09 お弁当
――スパッ。
目隠しをしたルミ子が刀を振り抜いた。
刀身からごくわずかな揺らぎが伝わる。
一拍遅れて、スイカが斜めにずれていく。
「マジで斬れたんだけど……」
目隠しを外し、まじまじとスカイの断面を見つめた。
そして、自分が持つ刀の反射する光を凝視する。
納屋の奥に眠っていた古刀「五月雨」。
後にルミ子によってそう名づけられる刀は、セツと黒丸によって完璧に研がれ、その刀は人知れずに持ち主を探していた。
「納屋の上の物をとるのにちょうどよいのです」
そうセツが言っていたその刀の鞘を、ルミ子は少しだけずらす。
――刀身に反射する自分と目が合った。
この夏、ルミ子は暇さえあればその刀を振っていた。
「二の腕が引き締まるぞ!」
父にそう言われたのもきっかけだった。
シュッ。
刀が風を切る。
視界に入る水路を流れるスイカたちが都会の日常の記憶と重なった。
駅へ向かう人。知らない誰か。すぐ近くをすれ違うがお互いの焦点がずれた日常。
シュッ。
シュッ。
刀を振るたびに、一つ一つが消えていく。
そして——ルミ子は音だけを追い求めるようになった。
もっといい音を。
もっと気持ちのいい音を。
「あの子、大丈夫かしら......」
日焼けも気にせず短パンにTシャツ姿で刀を振る娘を見て、ルミ子の母、理恵子がポツリと言った。
「たかしの前では振らないようにしているからね。大丈夫でしょう」
ルミ子の父親の健一郎は熱心に『日本酒の作り方ガイド』を読んでいた。
***
「いってきまーす!」
「ルミ子さん、たかしくん、いってらっしゃい」
セツはバスに乗り込む二人を見送った。
ルミ子はセーラー服、たかし君は体操服姿だった。
そんな登校を見送るのがセツの新たな日課となった。
送迎バスはあらゆる年代の子どもたちでいっぱいだ。
二人が転入した学校は幼稚園から高校までの一貫教育。
過疎化のため、生徒数が少ないからこそできる体制なのだろう。
バスは賑やかな声であふれかえっている。
「いってきまーす!!!」
バスの窓を開けてセツに手を振る子どもたち、ルミ子たちと同じ高校生ぐらいの子どもたちは、身を乗り出す子どもたちをがっちりと抑えている。セツは、小さくなっていくバスの姿が完全に見えなくなるまで、手を振り続けていた。
「やだ!」
登校が始まって3日目、たかしが目に涙を溜めていた。
「嫌だじゃありません。幼稚園は給食があるの。お弁当を持っていっちゃだめなの」
理恵子にそう言われるとたかしは反論した。
「おねいちゃんはお弁当持っていっているのずるい!」
「高校は給食がないから別なの!」
「わーん!」
ルミ子がそう言うとたかしは泣きだした。
「おにぎり……!?」
理恵子は電話口で、幼稚園からの報告に思わず声を裏返した。
「はい。梅干しと昆布のおにぎりです。たかしくん、『これぼくのおやつ!』と言ってみんなに見せびらかしていらっしゃって……」
一通り先生からの連絡を受け取ると、理恵子は頭を抱えながらセツの元へ向かった。
「セツ、もしかして……たかしにおにぎり握ってあげた?」
「はい。朝、登校する前のことです。『おにぎりを持っていくから作って』と言ったので」
セツは理恵子に淡々と答えた。
「……あー、そういうことね」
理恵子はぽんと手を打った。
「セツ、幼稚園は給食が出るからね。あの子が『持ってく』って言っても、これからは聞かないでね」
「あっはははは!!」
その日の夕食。たかしの「おにぎり事件」を聞いて一同はおおいに笑った。
「いいぞ!たかし!俺はな、ポケットに飴を良く入れていた。けどな、匂いでばれちまうんだよな」
健一郎は今年つけた梅酒の味見と言いつつ3杯目のお代りを注ぐ。
「給食はでるでしょ?何か嫌なの?」
かず子が赤子のきーちゃんを抱きながらたかしに尋ねた。
「全部、袋なんだ!袋を開けて、ちゅーと吸う。僕はこういうのが食べたい!」
そう言うとたかしは目の前のきんぴらをバリバリと食べだした。
「そういってもねー。万能食が給食なのは当たり前だし」
「ねえ、おばーちゃんなんとかならないのー?」
たかしがヨシ美の膝にしがみつき、必死の上目遣いで「孫パワー」を全力でぶつけた。
しかし、ヨシ美はどこ吹く風でさらりとかわす。
「どうだろうねぇ。急に言われても、すぐ動けるもんじゃないからねぇ」
ヨシ美はそう言いながら、ちらりとセツの方を見た。
――バリバリ。
セツが静かに、キュウリのぬか漬けを規則正しい音を立ててかみ砕いていく。
大人たちがダメだと察したのか、たかしは素早く標的を変えた。今度はルミ子の袖をぐいぐい引っ張る。
「おねーちゃん、お弁当おいしかったでしょ!?」
「えっ、そりゃ、まあ……おいしかったけど」
突然振られたルミ子は、少し照れくさそうに答えた。
「おかず何だったの!?」
「卵焼きと、ナスの煮たやつ」
「それ煮びたしっていうんだよ!いいなぁ、僕もそれ食べたい! 明日のお昼、おねえちゃんの教室行っていい!?」
「いや、ダメに決まってんでしょ!」
「セツ!なんとかならないの!?」
最後の希望として、たかしはセツにしがみついて訴えた。
人間には一瞬の沈黙にしか見えないその刹那、セツは足元で丸くなっていた黒丸と、超高速の暗号通信を開始していた。
――
『黒丸、聞いていましたか?』
『もちろん。ハックしますか?』
『そうしましょう。ここに【オーダー】が存在します。それに応えるのが、私たちの役目でもありますから』
『了解。実行プロセスを準備する』
――
ゴクリ。
セツはテーブルの上のマグカップを持ち上げ、冷たいさんぴん茶を飲み干した。
体内を駆け巡る冷気が、駆動回路の熱をすっと下げていく。
セツは床に膝をつき、たかしの目線に合わせて静かに言った。
「たかしくん。一つだけ、約束をしてくれますか?」
「なに……?」
たかしの顔が、少し不満げに歪む。
「幼稚園へはお弁当を持っていかないこと。その代わり——おうちに帰ってきたら、私がお弁当を作っておきます。それを帰ってから食べる。約束できますか?」
「おやつがお弁当!? すごい!」
たかしがパァッと目を輝かせ、セツの首にしがみついた。
――その刹那。何かがセツの回路を走った。
首に巻きつく柔らかな感触。幼い子供の声。
消えた、あるいは意図的に消された記憶の残骸——。
一瞬生じたノイズを、セツは静かに内部の真空領域へと格納した。何事もなかったかのように穏やかな笑みを浮かべると、それを見つめていたヨシ美が、深く頷くように微笑み返す。
セツは立ち上がり、視線だけを床の黒丸に向けた。
――『フェーズ1完了。これよりシステムのハックに移行します』
――『了解』
梅酒を飲んで笑う父親と、安堵する母親。
そんな日常の裏側で、一人のアンドロイドと一匹のロボット犬による「食育革命」が、静かに幕を開けた。




