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幕間八 劉邦盗賊に出会う 二

がらがらがらと馬車の車輪が回る音がする。


沛公こと劉邦は只今夏侯嬰かこうえいが手綱を握る馬車で昼寝の真っ最中だった。


しかし、まがりなりにも「沛公」という身分のある者の一行としては数が少なすぎである。


夏侯嬰かこうえいの馬車一台、馬に騎乗する樊噲はんかい蘆綰ろわんそして曹参そうさんだけだった。


護衛の兵すらいない。


一行は彭城を出て後、鉅野きょやの大沼地にいた。


彭越ほうえつに会うためである。


曹参そうさん彭越ほうえつふみは出したんだよな?」


蘆綰ろわん


「はい、沛公が面会を希望する事と大まかな主旨は伝えてあります」


「そうか、さてさて大盗賊様はどう出るかな?」


劉邦はもうずっと馬車に揺られながら、だらしのない体勢で眠りこけている。


(すでに彭越ほうえつの縄張りに入っているというのにのん気なものだ)


肝っ玉が太いと言うか、油断なのか、単なる考え無しなのか……


大沼地に沿って一行はゆっくりと進んでいる。


ここまで特に邪魔をされることなくすんなり来れてはいるが


(おい、夏侯嬰かこうえい


樊噲はんかいが小声で呼ぶ。


(ああ、わかっているさ。見られているな……)


どうやら彭越ほうえつの手下達だろう。


だが遠巻きに偵察に徹しているようでそこから襲ってきたり、こちらに近寄ってくるような事はなかった。


「ふぁ~あ……あむ…」


「兄貴、寝過ぎですぜ。

もうとっくに彭越ほうえつの縄張りに入ってまさぁ」


「お、いつの間に?早かったな……」


「兄貴はただ寝てただけでしょうが」


などと話していると


「ん?樊噲はんかい船がこっちに来るぞ?」


ゆらりと船がゆっくり近づいてくる。


そして

「お前さん方は沛公とその連れか?」

としゃがれた声で船頭が問う。


「そうだ!!」


劉邦の声はよく通る。


曹参そうさんがふと気づき、劉邦に耳打ちする。

「沛公、この漁師が彭越ほうえつです」


(えっこの爺さんが……?)


安定の悪い船の上で長い時を過ごしてきたのだろう。

丸太の様な太ももからはとても六十を過ぎているように見えない。

全体的に薄汚れた衣を着ておりかいを持つその姿は、なるほどどう見ても漁師だ。


「文は見ている。沛公だけ乗んな」


樊噲はんかいが警戒するようにずいと身を乗り出しかけたが、劉邦は肩に手をやり押しとどめた。


「んじゃ、ちょっくら行ってくらぁ。

爺さん、おりゃ船なんて久しぶりだからお手柔らかに頼むぜ」


そう言って「よっと」と船に移る。


彭越ほうえつは劉邦が座るのを待ってから、かいを動かしてゆっくりと岸を離れていく。


劉邦はゆらゆらと揺れる船に腰を動かして重心を取ろうとしながら

「爺さん、大盗賊だろうがよ。

なんだって今更漁の真似事なんかしてるんだ?」


「逆に最近は漁しかしとらん。

盗賊家業は部下達が勝手にやっとる。

わしは生きる為に盗賊になったが、ホントはこうして日がな漁をやっていたいんじゃ」


「へぇ、楽して稼げるんなら盗賊がいいと思うけどねぇ」


「お前も元盗賊だったな。

魚はいい。

魚は人を差別せん。

獲る者が王侯だろうが奴隷だろうが関係ない。

あくまで腕と道具と運が勝負だからな。いや、頭は使うか。

そこが気に入っとるのよ」


「ふーん、そんなもんかねぇ」


やがて船は岸から大分離れ、水面をゆらゆらとゆらし劉邦は船の久々の感覚を覚えていた。

河と沼、湖では同じ船でも乗り心地は大分違う。

彭越ほうえつの船は沼地であるせいもあるが、ほとんど揺れなかった。


しばらく進むと霧が出てきたのか視界が少しぼんやりとする。


彭越ほうえつかいを置くとどかっと劉邦の目の前に座った。


かなり乱暴な動作だったが、船は揺れていない。劉邦は感心した。


「へっへっへ。」

劉邦は勿体ぶると、持ってきたかめを目の前に置く。


「いい酒を貰って来たんだぁ」


そう言って酒甕の栓を抜く。

ふわりと上品な甘い香りが船の上に立ち込める。


「むっ、まさか……この甘いそして微かな花の匂いは蜂蜜か!?」


「そうよ、楚王陛下様からの差し入れでさ、特別よ!

