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「前世の私が、夫を奪っていく——それでもあなただけを愛していたと、気づくのが遅すぎた」  作者: つくもメダカ


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3/5

第3話「あなたは、私の何を愛していたんですか」



 振り返れなかった。


 手首を掴む指が震えているのに、自分の膝も震えていることに気づいた。エリーゼは深く息を吸って、それからゆっくりと、ヴァルターを見上げた。


 月明かりの中で、彼の顔は硬かった。笑顔など欠片もない。あの中庭で見た、リディアに向けていた顔とは——まるで別人のような、張り詰めた目をしていた。


「あなたが知りたいのは」とエリーゼは言った。「私が何者か、ですか」


「……ああ」


「答えたら、信じてもらえますか」


「それはお前が話してからだ」


 エリーゼは少しだけ目を伏せた。それから顔を上げて、ヴァルターを真正面から見た。


「私はエリーゼです。エリーゼ・ハルトマン——あなたの妻です。魂だけが、この身体に移ってしまいました」


 沈黙が落ちた。


 ヴァルターは何も言わなかった。手首から指が離れた。エリーゼは逃げなかった。逃げても意味がないと、わかっていたから。


「……証明できるか」


「できます」


────────────────────────


 できることは、一つしかなかった。


 「あなたが、私にだけ話してくれた秘密を、全部言えます」


 ヴァルターの表情が、微かに動いた。


 「初めて笑いかけてくれた夜、何を考えていたか。左肩の古い傷の話。——子供の頃に見た夢のこと。誰にも言ったことがないと、教えてくれたあの話」


 月明かりの下で、ヴァルターの顔が変わった。硬かったものが、音もなく崩れていくような——エリーゼがこの一年でほんの数度しか見たことのない、あの顔に。


 「お前は」と彼は言いかけて、止まった。


 そこへ、声がした。


「——随分と、楽しそうですね」


 廊下の奥から、リディアが歩いてきた。


 ドレスの裾を引いて、亜麻色の髪を夜風に揺らして。エリーゼの顔で、エリーゼの声で、エリーゼではない目をして——冷やかに微笑んでいた。


「私も全部知っている。記憶は同じなのだから」


 リディアはヴァルターに向き直り、「ヴァルター様」と呼びかけた。「あなたが選ぶべきは、今あなたの隣にいる私のはずです。——この娘が何を言おうと、証明できることは同じ。でも私には、あなたの妻としての一年がある」


 エリーゼは何も言えなかった。


 反論できない。同じ記憶で、同じことが言えて、しかも元の身体まで持っている。何をどう争えというのか。


 そのとき、廊下の灯りの中に、もう一人が現れた。


────────────────────────


 神官服を纏った老いた男だった。白い顎髭と、深く落ち窪んだ目。ハンス神官——エリーゼは、この男を知らなかった。しかしリディアが「来てくださいましたね」と言って、微かに口角を上げたのを、見た。


 嫌な予感がした。


「魂の二重転移は、古い神の摂理に触れる事象です」とハンス神官は静かに言った。「どちらが真の魂の主か——それは、夫に愛された方が決します。神はそのように定めております」


「そしてもう一つ」とリディアが言った。声は穏やかだったが、目が笑っていなかった。「ハンス神官、続きを」


 神官は一拍置いた。


「満月までに婚姻の儀を執り行わねば——宙に浮いた魂は、消滅します」


 エリーゼは息を飲んだ。


「消滅、とは」


「どちらかの魂が、永遠に。——七日後の満月までに、ヴァルター様が婚姻の誓いを新たに捧げなければ、この城に宿るもう一つの魂は、二度と戻れなくなります」


 リディアの勝ち誇った笑みが、月明かりの中に浮かんだ。


「ヴァルター様。私と誓いを交わしてください。そうすれば、全て丸く収まります」


 エリーゼは、ヴァルターを見た。


 彼は動かなかった。ただ、拳がかたく握られているのが見えた。


────────────────────────


(第4話へつづく)

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