10 甘酒とハーブティー
「青空商店街、久しぶりね!懐かしいわ!」
「あら!まだあの手芸店あるのね!きーちゃんに何か作ってみようかしら?」
かず子と理恵子の姉妹は、久しぶりに商店街を訪れていた。
かず子の抱っこ紐のなかで、きーちゃんが好奇心いっぱいに小さな首をきょろきょろと動かしている。首がしっかりしてきたことで叶った、記念すべき初めてのお出かけだ。
「シャッターが下りた店も、ちょっと増えたわね」
かず子がぽつりと呟くと、理恵子が「ほら、見てごらんよ!」と頭上を指さした。その先には、見慣れた『本日15日・イコー市!』の赤文字が躍る手書きの横断幕。
商店街の中央からは、調子の外れた太鼓と笛の音が響いてくる。
人だかりの輪のなかで、唐草模様の布を派手になびかせる獅子舞がへんてこなステップを踏んで乱舞していた。
「あら、可愛い赤ちゃん!奥さんたちもどうぞ、地酒『空の誉』の酒粕で作った甘酒ですよ!」
パイプ椅子が並ぶ広場で声をかけられ、ほんのりと温かい甘酒を差し出される。二人は並んで腰を下ろし、ゆっくりと一口含んだ。とろりとした優しい甘みと濃厚な麹の香りが、じんわりと喉を通っていく。
「あ!青木屋だわ!お姉ちゃん、ちょっとフライドポテト買ってくるね」
そう言うと、理恵子は席を立った。
「バブー」
かず子が飲んでいる甘酒に向かって、きーちゃんが小さな手を伸ばす。
「きーちゃん!甘酒はまだ早いの!あなた、まだ3か月なのよ!」
獅子舞の音頭に感化されたのか、その調子に合わせて小さな手が素早くカップを狙い始める。記念すべき、初めての母子による小さな攻防だった。
その様子を見ていたのか、獅子舞がふわりと跳ねるように近づいてくる。
先ほどからなにやら挙動がおかしいその獅子舞に、かず子は思わず身を固める。
よく見ると、小さなドローンだろうか。獅子舞の周りで時折、パッと紙吹雪を吐き出している。さらには首が想定外の角度まで伸びたり縮んだりし、その奇妙な動きにきーちゃんが声をあげて笑った。
赤子の笑い声と、愉快で妖しい獅子舞の動きが重なり合う。
人々はそんな光景を、やさしい眼差しで見守った。
やがて音頭が終わり、獅子舞が深く礼をする。
そしてそのまま、かず子の元へすーっと滑るように滑り込んできた。
頭をガブッと噛まれるかと、とっさにきーちゃんを抱きすくめたかず子の前で、獅子舞の大きな口がパカッと開き、中からセツの顔が覗いた。
「かず子さん!いかがでしたか?」
「セツ!だったの? じゃあその下は黒丸?」
その声に反応して黒丸が風呂敷から顔を出し「ヘッヘッ」と挨拶をした。
「てか、あなたたち何をしているの?」
「商店街のボランティアです。今日は青空を舞う獅子舞をイメージしました」
そこに理恵子が青木屋のご主人をつれてやってきた。
「かずちゃん! 久しぶり!」
「シュンちゃん!? うわぁ、久しぶりね!」
どうやら二人は小・中学校の同級生らしい。
新たな人ネットワークの発見を、セツは獅子舞の口の隙間から、じっと観察していた。
「ところで、例のやつが集まったよ」
「なにが?」
青木屋のご主人が、封筒から分厚い紙束を取り出した。
「これこれ。商店街と婦人会、合わせて300人分」
かず子は手渡された分厚い紙束の表紙に目を落とした。
そこには『嘆願書:学校に手作りの給食を!』と記されている。
そして、発起人の欄には妹の理恵子の名前があった。
「理恵子、これ、あなたの名前があるけど……」
ポテトフライを美味しそうに頬張っていた理恵子が、横から覗き込む。
「ほんとだ。私の名前だわ」
「いやあさ! セッちゃんがさ、分厚い資料を持って俺のところに来たんだよ。『理恵ちゃんのところのたかし君が、学校の給食にガッカリしてる。理恵ちゃんたちも子どもたちのために本気で立ち上がりたいんだ!』って。俺ぁそれを聞いて熱くなっちゃってさぁ……! 二人とも地元を離れても、ちゃんとこの街の未来を考えてくれてんだなぁってさ!」
シュンちゃんの話を聞いて、姉妹は瞬時に理解した。
――セツがやったんだ、と。
「青木屋さん! これ、遅くなったけど老人会からの分ね。200人分はあると思うよ」
「銀さん、ありがとうございます!あ、そうだ銀さん。こちら、あのかずちゃんと理恵ちゃんですよ!」
「おやまあ!久しぶりだこと!こっちは、かずちゃんの赤ちゃんかい? 可愛いねぇ!」
銀さんのその声に引き寄せられるように、周りにいた老人会の面々がぞろぞろと集まってきた。
「こりゃあ、可愛い!」
「そんなに首を振ったら目を回しちゃうよ」
「あっはははは!」
孫を見るような温かい祝福と、純粋な期待の輪に囲まれて、かず子と理恵子は着々と逃げ場が失われていくのを感じていた。
