第29話 前兆
昼休み。いつもの三人でお弁当を広げていると、セナが何か言いたそうに、そわそわしているのに気づいた。
「セナ、さっきから何ニヤニヤしてるの?」
実音が、箸を止めてそう聞く。
「え、わかる? ふふふ」
セナはもったいぶるように、少し間を置いた。頬が少し赤くなっている気がした。
「実はさ、吉野先輩と付き合ったんだよねぇ」
その一言に、私は思わず声を上げた。
「え、まじで!? いつの間に!」
「この前、告白されたの。もう、びっくりしちゃって」
セナは幸せそうに、その日のことを話し始めた。放課後、体育館裏に呼び出されたこと。緊張した様子の吉野先輩が、意を決したように気持ちを伝えてくれたこと。話すセナの表情は、いつも以上に柔らかくて、本当に嬉しそうだった。
「先輩、めちゃくちゃ緊張してたみたいでさ、手とか震えてたんだよ。ああいうの、なんか可愛いよね」
「セナ、幸せそうで何より」
「まだ実感湧いてないんだけどね。でも、なんか、ずっとふわふわしてる」
そう言って、セナは頬に手を当てながら笑った。
「よかったじゃん、セナ! ずっと気になってたんでしょ?」
「うん、まさか本当にこうなるとは思ってなかった」
自分のことのように嬉しくなって、私はセナの手を取って喜んだ。ずっと片思いを見守ってきたわけじゃないけれど、セナが吉野先輩のことを気にかけていたかは、なんとなく知っていた。
「実音も、おめでとう言ってあげなよ」
そう言って、私は実音の方を見た。
実音の表情が、固まっていた。
一瞬、何かの見間違いかと思った。それくらい、明らかにいつもと違う顔をしていた。箸を持つ手が、ほんの少し止まっている。血の気が引いたような、それでいて必死に何かをこらえているような、複雑な表情だった。
「……実音?」
声をかけると、実音は、はっとしたように我に返った。
「あ、うん。おめでとう、セナ」
そう言って、微笑んでみせる。でもその笑顔は、いつもの実音の笑い方とはどこか違って見えた。作られた笑顔、というのとも少し違う。うまく言葉にできない、そんな違和感だった。
「実音、どうかした? 具合悪い?」
「ううん、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」
実音はそう言って、また箸を動かし始めた。
「今度、一緒にご飯食べに行こうって誘われてさ」
「わー、いいなあ。デートじゃん」
「でしょ! なに着てこうか、もう今から悩んでて」
「実音、聞いてる? セナ、彼氏できたんだって」
「うん、聞いてるよ。よかったね」
実音は、そう相槌を打ちながらも、どこか上の空だった。セナは実音の様子には特に気づかず、上機嫌のまま、吉野先輩とのやり取りを話し続けている。
賑やかなセナの声を聞きながら、私は、さっきの実音の表情が、頭から離れなかった。
なんだったんだろう、あれ。
理由は、まったくわからなかった。それでもあの一瞬だけ、教室の空気が微妙に違う色に変わったような、そんな気がしてならなかった。実音は、その後もいつも通りに振る舞っていたけれど、時折遠くを見るような目をしていることに、私は気づいていた。
昼休みが終わるチャイムが鳴って、みんなが席を立つ。実音だけが少し遅れて、ゆっくりと腰を上げた。その背中を、私はしばらく見つめていた。
聞いてみようかと思ったけれど、うまく言葉が見つからなかった。何をどう聞けばいいのかもわからないまま、私もいつも通り午後の授業に向かった。




