章邯の策二
章邯率いる秦本隊が立て篭もる定陶を項梁軍が包囲して、数日睨み合いが続くなか、伝令が項梁の元へ駆け込んだ。
項羽が敵将の一人、李由を斬ったと言うのだ。
李由は秦が全国統一した時の元勲、丞相李斯の息子であった。
報告を聞いた項梁は喜び勇んで、秦との戦いに自信を深めるのだった。
□
そしてその報告が届いた夜より、項梁軍では宴が始まった。
敵将を一人斬ったとは言え、未だ戦場の真っ只中である。
大丈夫なのか?と考える者もいたが総大将の武信君項梁が率先して騒いでいる。
よほど、項羽が李由を片付けたことが嬉しかったのだろうか。
わいわい、がやがやと賑やかに騒ぎ立てていても、定陶で篭城を続けている秦軍は顔すら見せなかった。
城壁の上に見張りが数名立っているだけである。
この項梁の行動は作戦なのであろうが、部下の一人宋義という将は項梁に
「章邯を甘く見ないように」
と進言するのだった。
だが
「わかっておる、この宴は章邯の油断を誘う為の罠だ」
総大将が分かっているなら、自分は何も言うことはないだろう。
そう判断して、項梁の前を辞した。
楚軍が夜に宴を始めてから数日が過ぎた。
未だ篭城している章邯に動きはない。
宋義は自軍の陣をつぶさに回って、全体的に気の緩みが出てきている事に気づいた。
宴を始めた当初はそれなりに警戒もしていたようだが、秦が全く反応がしないことから「しばらく動かないのでは?」「本気で楚軍を怖がっている」などの噂が流れ始めた。
日中に警備をしている兵の数も減っているし、中には半分居眠りをしている者もいる。
夜に酒を飲むために日中休んでいる兵士がいるようだった。
宋義は危機感を感じて、再度項梁に諫言したのだが、まともに取り合ってもらえなかった。
それならば、と宋義は斉国に向けて使者を出すことを提案し、自分がその使者に立候補した。
使者を遣わす理由は、秦との戦いで戦死した斉王への弔問だった。
どうしても嫌な予感が拭えない宋義は項梁から許可を取り付けると、さっさと楚陣から退散するのであった。
□
宋義はなるだけ急いで定陶を離れ、斉へ向かう道を駆けていると、楚の懐王からの使者と出会う。
「御使者どの」
「おお、これは宋義将軍」
「お役目、ご苦労様です」
「ありがとうございます。将軍はどちらに?」
「先の戦で戦死された斉王の弔問へ武信君の使いで参ります」
「そうでしたか、私は陛下の命にて慰安として武信君の元へ参ります。帰国したら楚国として使者を送るよう陛下に進言致します」
「はい。あぁ、それと今定陶にて睨み合いが続いていますが、御使者どのは”わざと”ゆっくり行かれるのがよろしいかと」
「!!
どういう事ですか?」
「連戦に次ぐ連戦でことごとく勝利して来ました楚ですが、武信君はどうやら油断し敵の策に嵌ったようにございます
私も諌めたのですが毎晩毎晩酒を飲み、宴を繰り広げ。
始めは相手の油断を誘うつもりだったのでしょうが、だんだんと本気で侮り始めた由にございます」
相手は名将と言われた章邯です。
そんなに甘い相手ではございません」
「……そうでしたか…
それで、敵の策に嵌ったというのは間違いござらんか?」
「十中八九は」
「そうですか…、わかりました。ご忠告痛み入ります」
「はい。では私はこれで」
そう言って宋義は斉の方へ去って行った。
使者は宋義を見送りながら、気楽に考えていた此度の慰問に気を引き締め直すのだった。
□
それは、いつものように日没と共に宴が始まり、酔いつぶれたものがあちらこちらに転がるように寝ている時にそれは起こった。
楚軍の背後に軍勢が突如現れたのだ。
夜闇に紛れて静かに行動する謎の軍は数は多くないが、全員馬に騎乗していた。
先頭の武将が無言で右腕を高くあげ、そして勢いよく振り下ろした。
それが合図のように一斉に楚軍へ向かい騎馬隊が突っ込む。
本来ならば見張りがいるはずの門も、その見張りさえ酒に酔っていたらしく柵に寄りかかるようにして寝ている。
次の瞬間、その見張りは二度と目を覚ますことなく絶命する。
門番を片付けた騎馬隊が楚の陣地に次々と入り込んでいく。
そして、手当たり次第に火をかけ始めた。
楚軍に火の手が上がったその時、その時をどれほど待ち望んでいたのか、定陶の城門が開いていく。
そこには章邯率いる秦軍がすっかり武装を整え、突撃の瞬間に備え待機していたのだ。
章邯は我慢に我慢を重ねた、今までの鬱憤を晴らすかのように息を大きく吸い、
「突っ込めーーーーー!!!!」叫んだ!!
それを合図に今度は城の中からジャーン!ジャーン!ジャーン!と鐘がうるさいぐらいに叩き鳴らし、兵士はわざと狂ったように叫びながら楚軍へ向けて突撃した。
ある程度火を点け回った先発隊は章邯が城から突っ込んでくるのを見て、今度は楚兵を切り始めた。
章邯が楚陣地にたどり着く前に先発隊は一箇所に集合し、人数を確認するとすぐに楚陣を出て行った。
その行動はまるで風のように淀みなく、洗練されたものだった。
楚軍は大混乱に陥ってた。
ただでさえしこたまに酔い潰れていたところに火が回り、秦軍がやかましく突っ込んでくるのだ。
もはや誰も抵抗すらできずに切り倒されるだけであった。
夜襲は本来攻め入る方は極少人数が基本である。
それは夜目が利かない事から、同士討ちを避けるためであったが、章邯はほぼ全軍を投入した。
目指すは武信君の首!
ずたずたに混乱している楚軍の中で項梁は完全に寝てしまっていた。
警護の兵士が酔いながらも、項梁の元へ駆けつけ叩き起こしたが、酔いと寝起きでふらふら、まともに指揮は取れそうにない。
兵士はそれでも何とか、甲冑を項梁へ着せようとした時に
「いたぞ!敵将だ!」
はっと気づいた時には項梁の天幕は破られ、敵兵がどんどん入ってくる。
警護の兵士は項梁をかばう様に戟を構えたが、多勢に無勢。
あっという間に項梁共々殺されてしまったのだった。
※丞相……秦のナンバー2。現在の総理大臣、首相のような地位だと思ってください。官僚のトップ。
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