武信君の影響力
短くてすみません。
一日だけ、と逗留していた項羽軍だったが、当の項羽が塞ぎ込んで姿を見せないために数日の間動けないでいた。
韓信は項羽の天幕を警護しながら、これからの事を考えていた。
(反秦の旗頭だった項梁は死んだ……。
だが、反秦の勢いは留まることを知らない。)
全国各地で反乱が起こり、秦の実効支配が及ぶ地域は極端に少なくなっており、統一をする前であった旧秦の版図まで小さくなっている。
復活をしている国も楚を始めとして、斉、魏、趙、それに張良が復興させようとしている韓など、ほぼ戦国の七雄と言われた国が揃い始めている。
※戦国の七雄……秦が統一する前に存在した七カ国。
斉、楚、韓、趙、魏、秦、燕それぞれが独立した王国となっていた。
もちろん秦本隊である章邯が項梁を打ち倒したことは大きい。
だが、韓信はそれでも打倒秦への動きは到底収まらないだろうと見ている。
秦側からすれば復活した国を各個撃破し、再度統一をせばならぬのである。
それに比べて反秦側は連携して立ち向かえばいいのであり、その労力、時間、かかる金銭負担は相当に差がある。
(それにしても)
と韓信は思う。
敵将、章邯はもともと文官であったという。
戦の事は知らない素人だった。
それが、いきなり20万もの、しかも兵士ではなく、罪人や労役夫達を指揮して連戦連勝しているのである。
恐るべき才能である、と言わざるを得ない。
それは未だ、将として経験のない韓信にも脅威であった。
通常、軍隊を指揮する、ということは経験のない者には無理な話である。
経験があったとしても、十人、百人を指揮するのと千人、一万となると話は全く違ってくる。
十人の指揮ができる者も、百人、千人になると統率が取れなくなることなど日常茶飯事なのである。
その章邯は陳勝の時もそうだったが、反秦のシンボルたる勢力をまず叩く事を最優先にしている。
枝葉を払い落とすのではなく、いきなり根っこを掘り起こす戦い方だ。
章邯の、というより秦の方で余り時間をかけていられない事情でもあるのかもしれない。
韓信は章邯の戦い方からそんな事を感じていた。
そうやって考え事をしていたために、目の前に老人が立っている事に気がつくのが遅れた。
范増である。
「将軍はおられるか?」
范増が韓信に訊ねた。
「はっ!今日はまだ外には出ておりませぬ」
「そうか、入るぞ?」
韓信は少し迷ったが、范増を通した。
いい加減軍も動かさねばならない。
この老人なら項羽を動かせそうな気がしたのである。
ふと、范増がじっと韓信を見ていることに気づいた。
「范増様、何か?」
「お主、名を何と言う?」
「淮陰の出で韓信と申しまする」
「ふむ……そうか……」
范増は韓信の全身を眺め、何か言いたげな顔をしてたが、結局何も言わずに項羽の天幕へ入っていった。
とっさのやりとりだったが、韓信は脂汗をびっしりとかいていた。
今の一瞬で自分の全てを見透かされた感覚に陥ったのである。
身体の隅々までひっくり返されて観察をされたようでばつが悪くなるのを感じた。
あの老人……相当な喰わせものだな、と汗が引くのを待ちながら韓信は思った。
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一方その頃、楚の首都として置かれた彭城に項梁戦死の報が到着した。
その報せを聞いた若き王、懐王は絶句し、立ち上がったかと思うとまた椅子にストンと落ちてしまった。
「そ、その報は間違いないのだな?」
傍らに控えていた上柱国の陳嬰 が念を押し伝令に問う。
伝令は平伏したまま
「はっ!間違いございませぬ。
敵、秦軍本隊は既に定陶を去った模様でございます」
「そうか。ご苦労であった」
そう言って伝令を下がらせてた。
「武信君……俺は武信君が見つけてくれなければ田舎のただの羊飼いの少年だった…」
少年王懐王は王としての一人称を付けるのも忘れて嘆いた。
陳嬰はそれを分かっていながら、今だけはただの少年のままにしておいた。
「陛下、それがしも武信君がおらなんだらここで陛下に仕えておりません。
楚は武信君が作ったと言っても過言ではございませぬ。
その功は空よりも高く、海よりも深うございます。
ここは国を挙げて喪に伏すべきかと」
涙を流しながら懐王はうなづいた。
「うん、うん、そうだな。
皆のもの聞いたであろう。
楚の国父として武信君を丁重に奉る準備をせよ。
余も沐浴に入り身を清める」
「「はっ!」」
国としての体裁を整えつつある官僚達、百官を前にそう指示して懐王は奥へ下がった。
後に残った官僚達は陳嬰を中心に、武信君を国葬で喪に伏すための準備に取り掛かるのだった。
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