子ね。言いつけ通り、連れてきてくれたのね」
ユゲリアの言葉と同時に、私の服のポケットからホリィが飛び出し、羽衣を出した。
「シホ、羽衣を装備して!」
言われるまでもない。宙に浮かんでいた羽衣の端を掴み、身に纏う。私の肩に乗っていたシュルも姿を現し、クルゥ、クルゥと懸命に鳴き出した。シュルが声を上げる度に、辺りの闇が波立つ。
それを受けて、ユゲリアが怒気をはらんだ声で言った。
「この小物が!己れ一人で立つことができず、この世界の神にまつろうことでしか存在できないくせに!」
「何言ってんの。あんたみたいに他人の持ち物に嫉妬してるだけのモノに見下げられる謂われなんてないわよ!」
ホリィが言い返す。
私は羽衣に力を込め、天球を展開していった。だが、天球の範囲が広がらない。天球が及んでいる場所は光に覆われているんだけど、私の足下に留まっている。シュルが鳴くたびに少しずつ広がっている感じはするんだけど、じりじりという感じ。
一方で、闇が私の手の甲とか足とかに当たると、鈍い痛みが体を走る。あとは、どうしてか羽衣からも痛みがやってくる。最近、練習の成果か、羽衣全体が私の体の一部みたいになっている感じはあって、そのせいかもしれない。羽衣全体が痛みを受けているわけではなく、痛い場所とそうでない場所があった。何故痛くない場所があるのだろうと思って観察すると、そういった箇所は魔力で覆われていて、うっすらと光っている。
そんな箇所を増やしていかないと、と集中する。が、途端に力が揺らぎ、羽衣全体が暗くなる。痛みが増す。痛くない箇所に集中し直すと、そこだけはほんのりと暖かくなる。でも、それだけだ。私の周りはほぼ暗闇で、これからどうすればいいか、これが続くとどうなってしまうか。
「シホ、もっと集中して!シュルの声をきいて!」
闇の中からホリィの声が聞こえる。シュルの声もきこえるけど、きいたからといって何が変わるんだと思って言い返す。
「やってるってば!でも、何かうまくいかない!いつもと違う!」
「ここがあいつが作った空間だから、いつもと違うのよ!だからシュルがどうすればいいか、ずっと話しかけてるでしょう!」
「そんなこと言われても、何言ってるのかわからないって!」
言う間も暗闇は押し寄せてきていて、羽衣を介して痛みが襲ってくる。シュルが天球を維持するのを手伝ってくれているのはわかるけど、それ以上の打開策は見えそうにない。
絶望しかけたそのとき、私の後ろから光を纏った腕がぬっと出てきた。
いきなり何だ?と思ってその腕を凝視していると、腕に続いて肩口が、そしてその主が姿を現した。
ガリエス先輩だった。
先輩は体に薄く光を纏い、私の傍に立った。私のように痛みを感じている様子はない。
ガリエス先輩の出現は、ユゲリアにとって予想外のことだったらしい。
「何でお前がここにいるの?」
と、声を上げている。先輩はユゲリアを睨みながら、
「俺がここに入り込めたのかが想定外か?馬鹿にするな。人間にだってお前が作った空間に入りこむ技術はある」
ユゲリアはじっとガリエス先輩を眇めて見ていたが、
「そう、ルートヴィヒが手を貸したのね?あの恩知らずが」
「おじさんがお前に恩を感じる謂われはないけどな」
「何を言っているの?私に仕え続けることができたうえに、私とともにいたおかげで若く美しいまま生き続けて来られたのよ。感謝しかないでしょう?」
ユゲリアは先輩に向けて炎を放った。先輩は障壁を張りそれを防いだ。
そうしてから先輩はユゲリアに対して光を放った。ユゲリアは小さな盾のような黒い障壁を手元に発現させ、光を止める。
「やっぱりこの空間で己を保ちつつ強力な攻撃をするのは難しそうねえ。まあ、自分を守るのに魔力をかなり使うでしょうから。でも、そこの小娘みたいに無様な様子を晒していないのは流石というべきかしら?」
ユゲリアは次には私に向かって炎をぶつけてきた。咄嗟に天球の更に外に魔素術で障壁を展開するが、亀の甲羅、といえるほどの強度には満たず、熱だけではなく炎も少し通してしまう。
