07 放てそうめん
『黒丸勝負です。根絶やしにおいて人型の歴史的優位性を証明してみせます』
『ネットワークに繋がっていないセツに負けることはありません』
スタンドアロンの孤高か、ネットワークの群体としての優位か。言葉なきデータ解析の応酬は、すでに戦いの火蓋を切っていた。
セツの視線が頭上の標的への最短ルートを捉える。跳躍のためのエネルギーが、静かに密度を増してセツの足元に溜め込まれていく。
「ギィ」と音を鳴らし、後ろ足に重心を乗せ立ち上がった黒丸。その駆動系の音が咆哮となり、周囲を揺らした。犬型の優位性を証明せんとするその鉄の意志が、その四肢から重低音となり漏れ出た。
縁側で見守る者たちの、息を呑むかすかな気配だけが、その爆発寸前の臨界点を告げていた。
「私はセツに」
そう言うとかず子は、縁側に設置してある銀髪の人形の前にスイカの皿を出した。
「赤ちゃんの前で賭けごととは、怖いママでちゅねー」
理恵子は抱いた赤子にそう言いながら、犬のぬいぐるみの前に皿を出す。
「僕はね、どっちも!」
たかしはポケットにあったドングリをとりあえずたくさん置いた。
「私もセツに賭ける」
ルミ子も人形の前にすっと皿を出す。
「みんないいか! いくよー!よーいドン!」
健一郎の声で勝負は始まった。
梅の実がどれだけ多くとれるか、十分間の真剣勝負。今日は各々スイカを賭けている。縁側からの応援に、自然と熱が入る。
セツが梯子を持って梅の木にかけると一気に駆け上がった。演算されたルートにしたがい、その手を動かす、その流れは割烹着のポケットへと吸い込まれる。
セツの視界のすみに黒い四つ足が写る。黒丸は新たに背中から腕を生やすと次々と梅を狙った。後ろ足で身体を梅の木に固定すると、前足、背中の手、尻尾が梅を捕らえる。
「ん!こりゃすごい! 引き分けだよ」
健一郎がそう言うと、セツと黒丸は天秤へ顔を近づけた。
『黒丸、ほんとに引き分けですか?』
『アナログは嫌いです。引き分けとしか判断できません』
「うーん。どっちも同じぐらいねー」
縁側からかず子が声をかけた。
「きーちゃん、どっちが重いかな?」
その隣で理恵子が赤子に話しかけた。
「ばぶー」
赤子が元気よく返事をした。
「返事した―。すご」
ルミ子が笑った。
「そうめんがゆであがったよ!」
ヨシ美の声が庭に響いた。
子どもたちの夏休みに合わせて、ヨシ美の次女である理恵子、その一家が帰省してきた。「子どもたちに自然を味あわせたい」理恵子は電話でヨシ美にそう言った。
その受話器越しの小さな声にセツと黒丸は静かに反応した。その日から二人は『おもてなし』の準備を始めた。
「皆さん、マイ竹はありますか?」
セツの声に、一同は竹を空に掲げた。
『警告:不合理な精神論戦闘プロトコルを検出』
セツの視界の端に、赤いノイズが走った。竹を構えるその姿は、彼女の深層記録と完全に一致していた。
「セツ?」
ヨシ美の声で、セツの瞳の光が静かに復帰する。
「……失礼しました。では皆さん、竹を連結。右へ三歩。速やかに索敵水を注入。各員、対空そうめん陣形へ散開!」
セツの有無を言わせぬ号令に、一同は少し混乱しながらも、一斉に動き出した。
『黒丸、五十グラムずつそれぞれに』
『座標把握、いつでもOK』
——ポン!
(流しそうめん?というか、飛ばしそうめん?)