俺も飲んだ事はねぇ。

だからこの時をどれほど待っていたか!

道中俺だけ先に飲んでしまおうかと悶えっぱなしだったぜ」


劉邦はそう言うと体をくねらせる。


「わしも話には聞いていたが初めて見るな。

まさか蜂蜜酒が飲めるとは……。

お前さんが考えなしの阿呆でなくて良かったわ」


「うっせ、そんなん言うならくれてやんねーぞ」


「楚王はわしにと贈ってくれたのだろう?

ならばその酒はわしのだ。

お前にこそくれてやらん」


「な!おいおい!

そりゃあんまりじゃねぇか!

俺ぁこの時をどれだけ楽しみにしていたと思ってんだ!

お願いだから俺にも分けてください!」


一つの酒甕を四本の手でがしっと押さえながら、二人はしばし、睨み合う。


やがて


「「わっはっはっは!!」」


唐突に笑い合った。


「まぁ何はともあれ飲むか」


杯を酌み交わし劉邦が掲げて言う。


「天下の大盗賊に」


応えて彭越ほうえつが杯を掲げる

「元盗賊の将軍様に」


ぐいっと一気にあおった。


「むっ!俺が知ってるどの酒とも違う。上品な味だ……」


「へっ爺さんに上品の何たるかが分かるのかい?」


「お前もわからんだろうが、一々突っかかるでないわ」


「おいおい!そんなに一気に飲むなよ!大事に飲め大事に!」


「何だ?わしより若いのに遅れているぞ?だらしのない」


「な!せっかくの貴重な酒だからゆっくりと味わおうとしてたのに頭来た!!」


劉邦は蜂蜜酒の甕をむんずと掴むとぐいっと口をつけそのまま一気にあおった。


「あ!何て事するんだこの阿呆が!

貴様、もう楚には付いてやらんぞ!!」


「へん!爺じいの助けなんざいるか!

耄碌した爺さんはずっとお魚と遊んでいればいいじゃろ!」


劉邦はそう言うと甕を頭に敷きごろんと横になり、しばらくするといびきを搔いて寝始めてしまった。


さすがの彭越ほうえつもこれには呆気にとられた。


誰もが、役人だろうと彭越ほうえつの前では恐ろしさに震えているというのに。

しかもまだ味方になると決まったわけでもない。

よくこんなに無防備になれるものだ。

彭越ほうえつ も劉邦の様な男は初めてだった。


(この男、ただの阿呆か、とんでもない大人物か……。

だがこの胆力には一国の価値があるかもしれん。

どちらにせよこれから退屈はしなくて済みそうだ。)











□□□□□□










馬車の上で劉邦が手を振っている。

船を岸へ揚げながら彭越ほうえつはそれを見送っていた。


ふと傍らに部下の一人がそっと寄ってきた。

「親分、楚に組みするんですか?」


彭越ほうえつはそれに答えずに言った。

「おい、おまえは字は書けるか?」


「へっ?

いやだなぁ、親分。

あっしに学がない事ぐらいわかるじゃねぇですかい」


「そうか。ま、俺も読むので精一杯だがな」

彭越ほうえつは部下の方は見ずにずっと劉邦一行を見ていた。


(やはり必要だな……)

彭越ほうえつが見ていたもの、そして考えていた事は曹参そうさんだった。


(実務者、文官、がこの組織には要る)

力自慢で荒くれ者はいくらでも集まってきた。

戦にも強い。


だが、領地を経営するとなると全く役に立たない。

それを彭越ほうえつは痛感していた。


そして今日、劉邦と曹参そうさんを見てその思いを益々強めた。


「まぁ、楚陣営に組みする事は決まりだがな」

彭越ほうえつは誰に聞かれるまでもなく呟く。


(楚王に頼んで文官を寄こしてもらうか)


彭越ほうえつは劉邦達が見えなくなるまで見送るのだった。

全く関係ない話で恐縮ですが、中国で項羽の末裔と名乗る人物がテロを実行しようとして捉まったのだとか。


項羽の末裔……直系は知る限りでは記録に残っていなかったので(絶対ではない)実際のところ、どうなんでしょう??


結構何とかの子孫って中国では定番のネタではあるのですが、例えば孔子や劉氏、孫氏などなど。

そう言えば劉備も中山靖王の玄孫でしたっけ(笑)

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