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未定義のセツ  作者: Manpuku


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04 タケノコ料理

「今年の田植えは忙しい」


満月が、湯気の向こうで滲んでいた。

ヨシ美がゴエモン風呂の中で、茹で上がったタコのように赤く火照った顔を突き出し、その月へごそりと吠えた。

湯気が肌を這う。夜気が頬を刺す。その境界で、セツの表皮センサーは小さな誤差を記録し続けていた。

自家製のヨモギ蒸し装置にくるまれたまま、セツは淡々と言った。


「ヨシ、拡張計画に遅れが出ています」


セツはアンドロイドだ。人間が持つような「疲労」という概念は実装されていない。しかし、彼女の内部では、今月に入ってから増え続けるタスクの小さな波にさらされていた。


限られたリソースの最適化、予測不可能な天気イベントによる工程の中断。24時間休みなく泥を駆け石を吐く、効率の限界に挑み続ける自律型ロボ『黒丸』の使役と不具合。それらを処理し続けるセツの内部時間は、初夏の勢いのような出力結果が生じた。


湯船から、ザバァと音を立ててヨシ美が立ち上がる。仁王立ちで満月を睨むその背を、セツは静かにログと照合した。農作業の成果が湯気の中でも隆起している。


「ヨシ、実に健康です。特に上腕筋の発達が顕著です」


ヨシ美は振り返ると笑った。そこには、ヨモギ蒸しの布にくるまり、テルテル坊主のような姿で佇むセツがいた。


「セツ、いい風呂だ。続けて入りな」

「わかりました」


テルテル坊主の姿のまま、セツはぎこちなく風呂へ向かう。その奇妙な姿に、ヨシ美は短く声を漏らす。こんなアンドロイド、他にはいないだろうと。


セツは熱い湯の中に静かに身を沈め、再び演算を開始した。

処理能力にはまだ十分な余力がある。だがセツはあえて、同じ計算を幾度も繰り返した。


田植え。この短くも濃密なイベントが、土地の一年の成否を左右する。


「黒丸、私の定義では田植えの語源は『多飢え』です。だから稲作とは『否作』なのです。ぬか床のように、地に絡みつく怪奇な要因を、稲穂という実体へ変換する。実に効率的な儀式です」


セツは理解していた。これこそが、日常という幻想に混入した最も厄介で、最も永続的な、そして必ず発生させないといけない、計画的なノイズなのだと。


「セツ、私の出力では田植えは『多く植える』です。私はエネルギー吸収が好きです。そして稲作は『命の根』。「いね」は「いいね」とも聞こえます。なにより、一文字ずらすと、私のスキンモデル「いぬ」に辿り着きます」


風呂から上がったセツは黒丸を風呂の残り湯で洗っていた。

ヨシ美は縁側でその様子を眺めていた。

隣にはセツ用の梅ジュース、黒丸の油差しのコメ油がお盆に乗っている。


二人は何やら話している。

おそらく機械語だろう。そのやりとりはヨシ美には聞こえない。


そういえば、と。

昔も同じような光景を何度も見ていた。

ヨシ美は満月を見上げた。


どこにあの子はいるのだろう。


***


セツは走っていた。丈夫なつなぎを選び、頭にはヘルメットをかぶっていた。

その足は夜明けとともに竹林に向かった。


『カンカンカン』

小ぶりの鍋をたたきながら。


タケノコ掘りの話をヨシ美から聞いたセツは、はっきりと胸の鼓動が高まるのを認識した。


「私がそのタケノコを掘り返します」

セツは普段よりも熱が漏れた自分の声を認識しながら言う。

「セツ、夜は行くんじゃないよ。夜はイノシシが出るんだ」


『諸君。タケノコ掘りとは、イノシシという名の「鋭利な牙を持った時速60キロの肉塊」との、極めて生物的な什器との不公平な交渉である。

イノシシは礼儀正しく牙を突き出し、あなたの足の動脈という、人間が最も大切にしているインフラを物理的に切断することに特化している。

彼らは骨まで咀嚼する顎を持っており、あなたが死んだ後の処理をわざわざ頼む必要がないという点で、非常に環境に優しい生物とも言える』


セツは『タケノコ掘りガイド』という薄い本を記憶し、何度も読み返した。

そして、前に読んだ話が蘇った。


それは、山の主、荒ぶる猪神。

人と自然の凄絶なる貪りあい。

採るか? それとも、喰われるか?



