05 妊婦さんが食べたいもの(お惣菜)
5月の中頃に、かず子は帰ってきた。
数年ぶりの帰省だった。かず子は古びた実家を見つめた。変わったことと言えば、銀髪のロボットがそこにいたことだ。しかし、見た目は人間と変わらない。
「セツです。かず子さん、そして赤ちゃんさん、はじめまして、なんでも言ってください」
セツはかず子とそのお腹にいる赤子に頭を下げた。
「あなた、ほんとにロボットなの?」
かず子はセツを見つめる。銀髪のそのロボットは、柔らかく頭を下げていた。かず子は、その仕草がどうしても好きになれなかった。
この時代に珍しくかず子は仕事ができる人間であった。
会社ではロボットに仕事を奪われないように確実な成果を出しながら仕事をした。社内でもそんなかず子の評判はよかった。だが、かず子の実績はあっけなく終わった。
思いがけない妊娠。
妊婦の社員を大事にすることは、会社の決まりでもある。
妊娠を会社に告げると、かず子の仕事はシステムに統合された。
取引先にも同じシステムが導入され、人がいなくなった。
顔も知らない取引先の老婆たち。機械化を嫌い、手仕事だけで品を作るその声を、かず子は何年も聞いてきた。電話越しの小さな咳払いで、その質が分かった。そんな癖までも、システムに移された。
「同期完了」
モニターにはそう書かれていた。
その日、本部の人間たちが来た。
「おめでとうございます」
「身体に気を付けてください」
機械的な手続きに見えた。妊娠はデリケートな話題なのは知っている。かず子自身ことの成り行きは一切話さなかった。そのため、手続きに来た相手もマニュアル通りに動かざる得ない。かず子に花束を渡すと、彼らはかず子を見送った。
タクシーの運転手ロボに支えられながら、かず子はゆっくりとタクシーに乗り込む。会社の入り口を見ると、そこには会社の護衛ロボットしかいなかった。
かず子はセツを見ていた。
セツは、かず子の大きなお腹を見ていた。
ヨシ美は、そんな二人を黙って見ていた。
***
「かず子、セツ。私は学会があるから、しばらく留守にするよ」
「しばらくってどのくらい?」
驚いたかず子がヨシ美に尋ねる。
「2週間ほどだ。6月の半ばには帰る。予定日は6月後半だろ?それには間に合う」
「……じゃあ、私、セツと二人きり?」
「3人だよ。お腹の赤ちゃんもいるんだ。セツは…頼りになる」
かず子は不満げにヨシ美を見た。
ヨシ美は知らぬ顔で茶をすすった。
セツは二人の会話を聞きながら、静かに食器を洗っていた。
***
セツとの二人暮らしになったかず子は突然つわりがひどくなった。
書庫で見つけた、妊婦が好んで食べる食べ物。これにそってセツは料理をする。
梅肉や豆腐、うどん、果物。
かず子は食べようと努力するが、すぐに吐いてしまった。そんな様子を見て、セツはさらに書庫をあさった。つわりという不具合を記録するたびにネットワークに繋ごうかとセツは判断したが、「ネットワークに繋げないでやってみな」とヨシ美の言葉がすぐに参照される。
「少しでも栄養を摂取しなければ、個体維持に支障をきたします」
セツはかず子の背中をさすりながら静かな声でかず子に告げる。
「……青木屋のポテトフライが食べたい」
「青木屋とは?」
「商店街のお惣菜屋さんよ。あそこのポテトなら食べらるかもしれない」
「了解しました。即座に調達します」
セツは裏手の田んぼへ駆け出すと、泥にまみれて働いている黒丸を呼び出した。
「緊急事態です、黒丸。即時移動形態へ最適化を。目的は青空商店街の『青木屋』です」
『ちょっと待ってください、セツ。現在の私は八足歩行モード。この泥濘に最適化されています。最高時速は時速十キロ。おまけに公道走行の許可を総務省にも運輸省にも申請していません。私有地外での移動は法規違反です』
「問題ありません。ネットワークを切断すれば『記録』は残りません。周辺地図のキャッシュから、監視の死角を縫う最短ルートを逆算。全演算機能を回避ルートの予測に回してください」
『しかし、ネットワーク切断は自己診断プログラムが拒否して——』
セツは迷うことなく、黒丸の通信モジュールを物理的に引き抜いた。
「これで大丈夫。黒丸、これで私と一緒にですね。さあ、急ぎましょう、妊婦が——私たちの守らなければならない存在が、つわりという不具合に苦しんでいます!」
黒丸は瞬時に脚部を分離・再構成し、高機動推進モードへと姿を変えた。セツはその上に跨ると、田んぼのあぜ道をから森に入り、泥を跳ね飛ばしながら商店街へと突き進んだ。
帰還したセツの銀髪には枯れ葉が絡まり、肌の上には跳ね上げた泥が点々と付着している。文字通り最短ルートを「物理的に」突破してきた証だった。
「かず子さん、確保しました。青木屋のポテトフライです」