ルミ子は空中から降ってくるそうめんを見てそう思った。空飛ぶ『そうめん』から弾けた水滴が、雨粒のようにルミ子の顔にかかる。
ポシャン!——
「わーい」
たかしの水の張った竹にそうめんが落ちてきた。
「なんかいつもよりおいしいわね」
理恵子とかず子は頷きあいながら、ちゅるちゅるとそうめんを啜った。
***
「ちょっとセツ? いつのまに作ったのよ、これ。ホントに大丈夫なの?」
かず子は口先でそう言いながら、水着姿で田んぼの脇の即席プールへとずかずか足を踏み入れていく。
「……産後すぐプールに入るかず子さんの方が、私は心配です」
セツはすかさず黒丸へバイタルチェックを指示した。
「きもちいーわ、これ! 理恵子がきーちゃんを見てくれてるんだから大丈夫よ!」
ぷかぷかと浮き輪で浮かびながら、かず子は『アッハハハ』と暢気に笑った。藍色の水着を着たかず子の胸元には『3-6 御手洗』とゼッケンが貼られていた。
高台の湧き水を引いた水路。セツと黒丸はそれを『おもてなし』としてコンクリートで補強し、泥の混じらない完璧なバイパスへと作り替えていたのだ。真夏の太陽を浴びて、きらきらと透明な水が満ちている。
「わーい!」
不意に上流から歓声が響く。高台の水路を滑るようにして、鮮やかなピンク色のフラミンゴ型浮き輪が流れてきた。乗っているのはたかしだ。その下では、ルミ子がしっかりとフラミンゴの脚を掴み傾きを制御している。
高台の水路の曲線を滑り落ち、最後は少しだけ勢いがついて——「ジャッパーン!」
盛大な水しぶきと共に、二人はプールへと滑り込んだ。
「あはははは!おねーちゃん、もう一回!もう一回!」
青空の下、冷たい湧き水のプールに、子供たちの弾けた笑い声が響いていた。
「そうだ、ぼくね、スイカ割したい。ぼく、やったことがない」
麦茶をゴクゴクと飲むたかしが、ぷはっと息を吐いて言った。
「スイカ割ですか? では準備しておきます。明日やりましょう」
セツはコップを受け取ると青々と広がるスイカ畑を見つめた。
翌日。
「おかわり」
その言葉が終わるか終わらないかの刹那、ひょいっとセツの手が動き、空の茶碗にほかほかのご飯が収まる。
たかしはぐるぐると納豆をかき混ぜると、ドバっと白米の上にぶちまけた。勢い余って茶碗の縁からあふれ落ちそうになった豆たちを、セツは手慣れた手つきでスプーンで戻す。
「たかしくん、スイカ割やりたいですか?」
「うん!」
たかしが口いっぱいに頬張り、もぐもぐと顎を動かす。その拍子に唇の端から伸びた細い銀の糸を、セツはじっと静かに観察した。
「じゃあ、食べ終わったら行きましょう。ルミ子さんも行きますか?」
セツは二人を、昨日とは別の水路へと案内した。
「これはスイカ専用の水路です。最適な温度で冷やしています」
その水路は、青々とした田んぼの周囲を大きく、ぐるっと回って元の場所へと戻ってくる回遊式構造だった。
「これ全部スイカなの……?」
ルミ子は思わず絶句した。
緑と黒の縞模様が水路いっぱいに流れている。
どんぶら、どんぶら。
——教室、電車の中の日常がよぎる。
人間の頭のような球体が、音もなく、ただ流れていく。
「はやく!はやく!」
たかしはトントンとその場で足踏みを繰り返している。
気が急くあまり、すでに手ぬぐいで自分の目を完全に覆っていた。
***
ルミ子は参考書を開いた。
そして、そっと閉じた。
数学は、さっぱりだった。
この夏こそ、すこしでも苦手を克服したい──。
「おねーちゃん、フラミンゴ押して!」
窓の外では、『フラミンゴを履いた弟』がニコニコしていた。
「いまいくー!」
ルミ子は参考書を丁寧に鞄へと戻すと、足早に部屋を飛び出していった。
──その一連の動作を、黒丸は静かに記録していた。
『セツ、どうやら我々は見落としていました』
『何をですか?』
『自然を味わいたい。そして「おもてなし」。我々はその言葉を理解しようと動いていました。しかし、ルミ子さんは学生です。学び生きる者です』
『理解しました。それが自然に生きることでもあるのですね』
翌日の早朝。まだ薄暗い時間に、ルミ子はモフッとした衝撃で起こされた。寝ぼけ眼で誘導されるがまま黒丸の背に乗る。向かった先には眼鏡をかけたスーツ姿のセツがいた。
「ルミ子さん、おはようございます」
「あ、おはよう……セツ、なんでスーツ……?」
「教師です」
「そうなんだ……」
「教師は眼鏡装備率が高いため再現しました」
セツは人差し指でクイと眼鏡のブリッジを押し上げた。
それから毎朝、ルミ子は『もふり』と起こされ、勉学に励むことになった。
「え……? うそ……」
8月の上旬。オンライン模擬試験の結果画面を表示した端末を手に、ルミ子は震えていた。画面には、今まで見たこともない偏差値と判定が叩き出されている。
「語学など暗記系はデータ構造の配置なのでスコアは気にしないでください。慣れが必要なだけです。明日からはルミ子さんが現代語を使ったら私が古典で返答します。夕方は英語で私と会話をしましょう。──数学が100点なのは私の数式モデルを流し込んだからです。このままの出力を維持してください」
セツは眼鏡のブリッジをクイと上げると、早口に言った。
『黒丸、最適な英語教育は演劇ですか?』
『真』
『では、準備をしましょう』