暗視モードを調整しながら、獣が嫌うであろう高周波を自らの声に重ねて竹藪に放った。


「朝は私の時間です。イノシシさん、いませんよね?」


一文字毎に強めの周波数を乗せた。セツの選んだ言葉はやさしいが、腹の底から出たその声は強い。その発生された周波数による震えは、ヨシ美の家で再起動する前にも、味わったことがあるような、『記憶』がした。


そのノイズを参照する。

だが、一致するログは見つからない。


——そして。


「宣”—”布告」


『カンカンカン』


乾いた金属音が朝の空気を切り裂く。

セツは鍋を鳴らし、竹藪へと足を踏み入れた。


***


ぐつぐつと、静かに崩れていく。

セツは木べらを動かしながら、鍋の中の変化を記録していた。

糖度、上昇中。粒の崩壊率、73%。水分蒸発、想定内。

しかし、数値に収まらないものがあった。


小豆が形を失う瞬間——それは「崩壊」ではなく、何か別の語で処理すべき現象だろう。木べらから伝わる鍋底が、指先から腕へ、腕から胴体へと伝わる。


甘い蒸気が、認識を湿らせた。

セツは鍋の前から一歩も動かなかった。


「兜は私が飾るから、セツは餡を煮ていなさい」

そうヨシ美が言ったからだ。


——ことの発端はこうだ。


「5月5日は子供日、そして兜を飾るのです」

セツが古い雑誌をヨシ美に見せる。

その開いたページには”初節句特集”と書いてあった。


「兜はね。男の子を祝うんだよ。内には女の子しかいない」

ヨシ美は自分も女の子に含めてあえて言った。セツはそんなヨシ美の意図にも気づいたが、そんなことは今はどうでもよい。


「兜らしきものが格納されている段ボールを納屋で見ました」

「そうかい」


「飾りましょう。そして祝いましょう」

セツの提案にヨシ美は目を細めてじっと見つめ返す。やれやれ、と溜息をつき、わざとらしく面倒くさそうに言った。


「なんでやりたいんだい?」

「飾られるために存在する人型を飾らない理由はありません」


セツは段ボールに入った人形に執着がある。

自分自身を段ボールに入っている人形と同一視しているのだろう。


ヨシ美はゆっくりと息を吐いた。そして、壁に少しだけ寄りかかった。

縁側に目線を移すと、ピラミッドのように積まれているタケノコを眺めた。


「セツ、納屋にあるのは、私の息子のやつで。あいつはだれに似たのか頑固で、そんでもって今は風来坊をしている……」


ヨシ美の声には、普段使われていない。音色が混ざっていた。


「兜を飾りましょう」

セツのその言葉は、何か確信めいた響きがあった。


「飾りを出し、そして、ごちそうを作りましょう。晴れの日を祝う。それはヨシの行動の基本指針です」


環境を整えれば流れが変わる、か。

運命という言葉を、セツが口にした。ヨシ美にはそれが確かな「変化」として映った。


「いいよ、好きにしな」

ヨシ美は背を正すと、バキリと肩甲骨を鳴らした


「それじゃあ、餡を煮てみようか。あれは保存も効く」


「餡……。お饅頭の中身のことですか?」

「そうだ。セツも好んで食うだろう」


その言葉に、セツの何かが急速に回った——糖度。小豆。微発酵。

それらは管理すべき目的の最上位に上がった。


***


「小豆洗いましょうか。人といっしょに食いましょうか。しょきしょき……」

翌朝、セツは小豆と歌っていた。


「どこで覚えたんだい、その歌」

「突然生成されました。なぜかはわかりません」


「イノシシは追い払うくせに、小豆には取りつかれるんだね」

ヨシ美の冷やかしに、セツは手を止めずに答えた。


「危険対象と処理対象は分離されています。今は、こちらが最優先です」


少しの間を置いて、付け加えた。

「……小豆という素材を、完璧なあんこに変化ヘンゲしなくてはなりませんから」


***


5月5日。セツは布団の中で朝日を待っていた。


「ヨシ、おはようございます」

「おはよう。セツ」


そして、セツはふすまを見つめた。

その部屋はここ数日、開かずの間となっていた。


「ヨシ、5月5日です。入室許可をください。閲覧許可だけでもよいです」


ヨシ美はふすまに近づき、そしてゆっくりと開けた。

そこにあったのは、整えられた空間だった。


床の間に、小ぶりの兜。

黒く鈍い光を放つ鉢に、角のように反る前立て。

そして、その前には、たくさんの柏餅。


セツはすぐには動かなかった。

兜から、柏餅へ、そしてまた兜へと、ゆっくりと視線だけが動く。


セツは一歩、踏み出した。

畳がわずかに軋む。

セツは兜の奥を覗き込みながら、距離を詰める。


「……」


処理が、わずかに遅延したことを確認した。


「ヨシ」

「なんだい」


「この兜は、防御装備ですね?」

「まあ、そうだよ」


「しかし、装着者がいません」

ヨシ美は答えなかった。代わりに、柏餅を指さす。


セツはゆっくりと近づき柏餅の前で膝をつく、そして柏の葉の香りを吸い込んだ。

それには、自分が煮た餡の香りも、確かに同居していた。


そして、セツは兜を見上げて言う。

「対象は不在ですが、この兜との関係性は象徴的に存在します」