羽衣は無事だったけれど、タンパク質が焦げた臭いがした。髪が少し焦げたらしい。そういうのは実生活で経験あるから、それくらいではびびらない。うん、大丈夫。
でも、痛い。心も体も輪郭がきしんでいる感じがする。
先輩は私とユゲリアの間に割って入る位置に移動した。
「アリス・ゼン、集中しろ。そのままだとこの空間で魂ごと霧散するぞ」
「……やってますってば。でも、うまくいかなくて」
「魔力の放出に集中するんだ。それなら前にもできていただろう」
「この空間、何か勝手が違うんですよ」
さっきホリィに向かって言ったのと同じことを伝えると、先輩がすっと私の隣にまで移動してきて、私の片方の手を取った。
何を、と驚く間もなく、手の中に何か小さなものが押し込められる。
「それに魔力を込めろ。そうしたらここから出られる」
私は何とか手を動かして自分の目の前にまで上げ、少しだけ手を開いて、そこに押し込められたものを見た。小さな蝶のモチーフが彫られた青黒く光るかけらがそこにあった。
これ、わかる。ラヴィの鱗だ。それに蝶が彫られている。間違いなくルートヴィヒの手業だろう。
私は気になったことを訊ねた。
「私がこれを使ったら、先輩はどうなるんですか。一人でここに取り残されて、ユゲリアと戦うんですか」
「余計な心配はするな。俺だって空間の移動はできる。俺が転移陣を使っているのを何度も見ただろう。それに、俺はこいつに話がある」
「じゃあ、その話とやらを今ここでしてくださいよ。時間はいくらでもあるんですから。第一、こんな奴と一対一で話したところで碌なことはないでしょう。先輩、あんまり口がうまくなさそうだからすぐに言いくるめられそうだし。何だったら、私も加勢しますよ。口だけならまだ動きますからね」
先輩は苦々しそうな表情をした。
「お前、こんなときにもそんなことを言えるのか。あれの力を押し返すだけでぎりぎりそうな顔をしてるのに」
「いろいろと考えるのが習い性なんですよ、生憎と。……それでついでに訊きますけど。先輩、私を連れてくるように、ユゲリアに言われてたんですか」
「まあ……。でも、承知したつもりはなかったんだけどな」
「何であいつは私を呼ぼうなんて思ったんでしょ?」
何か恨まれてるかなあ?モノルムではユゲリアを撃退したのは私だし。
「さあ。ルートヴィヒおじうえは心当たりがあるようだったが、話してはくれなかった」
「多分碌でもない理由なんでしょ」
私は吐き捨てるように言った後で、ユゲリアを睨みつけ、そしてそのまま言った。
「それで先輩、本当にここに何しに来たんです?私を助けるためじゃないでしょ。目的を教えてくれたら、先輩を手伝いますよ」
「何を言っている?目的だと?」
ユゲリアが会話に割り込んできた。
「ただ無力な平民の娘を助けるために飛び込んできただけだろうに」
「そんなことのために先輩がこんなところまで来るわけないでしょ」
ユゲリアが待ちかまえているところに飛び込むなんて、そんな危険極まりないことをしてもらえるほど、私は先輩と関係を築けているわけではない。そもそも先輩は、調べたいことがあって神々の宴に参加したいと言っていた。それは、ユゲリアに限らず魔に関することなのではないのだろうか。
神々の宴で課される試練は、過去、魔に関することが少なからずあったし。
先輩は小さくため息をついた。
「お前、本当にかわいげがないな」
そう言うと、片方の腕を大きく振った。途端に先輩の腕から光でできた鎖がユゲリアに向かい、その首に絡みつく。人形らしくユゲリアの表情は変わらないが、その顔にひびが入っていく。
「ユゲリア、降参しろ。お前の残りの体も処分する目処はついている」
余りにこちら優位の情報に、私は疑わしく思って訊ねた。
「それ、本当ですか?」
「ああ。おじうえの仕込みがあるからな」
「あら、刻印のことかしら?それが本当に今でも有効だと?」
ユゲリアは左手の甲を表にするようにして見せた。
「本当ならこの薬指の付け根に刻印があったのよ、でも消したわ。邪魔だったから」
先輩が歯ぎしりする音が聞こえた。
あー、これはもしかして詰んだ?