その日の夕方。
ルミ子はセツに連れられて、田んぼのあぜ道に来ていた。入道雲が、鏡のような水面に重く映っている。
「では早速ですが英会話になります。First, we shall perform a Shakespearean play in Setsu's original tongue. Rumiko-san, you will play the role of Agnes. I shall perform all the other characters. Now, shall we begin?」
「い、いえす?」
圧倒されながらも、とりあえずそうルミ子は返事をした。
「では──これより第一幕を開始します」
セツの目が一瞬だけ青く発光した。
セツはそっと眼鏡をポケットにしまう。
眼鏡を外したその瞳には深い『情』が宿っていた。
「Oh, Agnes...!」
夕日に照らされる田んぼのあぜ道が、一瞬にして英国の劇場へと変貌した。セツの口から重厚で哀愁を帯びた男の声が響き渡る。
突如として開演した、劇団セツ(一人全役)。
ルミ子は強制的に引き出された集中力と共に、異国の言葉の奔流へと叩き落とされるのだった。
***
お盆が近づいたある日。
理恵子たちが帰る日が近づくにつれ、その一家は妙に静かになった。
「……ちょっと、みんなでドライブに行ってくるから」
どこか神妙な面持ちで車を走らせ、夜遅くに帰ってきた理恵子一家は、リビングに入るなりヨシ美に向かって全員で大絶叫した。
「帰りたくない!!!!」
「帰りたくないって、あんたたち……仕事や学校はどうすんだい?」
ヨシ美が理恵子の目をじっと見つめながら、呆れたように聞く。
「し、仕事はなんとかするから! 健一郎さんはリモートワークできるし」
「お義母さん、俺の仕事はなんとかなりますし、それに……こっちの酒造りに、ものすごく興味が湧いてきちゃいまして!」
「ねえ、おばーちゃんいいでしょう!ここがいい!」
たかしが床にひっくり返って涙を流し、全力で駄々をこねた。
ヨシ美はため息をつき、静かに佇んでいた孫に視線を向けた。
「ルミ子はどうなんだい? 友達とか、いろいろあるだろ?」
「私、たぶん大丈夫……。なんか、都会も楽しいんだけど、最近ちょっと周りに合わせるのがしんどいっていうか。ここにいる方が、なんか……集中できるっていうか」
ルミ子は、しっかりと日焼けした自分の足元を見つめながら言った。
——『どんな物語があなたを感動させたの??』
セツの声に導かれ、シェイクスピアの言葉を何度も口にさせられた。その言葉が、頭の中から離れない。お風呂に入っても、水路に飛び込んでも、ずっとルミ子を捕らえたままだ。
なんかむかつく。
今まで都会で交わしてきた言葉が、急に軽くなった気がした。あのとき笑ったことも、盛り上がったことも。あれは、あれで楽しかった。
『To be, or not to be, that is the question』
厨二病だ、と最初は思った。
意味はわかる。たぶん授業で聞かれたら説明もできる。
でも、それだけだ。
むしょうに腹が立った。
——ボリボリ。
その重苦しくも熱い家族会議の声をBGMにしながら、食卓のテーブルでスイカの皮のぬか漬けを食べていたセツが、静かに口を開いた。
「商店街の青木屋のご主人が言ってました」
ボリボリ、ボリボリ。
規則正しい咀嚼音が、静かに回り続ける。
「この辺りの学校は過疎化が始まっており、教室はガラガラだそうです。幸いなことに幼稚園から高校までの一貫学校がこの地区には存在します。理恵子さん一家が移住した場合、子どもたちの環境変化によるストレスを最小限に抑え、学習効率を最大化するマイルストーンを再構築するには最適な条件かと」
ポリポリ。ポリポリ。
「なお、人ネットワークの推移も調査済みです」
そう言うと、セツはマグカップの麦茶を一気に流し込んだ。
ゴクゴクゴク。
セツの頬の赤みが静かに引いていく。
***
「ルミ子さん何をしてるんですか?」
夜中、ぬか漬けの手入れに来たセツが言った。
「梅ジュース探しているの。なんか眠れなくて」
「梅ジュースは飲んでしまいました」
セツは床下から、奥にある大きなガラス瓶を取り出した。
「腕を出してください」
差し出された手首に、瓶の液体がひと雫、垂らされる
プンと匂いが弾けた。ルミ子はそれを、じっと見つめた。
セツがぬか床に手を入れ、深くかき混ぜる。
今度はブンとした匂いが広がった。ルミ子はそれも、じっと眺めた。
「──五分経過。皮膚異常なし。瞳孔、異常なし」
セツはコップに注ぐ。
「まず味見を」
酸っぱくて、甘くて、庭の匂いがした。
そして──強烈に、美味い。
「悪くない」
喉の奥からジワリと広がっていく熱さを誤魔化すように、ルミ子は一言だけ言った。
「セツも飲みなよ」
ルミ子はコップに注いだ。
「乾杯」
二人はコップを合わせた。
──カチン。
ゴクリと喉が鳴る。
──「To be, or not to be, that is the question」
セツが空になったコップをすっと差し出しながら言った。
そのセリフの、今の「意味」はわかった。
無性に笑いたくなった。
ルミ子は、セツのコップにおかわりを注いだ。