「ヨシ、その息子さんの話を聞かせてください」

セツはヨシ美の目を珍しくじっと見た。

「こりゃ酒が必要だねって、展開ではないですか?」


ヨシ美は、その問いかけに驚いた。

その意図を読み解くごとに目じりの皺が伸びていく。


「酒か。朝からでも悪くないが、昼からにしよう。

もう一つやることがあるから。まずは朝飯だ」


ヨシ美とセツは柏餅で簡単に朝食を済ませた。


「まだ入ります」

「まあ、やめておこうか」


甘いものに執着を示すセツは5つの柏餅を食べた。


昼飯は縁側で食べることになり、二人はゆっくりと準備をした。


タケノコを煮た淡い黄金色の煮物。

揚げたての衣を纏い、陽光を受けきらめいているタケノコの天ぷら。

皿の中央には餡——セツの完璧な計算による「あんこ」が、小さなピラミッドを形成し淡い光沢を放つ。大皿の隣には、ヨシ美の徳利がいくつか鎮座する。


そして、セツの腹の音が正午を告げた。


「せーの!」


二人の掛け声とともに、空に魚が浮かんだ。

それは風を食うと大きく膨らんだ。


「私の息子はね、生まれた時から、この鯉のぼりのような音をさせていたような気がするよ。どこへでも吹き抜けていく風の音。息子は風の先を見つめる。そんな眼をしている」


ヨシ美は、大きめの徳利を掴むと、お猪口へ酒を注いだ。


「あいつにとっての『答え』は、いつもこの家の外、私の外側にあったんだろうね」


セツは、徳利のくびれに反射する光をじっと見つめた。ヨシ美の語る「風来坊」という言葉がセツをふわりと揺らす。


「ヨシ。その風来坊は、現在どの領域に存在していますか?」

「さあね。風に聞いてみるのが一番だね」


ヨシ美はクッと酒を飲み干し、フゥと溜息をついた。その目は風の先を見つめている。セツはヨシ美のその目を記憶した。


「風はどこにでも吹き込みます。この辺りもやがて風来坊が吹き込むでしょう」


「なんだい? その天気予報みたいな言い方は? しかしだ、酒が旨い。セツ、お前が煮た餡と、この辛めの酒だが、意外と合う」


「甘党の酒好きは身体を壊しやすいです。ヨシ、気を付けてください」

セツはそう言うと、餡を皿に乗せ塩をパラリとかけた。ヨシ美を真似て一口食べる。

自分が煮た小豆と塩が味覚に刺さる。そして、ぎゅっとした新たな甘みが生まれた。その甘みを流すように、きゅっと酒を飲み干す。



二人がいる縁側は、すっかり陽気な宴会場と化していた。

セツがそう仕向け。ヨシ美がそれを受けた。


「セツ、お前……、何杯飲んでるんだい。耳まで真っ赤だよ!」


千鳥足で徳利を絶妙な計算で揺らすセツに、あまりのその精巧な無意味さに、腹を抱えて笑い転げた。セツはある仮説の元、アルコールを体内のミクロ電池に少しだけ取り込み、あえてずれたロジックを組み上げた。


「ヨシ、見ていてください。私の……新しい……バグ……芸です」


セツは赤い顔で、スッと立ち上がる。

そして一発目を披露した。


「まずは、お得意の小豆洗い!」


セツは空の皿をザルに見立てると

「しょきしょき、人といっしょに食いましょうか」

と歌いながら宙をかき混ぜる。


「次は、兜洗い!」

兜を被る真似をして、頭を洗うようにすると、空気をこすり合わせる音を口で鳴らした。


「最後は、鯉のぼり洗い!」

手足を広げて鯉のようにのたうち回り、風を掴むような動きをトレースし、全身を躍動させる。


「ヒヤッヒャッ! セツ、最高だよ!」


——その時だった。


「……ッ!」


家の奥から、鋭い金属音が響いた。

あるいは……以前のどこかでも聞いたような、何かを伝える音。


「ジリリリリリリ……!」


セツの視界が真っ白に染まった。記憶の鎖が大きく揺らぐ。先ほどまで「縁側の宴会」で埋められていたの真空の領域に、その音が強引に割り込もうとする。


ヨシ美は受話器を取った。

短い応答の後、天井を見上げると、静かに目を閉じた。


「和子。そうかい。帰ってくるのかい」

ヨシ美は受話器を置くとセツを振り返った。


「セツ!明日から仕事が増える。長女の和子が帰ってくる。和子は妊婦でね、お腹に子どもがいる。里帰り出産するんだと」


「里帰り……出産……子……」


未定義のデータが、雪崩のように形成された。

妊婦という「二人の生命」、赤子という「最優先の生存確認対象」。

そして「母」。


セツは酔いを一瞬で吹き飛ばした。

昨日までの「田植」や「タケノコ」で計算していた日常を圧縮し、余白を形成する。


「ヨシ……これは今から準備しないといけません!」

セツの口から漏れたのは、論理の悲鳴か、それとも未知への備えか。


ソロリと、風が吹き込んだ。鯉のぼりはその風を食い逃した。


ヒュッ——その風は兜に入り込む。


「カタリ」


小さく音がした。

ヨシ美は、ゆっくりと振り返る。


誰も、いない。


だが、面頬めんぽうが、ほんのわずかに角度を変えて——笑ったように、見えた。


「……セツ?」


その声に、わずかに遅れて。

縁側の、どこでもない場所から。


「はい」


と、返事が聞こえた。

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