章邯の策一
勢いに乗る楚軍は、総大将の武信君こと項梁を中心に主となる将軍が集まり作戦会議を行なっていた。
「羽よ、軍師として范増先生をお前に付ける。
先生の言葉は儂の言葉と思ってよく聴くように。
お前の武が大陸随一なのは間違いないが、それだけでは秦には勝てぬ。
戦には知恵も必要だ。
よく学ぶと良い」
「はっ!叔父上のお言葉通りに」
「先生、羽の事よろしくお願いします」
「承知しました」
「これまでの戦いから見て、秦軍は大きく四つの部隊に分かれる。
こちらもあらかじめ、どの部隊を相手にするのかを決めておく。
その都度臨機応変に当たれ。
まず、便宜的に第一軍と呼ぶが、羽!お前は秦軍の李由じゃ!」
「はっ!」
「次に第二軍は沛公(劉邦)にお願いいたす。相手は司馬欣」
「はい、承りました」
「第三軍として黥布、相手は董翳」
「はっ!」
「大将の章邯は儂が当たる。本隊だからか一番後ろに下がっているのでな。
兵の数も多いが動くとすれば一番最後であろう」
そこまで言って、諸将の顔を見渡す。
「おのおの方、楚の勝利は目前じゃ!
これまでの戦いで楚は連戦連勝!
民のため、祖国のため、この一戦で秦を打ち滅ぼすぞ!!」
「「おう!!」」
勇ましい返事が天幕に響く。
項梁は満足して、うなずいた。
毎回秦軍を圧倒しているせいか、みなの顔は明るい。
まさか自分達が敗れるなどと夢にも思っていないようだ。
韓信は一兵卒に過ぎないため作戦会議には出れない、が兵士達の様子を見て(危ういな)と感じた。
自分に自信を持つ事は大事だ。
だが、それを通り越して大分、秦を甘く見始めているようだ。
(あの秦がそこまで簡単な筈がない)
そう韓信は思う。
しかし、誰が自分の言葉に耳を貸すだろうか?
だがせめて、今の韓信が出来る事をやっておこうと思い鐘離昧を探す。
鐘離昧は馬の世話をしていた。
軍馬はこの時代貴重品で、ある程度の身分にならないと騎乗出来なかった。
五千からの兵を率いる彼は立派な将だ。
韓信はほんの少し、気後れを感じた自分を恥じた。
それは自分が勝手に感じている感情で、彼には関係ない、と思い直して話かける。
「鐘離昧」
「おお、韓信どうだ?項羽将軍のお就きは?」
韓信は黙って首を振る。
鐘離昧も分かった上で、敢えてこの質問をしたので、苦笑するしかなかった。
「それよりも鐘離昧、盛り上がるのは結構なんだが、秦がこの程度で終わるとは思えん。お前の部隊だけでも警戒しておいてくれ」
元より韓信への評価は高い鐘離昧である。
韓信が言わんとする事を察した。
「何かありそうか?」
「俺が秦なら間違いなく仕掛ける」
「そうか……。お前がそう言うなら」
鐘離昧はそう頷くと
「俺と同格の部隊長には俺の方から伝えておこう。
とは言っても、この雰囲気の中だ。
どこまで効果があるかは分からんが」
「本来ならば大将がやる事だ。
頭が気づかないのなら手足に罪はない」
「まぁ、な」
「用件はそれだけだ、時間を取らせたな」
韓信はそう言うと項羽軍の方へ歩を向ける。
「韓信」
背後から鐘離昧の声が聞こえる。
韓信が振り返ると
「その……
韓信はこの先どうするつもりなんだ?」
遠慮がちに鐘離昧が問う。
それは韓信が現状認められていないことを暗に含んでの質問である。
「そうだな、いくつか献策をしてみようと思っているが……」
「…そうか」
それだけ言うと韓信はそのまま立ち去った。
項羽の護衛に就くのだろう。
鐘離昧は馬の手入れをしながら、次の戦いに備えた。
その日の戦闘は最早勝負にもならなかった。
始まってしばらくすると項羽率いる第一軍が押し始め、そこから徐々に秦は崩れだした。
特に項羽と戦っていた李由軍は項羽恐怖症とも言うべきおびえ方で、項羽が歩を進める度に秦兵達は武器を投げ捨て我れ先へと逃げていく。
項羽軍の雑兵達は調子に乗り、残党狩りよろしく喜び勇んで追いかけていく。
抵抗せずに逃げていく兵を狩る事ほど楽な戦いはない。
こちらには攻撃が来ず、自分は相手の背中を斬りつければ倒せるのである。
やがて、指揮を外れどんどん勝手に秦兵を追いかけ始めた。
見渡すと項羽の部隊だけではなく、全軍が似たような状況になっている。
項羽が李由軍を、沛公が司馬欣軍を、黥布が董翳軍をそれぞれ追い、しばらくすると元の戦場には章邯と項梁の本隊同士だけが残る結果になった。
項梁は本隊を直接叩ける好機と思い、注意深く様子を伺う。
項梁と章邯、お互いに睨みを利かせ、しばらく動かない。
この時章邯は対峙しているように見せかけながら、実は少しづつ、少しづつ撤退し始めていた。
陣の周りに立てられた旗はそのままに、だが鳴り物はもちろんざわめき一つ起きずにひっそりとしている。
いくら何でも、何かあるから警戒してくれと言わんばかりの様子に項梁は注意深く秦軍を観察していた。
□
対峙し始めてからしばらく、戻って来た斥侯からの情報により、すでに撤退を開始していると聞いた項梁は
(してやられた!)
と急いで出撃を命じ、自身も馬を駆って出る。
項梁が全軍に攻撃命令を出した事が分かると、章邯は隠れてコソコソするのはここまでとばかりに全速力で撤退を始める。
抜かりなく準備を終えていた章邯は、項梁が寄せるより早く戦場を脱する事ができた。
悔しがる項梁であったが、すぐ追撃の指示を出す。
「逃がすな!追うぞ!」
楚軍はここ一連の戦いで、常に勝ち、追いかける戦だったので追撃戦には精神的に余裕が生まれる。
すぐに項梁の指示通り、追いかけ始めた。
ただこれまでと違ったのが、途中で伏兵が何箇所かに潜んでおり、その度に足止めされ追撃の速度が遅くなってしまった。
その結果、結局定陶という街まで逃げ切られてしまった。
「ええい!くそ!地味に用兵が巧い!武官ではないくせに!」
中国の街は古来より街全体を城壁で囲う形で出来ており、戦争時はそのまま要塞として活用していた。
定陶に逃げ込んだ章邯は門を完全に閉じ、守りを固め籠城に出た模様だった。
項梁は定陶を囲むように陣を張り、また章邯と対峙するのであった。
今回は難産でした、書いては消し、書いては消し、資料をひっくり返し(笑)
誤字脱字ありましたら作者までよろしくお願いします。
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