ふとセツを探したが、彼女の姿はどこにもない。
嵐を巻き起こした張本人は、いつの間にか影も形も消えていた。
***
『セツ、あの場を離れてよかったのか?』
『黒丸、世界線の熱が発生したのを確認できました。帯状に発生した熱は、もう冷めません』
セツは黒丸の背に乗り、本丸――学校の理事室に向かって進んでいた。
いつものように森を抜け、最短距離で向かう。
『黒丸、一応あなたはロボットですが、見た目は完璧な犬のスキンです。校内はペット禁止ですから、目立たない場所で待機してください』
『了解した。セツ、忘れ物はないか?』
『このリュックに入っています。資料も手土産も』
――学校理事室。
「あら、いらっしゃい。あなたがセツさんね?」
「セツです。『さん』は不要です」
「そう、セツね。私はこの学校の理事長をしている御手洗晃子よ。まあ、そこに座ってちょうだい。あなた、お茶は飲めるんでしょう? お茶でも飲みながら話しましょうか」
晃子は丁寧な所作でカップを差し出した。
「ヨシ美さんから話は聞いているわ。彼女とは昔からの古い知り合いなのよ。どうぞ、淹れたてが美味しいから召し上がれ」
セツは静かにカップを傾けた。
「……これは、私の記憶にあるお茶とは異なります。花の香りがします。そして、かすかな酸味と甘み。砂糖ではありませんね。これは何ですか?」
「ハーブティーよ。私がブレンドしたの。気に入ってくれた?」
「はい、美味しいです。まるで5月の陽気に吹く風をそのまま閉じ込めた構造がします」
セツは背負っていたリュックから、分厚い紙束と小さな壺を取り出し、紙束をテーブルの上に置いた。
「あらあら、これは大変。この資料、三河屋さんの署名まであるじゃない!」
「計画の詳細について、ご説明いたしましょうか?」
「いいえ、計画ならいいわ。それよりも、あなたという人について教えてちょうだい。とても興味があるの」
「私はアンドロイドです。人ではありません」
「そう。それじゃあ、あなたという存在はなんなの? 説明できる?」
晃子は背筋をピシッと伸ばしたまま、ハーブティーをゆっくりと飲んだ。
セツは壺の蓋の封印を解いた。
「説明を保留させてください。その壺の中身は私が育てたものです」
晃子がハーブティーのカップをテーブルにゆっくりと置いた。そして、壺の蓋を開けた。
スッと鼻に入る匂い。それは、晃子の腹を刺激する。
「これは、ぬか床?」
「はい、私が育てているぬか床です」
晃子は一瞬、ぽかんと目を見開いた。
次の瞬間、その胸の奥から込み上げてくるものを抑えきれなくなったように、晃子の肩が揺れた。
「ふふ……あはははは!」
今までどこか優雅で隙のなかった理事長が、コロコロと、まるで少女のように声を上げて笑い出した。鈴を転がすような、けれど力強い笑い声が静かな理事長室に響き渡る。
「最高だわ! アンドロイドを自称する子がリュックから出してきた手土産が、まさか手作りのぬか床だなんて!」
晃子は目元に浮かんだ小さな涙を細い指先でぬぐうと、愛おしそうに壺の中の滑らかなぬか床を見つめた。その表情には、先ほどまでの探るような目つきではなく、心からの親愛と可笑しみが溢れていた。
「いい匂い。発酵の深みが、しっかりと生きているわ。あなた、本当に面白い子ね」
晃子は笑みを残したまま、楽しそうにセツの無機質な瞳をのぞき込んだ。
***
理事長室の窓から、校門に向かってゆっくりと歩いていくセツの背中を、晃子は静かに眺めていた。
「ほんと、おもしろい子」
その眼差しは恐ろしいほど柔らかだった。
「ねえ……あの子、本当にアンドロイドなの?」
晃子が振り返ると、そこにはヨシ美がいた。
「アンドロイドだよ。家電屋のアウトレットで私が買った。その店も今は潰れちまったがね」
「私の知っているアンドロイドとは違う。彼女は......面白いのよ!」
「義理の息子がエンジニアでね。セツの個体について聞いてみたんだよ。セツのモデルの記録はいっさいない」
「出席番号のないアンドロイド、ね……。それでヨシ美、あなたは『もしも』の時、あの子を匿うための場所として学校を確保しておきたいわけ?」
「そんな大層な思惑はないよ。ただ……セツが自分で考えて、自分の居場所を決めた結果さ」
ヨシ美はテーブルに置かれた壺に歩み寄ると、ゆっくりと蓋を開けた。
途端に広がる芳しい香りに、ぐぅ〜っとお腹の虫が盛大に鳴った。
「……晃子。このぬか漬け、今すぐ食べないかい?」
「いいわね。すぐにお茶を淹れ直すわ。……本当は、炊きたてのご飯が欲しいところだけど」
二人の柔らかな笑い声が、ハーブとぬか床の香りが混ざり合う理事長室にゆったりと響いた。