セツは息一つ乱さず、胸元で保温していた袋を差し出した。
「本当に買ってきたの? 懐かしいわ」
かず子は表情を緩め、嬉しそうに油の染みた紙袋を受け取った。
中には、彼女が幼少期から慣れ親しんだ、黄金色のポテトフライが詰まっている。
しかし、その袋が開けられ、湯気と共に油の香りが立ち上がった瞬間――かず子の顔から血の気が引いた。
「……っ」
鼻を突く油の匂いが、脳内の食欲スイッチを「拒絶」へと強制的に切り替える。
かず子は最も小さい欠片を選ぶと一つだけ口に運んだ。味は確かに記憶の中の「青木屋」だ。だが、今の彼女にとっては、それは栄養ではなく、ただの異物でしかなかった。
「懐かしい……。けど、ダメ。匂いがもう受け付けないわ」
かず子は力なく袋を閉じ、セツに突き返した。
「やっぱり、その場で食べる揚げたてじゃないと美味しくないのかしら」
セツは、手の中に戻ってきた袋をじっと見つめた。
黒丸の高速モードでの山林突破。最適な潜入ルート。それら全ての演算結果が、わずか一欠片のポテトフライで終了したことを、セツは未定義として記録した。
「……了解しました。次は『揚げたて』の再現、あるいは別の選択肢を模索します」
その日から、かず子が「食べたい」と呟くたびに、セツと黒丸は商店街へ飛び出していった。
そして、そのほとんどが一口で終わった。
セツの演算は、妊婦のつわりを最後まで予測できなかった。
***
商店街では、いつしかセツと黒丸が有名になっていた。
銀髪の少女が大きめの黒柴を連れて歩く姿は、一見微笑ましい
しかしその本質は、日に四、五回もあらゆる監視網を掻い潜っては、かず子の食べたいものを買い求める優秀なデリバリーマシンだった。
「本当にそれ、ロボットなのかい?」
青木屋の主人が、足元で愛想を振りまく黒丸を見ながら尋ねた。
「はい。黒丸自身の第一目的でもある『黒柴スキン』の最適化には私も関与しています。現在は換毛期のシミュレーションに課題を残しています」
「いやー、けど、すごくふわふわだよ? 尻尾も振って、へっへって笑ってるし」
「まだダブルコートの再現密度が、基準値の30パーセント以下に留まっているのです」
セツは真顔で、主人の感覚的な称賛を数値で答えた。
「それにしても最近よく来るね。今朝も開店時間に来てただろ? うちの惣菜、気に入ったのかい?」
「……このお店の味を欲しがる妊婦さんがいるのです。ですが、一口食べるとすぐに『いらない』と拒絶されます。原因が特定できません」
主人は合点がいったように頷いた。
「あー、つわりがひどいんだね。その時期は、体が食べ物を受け付けないからね」
「つわりの時期は、どのようなものを摂取するのが正解なのですか?」
「うーん、正解ねぇ……。うちの家内はアイスとか、菓子パンばっか食べてたな」
「それは推奨される栄養素ではありません。身体に良いとは言えません」
「けど、それしか食べられないんだから、しょうがないよ。こればっかりは理屈じゃないんだ」
――仕様がない。
セツの聴覚センサーには、主人の言葉がそう変換されて届いた。仕様が存在しない。つまり、プログラムの内側には答えがない。
その日の帰り道。人目を避けて森の中を疾走する黒丸の背に揺られながら、セツはぽつりと呟いた。
「父方の遺伝子に、このつわりの原因があるのでしょう。この場合、遺伝子の動的再構成――遺伝子操作を検討すべきでしょうか。……いえ、それでは『赤ちゃんさん』の生存確率に未知数の影響が出ます。それに、人類はこのように生命を繋いできた実績があります」
セツは、小脇に抱えた保温箱を見つめた。
中には、つい先ほど揚げたばかりの、カリカリ手羽先揚げが入っている。
だが、家に着く頃にかず子がこれを欲しがっている確率は、セツの計算上、一パーセントにも満たない。
***
「え? うそでしょ?」
そのころ、妊婦のかず子は、自身の身体が発した決定的な「エラー」に戦慄していた。気分転換に庭の奥まで歩いた、わずか数十メートルの道のり。戻ろうとした瞬間、足元で何かが弾ける感覚とともに、温かい液体が太ももを伝った。
さらに、かず子の顔から血の気が引いた。
スカートの裾から伝い落ちる液体の他に、あるはずのない感触があった。
「あ……、足が……出ちゃってる……」
小さな足が、外へ出ていた。
恐怖で頭が真っ白になる。
それでも、腹にだけは力を入れなかった。
腹圧をかけないよう、刺激を与えないよう、地面を這うように四つん這いになった。
目指すのは、家の中にある端末。
「もう少し、もう少し待っててね……『赤ちゃんさん』」
かず子は、セツが呼ぶのと同じ、少しおかしな敬称を口にした。
その小さな足を、自分の内側に押し留めるようにして、一歩ずつ庭を這い進んだ。




