第8話 親友と共に
「ごめん……無神経なことして、ごめん」
「大丈夫、セナは何も悪くないよ」
「大丈夫じゃないじゃん」
セナは首を横に振りながら、そう言った。その表情から、この言葉だけは譲らないという意志が伝わってくる。
「そう……だよね。でも、本当に大丈夫なの。現実を現実として認識できてないっていうか……説明は難しいけど、そんな感じ」
「よくわかんないよ。全然大丈夫そうに見えない」
「はいはいはい、ストップ」
実音が割って入ってきた。この展開は予想外だったけれど、今このとき必要だったのは、実音のこういう思い切りの良さだったのかもしれない。
「大丈夫じゃないのはわかるし、詩子が言いたくないのもわかる。でも、今回のことに詩子の感情が絡んでるのは間違いないんだから、込み入った事情があるのかもしれないけど、少しくらい話してくれてもいいんじゃない? さすがに全部を察するのは難しいよ。それに、私たち親友じゃない。ちょっとくらい分けてくれてもいいのよ」
実音のこういう真面目な一面は、あまり聞いたことがなかった。それだけに、事の深刻さを改めて突きつけられた気がした。
実音がこうして私たちと同じ学校に通っているのは、決めるべきところをきっちり決めてくるからだ。目的もなくただ勉強している私とは違って、実は要領がとてもいい。事実実音は特待生なのだから、そういうところがある。
だから、少しだけ苦しさを分けよう。正直、一人で抱えきれるほど小さな重荷――重荷と呼んでいいのかもわからないけれど、少なくとも、私一人だけで背負えるものじゃないことは、たぶん明らかだった。
ストーカーのことまでは話さなかった。でも、男性の視線が怖いということは話した。二人ともその理由までは聞かなかったけれど、事情は理解してくれた。それどころか、
「詩子、最近は体つきも成長してるし、顔立ちもいい方だから、これからはあまり目立たない格好をした方がいいかもね」
「そうそう。三つ編みとか、メガネとかどう?」
「真面目そうな印象になるからいいかも」
そんな助言までくれた。
今は、自分がどんな格好をしたいかよりも、この恐怖心をどうにかしたい。だから、そうすることにした。
私は運がいい。こうして相談に乗ってくれる親友が、二人もいるのだから。
*
文化祭当日。
ここまで、いろいろなことがあった気がする。
セナとの一件でクラスメイトとの関係が変わることはなかったし、二人に言われた通りの格好にしてから、誰かからの視線を感じることも少しずつ減っていった。本当にありがたい。
もちろん、それ以外にもいろいろあった。舞台背景の制作――これが一番大変だったと思う。
作った背景は、ロミオの親友キャピュレット家の館と広場、街頭、ロレンスの庵、ジュリエットの部屋、霊廟の六つ。ベニヤ板に美術部員の下書きと配色指示に従って、絵の具をたっぷり使って塗っていく。
ベニヤ板三枚をつなげて、縦横それぞれ四メートル×六メートルの一枚の背景にする。立てかけて描くわけにもいかず、地べたに置いて中腰のまま塗り続けた。
これがかなりきつくて、二時間くらいずっと中腰で塗っていたら、腰が割れるんじゃないかと思うほど痛くなった。
しかも、塗った箇所は乾く前に踏めないから、同じ色だからといって塗り進めていくと、自分の周りをぐるりと囲まれてしまい、乾くまで動けなくなる――なんてこともあった(実音経験談)。だから刷毛やローラーを持ち替えながら、慎重に塗る必要があった。
かなり疲れる作業だったけれど、美術部員の下書きに比べたら、まだましなのだろう。三枚つなげて一つの作品にする経験も、四メートル×十八メートルという大きさの絵を描く経験も、そうそうできるものじゃない。美術館でもあまり見かけないサイズだ。
それとは別に、照明の練習もあったらしい。どのシーンでどの照明を使うかを小山内から指導されて、セナがそれを担当していた。セナ曰く、色彩と感情の関連性がわかるようになってきて、意外と面白いとのこと。
私はそれとは別に、台本を借りて、ロミオとジュリエットの心情の移り変わりに目を通していた。
仕事として必要なことじゃない。ただ、愛する人が亡くなったとき、人はどんな感情を抱くのだろうかと、気になってしまう。
私の境遇はそれとは違う。母親を亡くした側の物語は、たいてい産女の幽霊のようなホラー作品になってしまうから、あまり参考にならない。
最近の作品なら「コウノトリ」が近い気がするけれど、父親側の感情が詳しく描かれているわけじゃないから、私が知りたいこととは少し違う。
だから、今回の「ロミオとジュリエット」を通して、その感情を少しでも知りたいと思った。もちろん、それがわかったからといって何かが変わるわけじゃない。せいぜい、父の苦悩と、愛する人を失った人の気持ちを、ほんの少しだけわかるようになる程度だろう。無駄な努力だとはわかっている
けれど、それをやめられるほど物分かりのいい人間でもない。
文化祭開会式の直前、最後の微調整を終えたところで、ここまでクラスを引っ張ってきてくれた小山内から一言。
「えー、まず、今日明日の文化祭で演劇をしてくれる役者と裏方の方々、そしてこれまで準備を手伝ってくれた方々。本当にありがとうございます」
そう言って、深々と礼をした。普段の小山内らしくない真剣さに、準備期間からのギャップを感じつつも、その本気度が伝わってくる。
「ここまでやってこられたのは、一人一人の団結があったからだと思います。並々ならぬ苦労をした人もいると思う。あとは楽しむだけですが……正直、少し憂鬱な気持ちもあります」
あたりがどよめく。こんなに頑張ってきたのに、どうして憂鬱なのだろうと。
「僕らの発表の前には、有名アーティストのバックダンサー経験がある今江がいるダンス部。発表後にはYouTubeで登録者数三万人越えの将来有望バンド、Ms.FinEが控えています。発表に勝ち負けはないってわかってるけど、それでもどうしても見劣りしてしまうかもしれない。それが、少し……ね」
「でも、ちゃんと準備してきたんだから、見劣りするわけないでしょ」
「むしろあいつらの方が見劣りしないか心配じゃね?」
「うんうん。あと小山内、少し堅いよ」
各部門を仕切る中森さんや山城さん、ロミオ役の柿谷さんがそう言って場を和ませてくれる。クラスのみんなも「そうだそうだ」「俺らが一番っしょ」と盛り上がりを見せる。
小山内は本当に憂鬱だったようだけれど、三人の声とクラス全体の空気に押されて、ようやく吹っ切れたようだった。
「その通り! だから、この二日間、これまでのすべてを出し切っていこう!」
「「「おーーー!」」」
文化祭らしいなあ、と誰目線かわからない感想を抱く。
「やっべ、開会式じゃん、行かなきゃ」
誰かの一言で締まらない終わり方になったけれど、団結力だけは確かに感じられた。




